藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

果たして何者?

運がいいとか悪いとか〜というのは歌謡曲にあったが、洋の東西を問わずこの類の話は必ず存在する。
途上国になると一気に呪術的な話にもなるし、先進国では占星術とかバイオリズムとか、最近はいよいよ遺伝子で占いをする試みもあるらしい。
ここまでくると占いというよりは統計の世界に近いだろう。
それはともかく。

病気や事故や転変地異が確率的に起こるのは理解できる。
それが果たして「運」と言えるものと言えるのか。
運とは何だろう。

うん1【運】
? 人知でははかり知れない身の上の成り行き。めぐりあわせ。「―が悪い」「―を試す」

さてさて。
これを「いやー運が悪かったね」とか「運が良かっただけさ」と言って片付けるのは簡単だが、それでは面白くない。

いやいや「この運を手繰り寄せたのはなんだろう」「運がなかったのはなぜだろう」というところに妙味があると思う。

つまり「人知では計りしれない身の上の成り行き」も、ある程度は、いやかなりの部分で「自分の行動が関係するのに違いない」ということが言いたかった。

不景気な顔をして、ネガティヴな言ばかり口にし、他人に好意的でない態度の人に「幸運」など訪れるはずもない。

いつもニコニコ、前向きな人が必ず幸運かどうかはともかく、「幸運を呼ぶスタイル」ははっきりとあると思う。
明るく、明るく、公平に。