本日、社会人第一日目だった。
コンピュータソフトウェアの業界に入って初日。
専門用語の連続に、ずい分緊張し、疲れていたのをほんのりと覚えている。
初日に訓話があった、「社会人の最初の三日、三ヶ月、三年がみなさんの運命を決めます」というのは、なるほど正しかったのかもしれぬ。
いま思っても、本来の自分の性格、とは別に「社会人としてのキャラクター」は最初のころに固定化してしまうような気がする。
行儀悪く育てば、後々まで引きずる、と。
学生時代のことなど
大学に四年。
その前に浪人二年。
今日から見て、学生時代に何か意味があるとすれば、アルバイトくらいだろうか。
今思えば、外国へ行ったり、もっと好きな本を読んだり、勉強したり、いくらでもやることはあったはず。
バンドを組んだりしていたが、音楽とて、もっと追求しておくべきだった、とかなりの後悔。
若いころは本当にムダな時間使いをするものだ。(嘆)
学生時代はグウタラを絵に描いたような若者だったが(思えば玉子焼き一つ作ったこともなく)アルバイトで自活し始めてから、様子が一変したのを思い出す。
学生気分、で遅刻したり休んだり、長期休暇を取ったりしていたら、まず給料が減る。
そして、クビになる危険も。
それが分かったとたん、やけに勤勉になった。
無遅刻無欠勤。
それまでは二日に一度は遅刻していたのに。
きちんと、出勤できること。
社会人とは、まずそんなことが必須なのだ、と初めて知る。
また、それまで親まかせだった生活費。
自分で稼ぐと「カネの重み」が分かる。
今でも(2007)当時の給料袋に詰まっていた18万円の重み、を思い出すことがある。
中年になって独立して右から左と大金を扱う商いをし、失敗する人がよくいるが「小銭」の扱いを知らない人が多いようだ。
地べたを這い、ドブさらいをするようでなければ、そうそうビジネスなど成功するものではない。
古臭いが、古今東西の鉄則だ。
当時のマインド
世俗的、煩悩に支配されていた。
特に物欲は強かった。
最近の若者は車やブランド物、旅行などにあまり興味を持たない人が多くて、驚く。
全体として豊かになり、物欲そのものが萎んでいるのかもしれぬ。
自分も四十を過ぎるあたりから、急にそう思うようになった。
特に最近、大排気量の高級車に一人で乗っている光景にでくわすと、嫌悪感が走る。
きれいな車に音楽を流し、エアコンをきかせて走っている姿そのものがダサい。
「知性」を感じさせない、今どき流行らないのだ。
「イケてない」というところだろう。
脱線。
就職にあたって業種は「何となく可能性を感じるソフトウェア」から、商社、証券会社、コンピュータメーカーなど、ごった煮。
愚かしいが、初任給や福利厚生の充実度、なんかを気にしていたうつけものだ。(恥)
自分がそんなだったからこそ、こんなことをエントリしているのだ。
これから社会に出る人に、きちんと「職業」について考えてもらいたい、と。
以前もどこかでupしたが、
- 証券業は「株屋」
- 銀行は「金貸し」
- 税理士は「帳簿屋」
- 弁護士は「法律屋(あるいは訴訟屋とも)」
- SEは「ソフト屋」
- 百姓は百姓
どれも、その職業の「遺伝子」にはそんな性質が刻まれている。
その仕事の持つ、ルーツ(root)だ。
どんな仕事が「性」に合うか。
ずっと追求していけそうか。
よくよく、考えよう。
自分の場合、図らずも(汗)、
あらゆるアプリケーション(業種)と触れ合うことのできる「ソフトウェア開発」に従事できたことは幸運だったとも思う。
もっともその後、その「主軸」のなさに十年超、悩むことになるのだが。
ごく平凡なアホ学生の就職から二十年弱。
結果はまだ出ぬが、若いうちにいろいろ考え込むことだ。
(二十年後からのエントリ)