藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ドルとGMの関係


産経の社説より田村氏の「ドル覇権の代償」。
「ドルと米国とGM」というのはこういう表現ができるのか、とも感心した。


結局は省資源化、という「一度しかない最大のトレンド」に乗り遅れた、というかもともと米国人には「そういうもの」に乗るような慎重さというか、臆病さはないのではないか、とも思う。
良くも悪くもそんな楽天性がアメリカなのだ、という気がしている。
高騰する原油で、車が維持すらできなくなったら。


それなら、「そんな車」はもうアメリカで作らなくてよいではないか。
本音ではそんな風に感じているのではないか。
リッター2-3キロの低燃費で、しかし豪快な排気音で疾走するキャデラックは、とても「もったいなさ」を考えて作られたとは思えない。


せいいっぱい、為替を変化させてまで維持したビッグスリー、は静かに、でも素早く舞台から消えてゆく。


それにしても、コラムの最後数行、「基軸通貨ドル復権がなければ、GMにとってよい日は永遠に帰って来ない。」は重い一言。
すでに先週からエネルギー関連の先物は急上昇を始めている。


変化は予想を超えて速いのかもしれない。

【経済が告げる】編集委員・田村秀男 GM国有化、ドル覇権の代償

 「私は米国にとってよいことはGM(ゼネラル・モーターズ)にとってよいことだと思ってきたが、実は逆だ」(1953年、米上院軍事委員会でのGM首脳の証言)。
GMの盛衰は米覇権パワーの源、基軸通貨ドルが左右してきた。GMが強いときはドルが強い。
が、ワシントンがドル価値を切り下げる度に原油が高騰、ガソリンをがぶ飲みするGMなど米国車がシェアを失う。
このサイクルを繰り返した揚げ句、GMは「ガバメント(政府)・モーターズ」に転落した。GMの破綻(はたん)・国有化はいわばドル覇権の代償である。


 GM破綻のきっかけは、ちょうど1年前の原油価格高騰にさかのぼる。
2007年8月の低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)危機勃発(ぼっぱつ)後、米連邦準備制度理事会FRB)はドル供給を増やした。
投資ファンドは低利の資金を調達して原油穀物など国際商品市場に注ぎ込んだ。
原油価格は昨年7月には前年同月に比べて2倍に高騰した。
このあおりで米国車への需要は急減。9月に「リーマン・ショック」の追い打ちがかかり、全米自動車市場は30%以上も縮小した。


 リーマン・ショック後急落した原油価格は最近反転し始めた。
根本的な原因は「ベニーズ(バーナンキFRB議長の略称)・バブル」と呼ばれる。
FRBは金融機関から不良金融資産を大量に買い込み、数カ月間で1兆ドル以上のドル資金を垂れ流してきた。
1年前の悪夢が再燃、ドルは原油など商品市場に流れ込むようになったのだ。景気回復期待が強まるほど先物相場が上昇、GMの先行きを暗くする。

 米自動車産業の凋落(ちょうらく)はもともと、1973年、79年の2度にわたる「石油ショック」に始まる。
71年8月の「ニクソン声明」により、米国はドルを金(きん)から切り離し、ドルを切り下げたが、中東産油国はドル建ての石油収入の目減りに不満を持ち、動乱に乗じて価格をつり上げた。


 この結果、ガソリン消費の少ない日本車が米市場でシェアを伸ばし、GMなど米大手3社は苦境に陥った。
1981年、当時のレーガン政権は対米輸出自主規制を日本側にのませる一方で、ドル高政策をとって原油価格を下落させた。
85年9月にはプラザ合意でドル安政策に転じたが、世界的な原油供給の増加で石油価格は安定してきた。
この間、米3社は持ち直したが、利幅の大きい大型車に引きずられ、小型車への切り替えは進まないまま、金融危機にさらされた。


 今回の国有化後、GM再生の猶予期間は3カ月以内と短い。
トヨタなどに比べ圧倒的に遅れている「ハイブリッド車」への転換など間に合うはずもなく、従来の大型車種中心で行くしかない。
なおさら石油価格の安定、言い換えるとドルの安定が欠かせない。

 
GM国有化を事実上決定するや、ガイトナー財務長官は訪中し、胡錦濤総書記・国家主席米国債購入の継続を頼み込んだ。
ドルを代表するのは米国債である。


金融危機対策のための財政支出のために米国は今会計年度(2008年10月〜09年9月)、例年の5倍、約2兆5000億ドルの国債発行を迫られている。
世界最大の米国債保有国中国が購入を拒否すると、米国債は暴落。


米国債を売った巨額の余剰資金は原油など商品市場になだれ込み、石油価格は暴騰する。
基軸通貨ドル復権がなければ、GMにとってよい日は永遠に帰って来ない。