藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

内田効果。


昨日、知人に「お前のブログ、エラいことになってるで!」と聞いて、何のこっちゃと思ったら、どうも内田樹さんの結婚話を書いたことが原因しているらしい。
普段の数倍のアクセスがあったらしく、またそれを友人が教えてくれた。


いま思えば、自分がブログなどを始めたのもサンマイクロに勤める知り合いがわざわざ自分に「ウェブ進化論」を贈ってくれたからだった。

しかし、さすが正真正銘のアルファブロガー内田樹

なにせもうすぐ二千万pvに届こうというのだから、そのパワーは圧巻である。
自分の最も好きなプロガーなのだが。


しかし、なぜかその内田さんの結婚にはショックを覚え(何でかな)、うーむいろいろな人生があるものだ、と一人考え入る。
内田樹の結婚はそれほど自分には驚きだった。



しかし、それにしても。
そういえば。


予想したかった師匠の結婚。

これまでの「内田樹の研究室」で、かなりの「仄めかし」があったのではないか。

特に「婚活」とかの話とか。
このエントリー集、を今さらながらひも解けば、内田師匠が近く伴侶を娶るだろうことは、想像できたはず。
(別に私ごときが、それを予見できたから何だ、ということではない。自分で「それ」を予期できなかったことが悔しいのだ。自分の先輩とか、友人とか、そんな身近な人の身の上に「十代なイベントが起きたのに、自分もそれを知らなかった、というような時に感じる感情そのものである。)


自分も結構影響受けていたが、内田師匠の言は「10人いれば、そのうち7人と結婚できるのが達人」という一文に代表される。
つまり、その「もっとも達観した自分」というのは内田師匠その人だったわけだ。



さもありなん。
そう考えれば、つねに物事を自己責任でとらえ、修行に打ち込み、教鞭を取り、酒を飲み、原稿を書き、それらすべての自分をブログでまた俯瞰し、「そんなことをずっと続けているのが内田樹」なのである。


自分が共感する部分も、恐らくひとえにこの「俯瞰精神」なのではないか。
徹底的に痛快で、しかし厳格。
しかし、自分の弱さは隠さない。

しかし、まじめ。である。これが注目。


この度の結婚式のへの真摯な態度は、それだけで「大人の流儀」を感じざるを得ない。
奥さまの年齢はあずかり知らないが、きちんと、今できる「最高の挙式」への内田氏の「精一杯の取組み」が感じ取れる。
そして、それを翌日のブログの一片にきちんとアップロードすること。


それが次世代への、正しく、可愛いく、しかし真面目なメッセージなのだと思う。
婚活にモノ申し、恋愛や宗教のオピニオンリーダとも目される当人が、自らの実体験でもさらなる挑戦を並行する。


ただの物書きや評論家ではない。

内田樹はリアル世界で戦う「ストリートファイター」なのだと改めて思う。
この度の結婚とか、結婚式とか、あるいは十年以上前から続いているブログとか。
全ては評論家、と言われる氏の「実務への挑戦」なのではないか。

その時々を飾らない。
自らの志向する「あらゆる方向に触手を伸ばし」、努力し、挫折し、それでも前へ進む。

そんな強烈なメッセージを氏のテキストから感じてしようがない。


私家版・ユダヤ人文化論でも、日々更新されるブログからでも、何か「そんな魂」を感じる。
常に誰の挑戦も受け、
常に最前線で戦うアントニオ猪木、がカッコイイのは今に始まったことではない。


内田樹は文学界のアントニオ猪木なのかもしれない。
そう言えば、その見かけはちょっと似ている。


あれ。
書こうとしていたエントリのタネはもはや消滅。
師匠の話だけにて、本日は失礼。