藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

マゾのススメ。


今日のお題。

高い壁を感じること。
そしてそれを乗り越えてゆくこと。


大体、日常を過ごしていて。
何の負荷もない、ラクな日々を過ごしていたら、おそらく相当贅肉がつく。


毎日、普通に仕事してたり、勉強してたりの中で、なにか「抵抗」を感じていないと、なかなか「内的な成長」をなし得ない。
人間というのはそういうマゾ的な生き物である。


だから、あえて「そんな環境」を考え出してみる。
自分にとっての「高い壁」。


仕事であれ、
お金であれ、
趣味であれ、
異性とのことであれ、
先輩であれ。
家族であれ。


そんな「自分との関係者」との間でもぬるま湯でなく「高いカベ」を想定してみることは、なかなか自分の鍛錬に役立つ、ということは若いうちにはなかなか気付かない。
どちらかというと「壁など避ける」という方向に迂回しがちである。
それがセイシュン。(意味なし)


そりゃ自虐的だけれども、だが、誰よりも自分のそんな状態をわかっているのも四十代の自分である。
自虐的でよか。


いっつも「ちょっとムリ」なテーマに対して向き合い、常に「そういうもの」と対峙する。
それがさらに自分を「高み」に押し上げることを、自分は本能的に知っているから。


そんなことが「本能的」に自分に備われば、ずい分と人間的に鍛わるのではないか、と思う今日このころ。(とくに若い人ね)
ま、逆にいえば「そういう気持ち」がないと、なかなかじぶんにあえて「高い壁」を乗り越えさせるマインド、というのはでてこないのである。
だって、それって苦しいもの。


ね。
大いに「マゾのススメ」と言いたい。