藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

金本位主義への疑問。

asahi.comより。レイプの冤罪を受けた人に40億円が支払われるという。
何かの外部要因で被った損害は「お金」で償うというのが今の人間の知恵である。
どこの先進国も「そうした仕組み」になっているので、恐らくは「現在のところ最も合理的な方法」なのだろう。

相手に悪意があったのか、それとも不慮の事故だったのかでは罪深さはずい分違うと思うが、何か根本的に違和感を感じることも多い。
経済的な損失は「経済」で返せばいいが、時間的な損失とか、名誉とか、こうした冤罪などはこれからもずっと「お金」で代弁されていくのだろうか。
時間は時間で、お金はお金で、というような考えがどこかには必要な気がするのである。
意図的に人をあやめたのなら、社会に出てくることは原則許されない、というくらいにならないと犯罪の抑止にはならないのではないだろうか。

またお金をもらっても時間は当然帰って来るものではないし。

レイプ事件で冤罪、元少年らに40億円支払いへ NY市
1989年にニューヨーク市で起こったレイプ事件を巡り、刑に服した後に無罪となった元少年5人に対し、市側が約4千万ドル(約40億円)を支払って和解が成立する見通しとなった。ニューヨーク・タイムズなどが伝えた。

 この事件では、セントラルパークでジョギング中だった白人女性をレイプして重傷を負わせたとして、当時14〜16歳だった黒人とヒスパニック系の少年5人が逮捕された。逮捕後に自供した少年たちは公判では無罪を主張したが、有罪判決を受けて約7〜13年間、刑に服した。

 ところが、全員が釈放された後の2002年、他のレイプ事件で逮捕された男が犯行を認めた。DNA鑑定でも裏付けられたことで、検察側が5人について起訴を取り下げ、無罪が確定。「偏見に基づく捜査による冤罪(えんざい)事件」と位置づけられるようになった。元少年たちは03年に損害賠償を求めて提訴した。

 和解成立には、裁判所の承認などが必要だが、平均すると禁錮1年ごとに約百万ドル(約1億円)の支払いになるという。(ニューヨーク=中井大助)