藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

要するに大事なこと。

糸井さんのブログより。
最近糸井さん関係の記事多いね。と言われる。
だって「おっ」と思う事が多いので仕方ない。
共感する記事ばっかり書いていててもどうかなぁ、とも思うけどそれにしても日常の「無から有を産む」ような発見に気づくとうれしいものである。

先日OnはOffの家来じゃない
、という記事があったけれど、それはそもそもOnもOffも「そういう風」に切り分けるものじゃないよ、というテーゼだったと思う。
OnかOffか、と考える時点で"On"が重荷になっているということだろう。
もうやりたいことになればOn-Offなどは関係ない、というのは先輩たちからもよく聞かされた仕事観である。

寝食を忘れるというけれど、そこまでじゃなくても一晩か二晩は徹夜して仕上げなくちゃいけない、という場面はよくあるもの。
多分「何が何でもやりたいこと」と「いろんな役割があってやらなくちゃいけないこと」辺りの境目の問題なのだと思う。
だって「やりたい!」となればもう誰にも止められないし。
でも「どうしてもやってくれ」というとこれはやっぱり「仕事上の責務」という感じが色濃く出てくるものだろう。
特にチームで仕事をしていると自分だけで思いついて、自分だけで手掛けて完結する、ということはあまりない。
どうしても役割の分担が出てくると、自己都合ばかりで何でもやるわけにもいかないものだし。
せっかく「働く」という範疇のことをするのなら、少々のことは何でも「やろう」という気持ちで接することができれば、ずい分周囲の景色は違って見えるのに違いない。

長く社会人をしていく中では、結局「どんどんやりたい仕事を切り開いていく」ということがコツなのかもしれない。

・なにかをやりとげた人たちの話を聞いていると、
 ほんの少しの例外もあるけれど、たいていは、
 無闇にたいへんだった時期のことが語られます。

 「あのころは金がなかった」‥‥あるある。
 どれくらいなかったかというと、は個別にちがうけど。
 「夢中になって寝るのを忘れてた」‥‥あるね、必ず。
 机の下に段ボール敷いて仮眠をとってたとか、
 とほうもないプログラムを完成させたとかね。
 「業界の事情をまったく知らなかった」‥‥それもある。
 知らないからこそできたとも言えそうなくらいにね。
 
 だけど、こういうことを、やっぱりみんな、
 「おもしろかったなぁ」と語るわけです。
 「つらかった」と「おもしろかった」はセットです。
 でもね、こういうことをしてがんばろうなんて、
 もし企業のリーダーが言ったとしたら、
 これはもう「ブラック企業」、ということでしょうね。
 
 ぼく自身、「休みをとること」、「健康な日常」、
 「仕事以外の時間の充実」、「家族を大事に」
 というようなことを、積極的に言ってますし、
 「ほぼ日」は、そういう土台をつくろうとしてるので、
 「無闇にたいへん」な仕事のやり方を、
 無意識に、語らないようにしていたなぁと思うんです。
 
 寝食を忘れるほど夢中になるとか、
 とんでもないハードな仕事をなんとかするということと、
 健康で安定した仕事をしていこうということは、
 対立する考え方だと思われています。
 どっちもある、というのは矛盾だとも言われそうです。
 
 でも、ちょっと新しい見方はできないかなと思ってね。
 スリリングで夢中な状態と、健康で安定した状態を、
 交流電源のように高速で往復しているような
 「こころの状態」が、いちばん理想なんじゃないか?
 対立でとらえるのではなく、ダイナミックレンジとして、
 行ったり来たりできないものかなぁ、と。
 なにかやるときの「ワイルド」な時間とか経験って、
 捨てちゃうわけにはいかないものなんですよねぇ‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
スポーツ選手なんかは、交流電源的に生きてる気もするね。