藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最大の企業について

民主党顧問の藤井裕久氏のコラムより。
先の選挙でも憲法改正増税の問題について発言されていたが、歴史的な語りには説得力を感じる。
結局就業人口もGDPも減り始め、さあどうする、というのが今なのだが誰の目にも財源が足りないのは明らかである。
だから税金を増やすとか、支出を減らすとか国債を発酵するとか、要するに打てる手というのはそういうことしかないのだが、これがこと各論に入ると全然進まない。
企業の所得税減税をしないと日本から脱出してしまうとか、公共事業は増やすとか減らすとか。

それはもう変数が多すぎる方程式の解を求めるようなもので、およそ数学的に見ても永遠に決着しないだろうと思う。
だからある「方針」を決めてそれに沿って誘導していく必要があるのだが、ここ最近の政治を見ていると非常にはっきりしない感が否めない。
藤井氏の言う「目的税化」というのはそんな中でも「ある部分を固定して議論する」という意味で有効な仮説ではないかと思った。

今回見送られた増税にしても結局、福祉に使われるのか復興に使われるのか、社会保障か公共事業化がはっきりしない。
こういう場合、企業であれば有無を言わさずに財務を分析して支出を検討するのだが、これも民主党がやった事業仕分けでは結局よく分からなかった。
議員定数の削減も重要だとは思うが、削減すべきは行政にも余地が大きくあるだろうし、さらには業績(税収)を上げるためには…と散発的に国会で議論してもいつまで経っても収束しそうにないと思う。

年金の世代間扶養とか、直感的に見てもう持たないな、というものもあれば、バランスを考えて減らして行くべきものもある。
国民の数からしても、国は最大のコミュニティなのだから、まずシビアな財務分析を国民に示して、どの方向に導いていくのかを示してもらえば有権者の納得も得やすいはずである。

瑣末な論点はともかく、政党間の協議ではそうした国家経営論をまず闘わせてもらいたいと切に願う。

〈証言そのとき〉消費増税の道:1 「社会安定のため」信念

聞き手・小此木潔

2014年7月21日

藤井裕久財務相=山本和生撮影



■元財務相 藤井裕久さん

 消費税の税率が今年4月、5%から8%に上がった。1997年に税率を5%に上げてから17年間、日本経済は物価が下がり続けるデフレーションに苦しみ、政治は増税という「政治決断」を尻ごみしてきた。民主党政権での3党合意を経て、ようやく実施にこぎつけた舞台裏と課題を、「福祉のための増税」を唱えた元財務相藤井裕久さん(82)が語る。

■安倍政権、やり方が乱暴

 自民党公明党の連立による安倍政権の消費増税のやり方をみて、「これではいけない」と私は思っています。

 消費税の税率引き上げは、あくまでも年金、医療、介護、子育てという「社会保障の4経費」にしか使わないということが法律にすでに定められています。ところが、安倍政権で、そこがあいまいにされつつある。法人税の実効税率を下げる方針が財源の確保もなしに決められたことはその象徴です。増税の根本が変質してしまっているといわざるをえません。

 このままでは、国民は増税に不信感を抱き、今後はなかなか増税に耳を貸さなくなってしまうのではないでしょうか。それは社会保障の基盤を危うくすることにほかならず、国民にとって不幸なことです。

■先輩の反省生かす

――2012年3月30日に民主党の野田政権が国会に提出した消費増税法案について、民主、自民、公明の3党が修正協議で合意。同年8月10日に成立した消費増税法は、目的税化については原案通り「消費税収は(地方交付税のほか)年金、医療、介護の社会保障給付並びに少子化に対処する施策の経費に充てる」とした。

 消費税収は、企業の税負担軽減や公共事業はもちろんのこと、教育関連の事業にも使ってはいけないのです。3党が消費税を「社会保障目的税」とすることに合意し、法律に明記したのですから、この基本に背くことは、税制改革の根本をないがしろにすることにほかなりません。

 私は、ことあるごとに「これまでの増税の失敗は、消費税を財政の穴埋めに使おうとしたことにあった」といい続けてきました。尊敬する元首相・大平正芳さんも、この点は克服できなかったのです。

 先輩たちの反省をなんとか生かそうと、考えたあげくに私たちがたどりついた結論が「消費税の目的税化」でした。増税で得られる税収を、社会保障の4経費以外には使わないようにすることで、国民の理解が得られると考えたのです。

■小沢さんが中心に

 民主党政権で私は党の税制調査会長として、消費増税ができなければ、日本の社会は安定しないと考えていました。だから、民主党政権でなんとか決めたいという気持ちでした。

 消費増税は、大蔵(現財務)官僚の筋書きを政治家がなぞったかのようにいう批判があることは、私も承知しています。けれども、大蔵省はずっと、消費税の目的税化には反対でした。これを軌道修正したのは政治家であり、小沢一郎さんがその中心的役割を果たしました。

 小沢さんはみなさんがご存じの通り、3党合意に関して、消費増税は時期尚早だといって反対しましたから、増税反対論者のようにも思われています。しかし、もともとは増税社会保障のために必要であり、そこを明確にすれば国民の支持は得られるという考えの持ち主でした。

 その具体的なあらわれが、細川政権の「国民福祉税」の提案でした。

――1994年2月に細川護熙首相が深夜の記者会見で、消費税を廃止し、税率7%の「国民福祉税」を設けて、主に社会保障の財源とすることを提案した。しかし、7%について「腰だめの数字」と答えるなど十分な説明ができなかったことなどから国民の反発は強く、連立与党内の足並みの乱れもあって、たちまち撤回に追い込まれた。

 いかにも唐突な提案と受け取られ、挫折しました。会見で私は大蔵大臣として細川さんのわきに座っていたのですが、どうすることもできなかったのです。しかし、あえて言わせてもらえば、現在の消費税は、こうした目的税化の構想の延長線上にあるのです。

 国民福祉税を仕掛けたのは新生党代表幹事だった小沢さんでしたが、この当時、名前は「福祉税」でも、実際は赤字財政の穴埋めを優先したい大蔵省の意図が色濃かった。消費税を特定財源のように扱おうとしたが、中途半端でした。そこが国民の不信につながっていたのです。

 小沢さんは、この細川政権の失敗を反省し、その後は自由党の党首として「特定財源化」を主張し、自民党および公明党と連立政権をつくった際、これを連立の条件としてのませることに成功しました。ここから、消費税を福祉目的税とする流れができたのです。

 私は細川政権の大蔵大臣と、政権交代で誕生した民主党の鳩山政権の財務大臣、その後は民主党税調会長などを務め、つねに消費増税の実現に努めてきました。社会の安定を支えるには、税がどうしても大切だと考えたからです。

防空壕の中で誓う

 45年3月、東京は何度目かの激しい空襲を受け、隣家まで焼けました。防空壕(ごう)の中で「生き残ったら、民衆が二度とこんな目に遭わない社会をつくるために役立ちたい」と思いました。父は医者でしたが、「社会を良くするには、医者の道よりも法学部へ進め」と言いました。

 大蔵省に入って、社会の安定のためには、社会保障の財源の確保が欠かせないと痛感しました。高度成長期には、その財源を確保するのは難しくなかった。けれども、高度成長が終わると、財源はもう成長頼みでは確保できない。結局のところ、大切な社会保障の維持・充実を図るには、財源を増税で捻出するしかない時代になったということなのです。

 大平首相が唱えた一般消費税、中曽根康弘首相が提案した売上税は、そういう発想からでした。しかし、なかなか成功しなかった。竹下政権が89年に税率3%の消費税を導入しましたが、その後は97年に橋本政権が税率5%としたものの、8%にするまで17年もかかったのです。

 それはなぜかといえば、消費税収を何にでも使える制度のもとで、公共事業などの無駄遣いの後始末にも使われ、不信を招いたからだと思うのです。

 こうした不信をぬぐうには、消費税を社会保障目的税にするしかない。そういうことでせっかく3党合意ができ、消費税率引き上げが実現したのに、安倍政権はなし崩し的に、税収を企業減税や公共事業にも使えるようにしようとしているのです。

 安倍政権のような乱暴なやり方ではなく、もっと福祉とその財源についての国民の理解を大切にするリベラルな政治を、大平さんに学んで復権させなくてはいけません。でないと国民が不幸になります。

 経済社会の変化を振り返りながら、消費税の役割を考えてみましょう。

 55年に大学を出た私たちの世代は、「ヨーロッパに追い付け追い越せ」という気持ちでした。そうして68年にGNP(国民総生産)で英独仏を追い越したわけです。そのころになって、「くたばれGNP」と世間で言われるようになりましたね。その背後にあった思想とは、「経済規模を追うだけのやり方は、もういいじゃないか。社会保障や個人の幸せを追え」ということで、それが新たな目標になっていきました。

 佐藤栄作内閣の末期に老人医療無料化の導入が決定され、田中角栄内閣でも「社会保障はしっかりやろう」ということになった。池田勇人さんの時代はひたすら所得倍増だったが、佐藤さんのころから「経済社会発展計画」と言い出したように、社会保障を意識するようになったんです。

 その当時は、高度成長だから財源の裏付けはできると考えていた。しかし現実はそうではなかった。ボン・サミットでカーター米大統領が機関車論を唱え、福田赳夫内閣は日本の78年度予算で「7%成長」を目指したが、できなかったんです。高度成長の条件が崩れた。変動相場制への移行とオイルショック後の石油高騰がきっかけだと思う。

 大平正芳さんは、福田さんのやり方では社会保障の財源確保は無理だと考え、79年の総選挙で一般消費税を掲げて大敗。鈴木善幸さんの時代に土光臨調で政府の無駄をなくしていく努力をしたのち、中曽根康弘さんの売上税構想、竹下登内閣でやっと消費税導入が実現します。

 経済が高度成長できなくなると、社会保障を安定させるための税として、消費税に期待が集まったのは当然のことでした。

 このままだと社会保障のための政府支出は増え続け、ますます国債増発が必要になります。ギリシャと同じとまではいかないとしても、国債の相場が下がり、金利が上がります。中小企業や暮らしが圧迫されるばかりではありません。金融機関がたくさん国債を持っているので、かりに国債が暴落したら、金融大恐慌になります。

 だからいまのうちに社会保障の財源を、納税者が納得できる「社会保障目的税化」という方法で、きちんと確保しなければならないのです。(聞き手・小此木潔

     ◇

 ふじい・ひろひさ 1932年、東京生まれ。55年大蔵省(現・財務省)に入り、主計官などを務めて政界に転身。自民党参院議員を経て衆院議員となり、細川護熙政権で蔵相に就任。羽田孜政権でも引き続き蔵相だったが、その後は小沢一郎氏とともに行動し自由党幹事長、民主党幹事長などを歴任。民主党鳩山由紀夫政権で財務相。2011年には民主党税制調査会長として、消費増税を決める総会を仕切った。12年11月に政界引退。現在は民主党顧問。