藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ないものねだりの先がある

大手企業で人事部長を務める友人の話。
最近の応募者は正社員志向が非常に強いという。
特に中途採用の求人はその傾向が顕著だとか。
総務の募集に「営業は?」「大丈夫です!」とか広告のスタッフ募集に「経理の部門は?」「結構です」といった具合。
「あなたの希望とはかなり違うけど?」
「それでも雇ってください。」
多分語尾には聞こえないけど「何でもいいから」という一文が付加されているらしい。

何でかというともう三十代のころから「六十以降のこと」を心配しているらしいとのこと。
ちょっと早すぎると思うが、友人曰く、そうした空気を形成しているのは今のメディアに責任があるという。
確かに日経新聞でも年金とか老後の記事を目にしない日は少ないし、またビジネス系の週刊誌などでも頻繁に特集が組まれている。
若い世代の人の目にも当然触れている訳で、「経済成長マイナス」「ハイパーインフレ」「年金減」「独居老人」「介護難」などと毎日聞かされていては気分そのものが暗くなろうというものだ。

安定しない、と言われると安定が欲しくなる。
本当に安定するかしないかは、実はまだこれからの自分次第なんだけれど、「このまま何もしないと老後に困る」と言われると言いようのない不安が首をもたげるのも道理である。
老後にどんな暮らしがしたいか、というようなことは若いころの価値観からはずい分変遷するものだし、それを何十年も前から考えて「安全策に走る」というのは却って将来を制約してしまうものだと思うが、志向が守りに入ってしまうとそんなアブない話には耳を貸さなくなってしまうのだろう。

毎月きちんと貯金することはいいけれど、可処分所得をすべて貯蓄に回して老後に備える、というののも広がりがない。
先のことを考えないのも無策だが、あんまり老後のことなんかを気にしていては、周囲のチャンスを逃してしまうのじゃないかと思うのである。
四十代までは、少々後先のことは置いておいて色んな新しいことに挑戦してみてはと思うのだった。
あ。
五十代だ。