藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

社会を良くする企業。

もう30年前の話。
「企業の目的は利益の最大化である」というスローガンを聞いて"えっ?"と思った。
「最大化」に引っかかったのである。
「最大でなくてもいいじゃないか」と直感的に思ったのだ。
でもこれって大学の経済原論でも一番最初に習うフレーズなのだ。

就職してからサラリーマンになっても、しばらくして会社を興してからもずっと引っかかっていた。

ちょっと逆説的に言えば「誰もこんな問題については教えてくれなかった」のだ。

「会社は社会の公器」だという。
その公器が「利益の極大化」って何かおかしくないか。

それから月日が流れ、ボランティアとか、環境配慮とか、CSRとか、いろいろと新しい造語が登場してきたけれど、根本的に「そういう視点」が足りていなかったということだと思う。

渋沢栄一が、戦後早くもその必要性を説いていた、というから「そこ」が只者ではない。
「ソーシャル」とか「責任」という言葉を持ち出すまでもなく。
江戸時代から日本の「商人(あきんど)」はそういうことをしてきた、というのは色んな史実を見ても明らかだ。
ちょっと欧米化し過ぎて「ちょっと忘れていただけ」なのだと思う。

思えば利益至上主義が「ちょっとおかしな思想」だっただけのこと。
古(いにしえ)の遺産を自分たちはもっと大事にしたいと思う。

核心社会派「B企業」の逆襲
渋沢栄一に学ぶ新興国 編集委員 梶原誠
2016/6/27付日本経済新聞 朝刊

起業とイノベーションの街、米シリコンバレーで青年は熱く語っていた。「考える時間を人々に作ってあげたい」。デビッド・ブルナー氏(37)は2011年、こんな理想を掲げてモジュールQを創業した。

メールや交流サイト(SNS)の発達は、人をパソコンやスマートフォンスマホ)に縛り付けた。メールの確認、取捨選択、返信……。知識労働者が取られる時間は週30時間に上るといわれ、ストレスは社会問題にもなっている。

ブルナー氏は人工知能(AI)を使い、顧客が必要な情報のみに接することができるようなソフトウエアを開発している。

同氏はかつて、株式市場の求めに応じて短期的な利益を極大化する米企業に絶望していた。「人員削減で社会を傷つけてまで利益をかさ上げする米国のまねをしてはならない」。米ハーバード・ビジネス・スクールの学生だった07年には訪日し、啓蒙活動もした。

だが今は違う。同氏自身が米国で起業したように、「米国でも社会を良くする企業が評価され始めた」という。根拠は「B企業」と呼ばれる企業の急増だ。

Bはベネフィット(恩恵)などの意。B企業を名乗れば「社会に恩恵をもたらすことで成長する」と宣言するに等しい。有機野菜の生産で人々を健康にしたい企業が、株主から「無農薬化の研究費を配当に回せ」と迫られても、「うちはB企業だ」と一蹴できる。
10年以降、米国の30以上の州がB企業の法的な枠組みを整え、2000社以上が地位を得た。民間でも米NPOがB企業の認証を進めており、米国はもとより世界の2000社近くを認証した。再生素材を製品に活用している米高級アウトドア衣料メーカー、パタゴニアは一例だ。

米企業の磁場が、短期的な株主から社会へと移動している。きっかけは、08年のリーマン危機だった。

リーマン・ブラザーズなどの金融機関は目先の収益を意識するあまり、バブルの危うさを知りつつ住宅ローンの証券化商品への投資をやめられなかった。その結果引き起こした危機は社会を傷つけ、人々の怒りは11年のデモ「ウォール街を占拠せよ」で爆発した。

危機は「良い企業」の定義も変えた。危機の前は高収益企業として輝いていたウォール街だが、今は世論を背景とする規制強化が収益を圧迫し、社会を敵に回した代償を払っている。存在感があるのはかつて「理想先行」と軽んじられ、文字通り「B級」扱いされていた社会派企業の方だ。

社会に役立つ経営が主流になれば、世界的な企業は新興国からも出てくるだろう。社会的な問題が多く、企業が活躍する余地が大きいからだ。経営者の視線も新興国に向いている。

インドのバンガロールで糖尿病の治療機器を開発するジャナケアはそんな会社だ。11年、最高経営責任者(CEO)のシドハン・ジェナ氏(32)がハーバードを卒業後に米ボストンで創業し、まもなく移転した。

「インドでこそ糖尿病に取り組むべきだと思った」と同氏は振り返る。インドの成人糖尿病患者は世界2位の6900万人に達し、半数は受診すらしていない。日本の4%以下という所得の低さが原因だ。

ジャナケアは自宅で手軽に治療できる機器を開発した。血液を採取しスマホにつないでデータを送信すれば、生活習慣を改める助言が得られる。業務や部品の効率化で1回の検査費用は1ドル以下に抑えた。販売初年の今年、50万人の顧客獲得を目指す。

同社はインドに次ぐ糖尿病大国で、医療費の高騰が社会問題化している米国に逆上陸する計画も進めている。「厳しいインドで成功すればどこでも通用する」とはジェナ氏の読みだ。

成長すれば株主も報いられる。潜在力をかぎ取った米国とカナダの投資家は昨年、合計400万ドルを出資した。マネーを引き付けたのは四半期決算ではなく「社会」の看板だった。

そんな新興国が、日本の企業風土に学ぼうとしていることは注目に値する。社会と共存する経営は、確かに日本企業の伝統技だ。

5月、東京で興味深い学会が開かれた。日本とトルコの経営学者が、渋沢栄一(1840〜1931)の理念をトルコ企業にどう応用できるか討論した。

渋沢の発想はB企業と重なる。明治以降、500以上の会社を創設した渋沢には「社会あっての会社」という信念があった。その渋沢が今「新興国の関心を集めている」。学会を運営した文京学院大学の島田昌和教授(55)は証言する。

政府との蜜月で成長した新興国の家族事業も、株式市場を舞台とする経営に変わる。そこにはリーマン危機を迎えたウォール街のように暴走の芽がある。
だからこそ、社会の歯止めを持つ渋沢に経営のヒントがあると新興国は期待する。8月、世界の経営史学者を集めてノルウェーで開く会合でも渋沢経営の新興国への応用を取り上げる。
 英国が欧州連合(EU)からの離脱を決め、世界経済が一気に不透明になった。戦略の練り直しを迫られる世界の企業も多い。
 もちろん、その中にはB企業もいる。どんな決断をするにせよ、経営者は「社会」を軸に据えなければならない。リーマン危機以来とされる衝撃は、B企業の底力を初めて問う。