藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

明るい超・近未来を思う

別にテクノロジーの話だけに限ったことではないけれど。
未来のことを想像するのって楽しい。
少子高齢化とか、ちょっと暗い未来のこともあるけれど、それとてまだ色んなやりようがあるだろう。

ましてや明るい未来のことを考えません?
地下を弾丸カーが走るとか、ドローンタクシーが営業するとか。

製造でも、医療でも、通信でもサービスでも、いっぺんに何か新しいことが起こりそうな予感がする。
こんな感覚は高度成長期のそれとも違うだろう。

そんな未来像を象徴するのがamazonだという。
今になって、そうなのかもしれないなと思う。

ずっとCEOのジェフ・ベゾスをプロファイリングしていて感じるのは、彼がすごくこだわっているのは、人間の本能とか欲望だということです。
(中略)
彼はビジネスのなかで、人は信じていないと動かない、という点についても本質的にわかっていると思うんです。

性善説
「ダークサイドに落ちないこと」はインターネット黎明期のポリシーだったはずだ。
AIが仕事を奪うとかいう「黒船脅威論」には与せず、これからの明るい未来を「リアル」に考えてみることが今一番大事なのではないだろうか。
朝起きてから身支度をして、
仕事をして(家にいながらかも)、
アフターファイブを過ごして、1日が終わるまでに、今までとは違う楽しいことがテクノロジーを中心にして色々ありそうです。
それは「煩わしさのない世間」なのかもしれません。
想像するだけで楽しそうです。

2022年、我々はどんな自由と幸福を手にしているか
 気鋭のSF作家・藤井太洋が、近未来小説『ハロー・ワールド』を出版した。ストーリーの面白さはさることながら、アマゾン、、ビットコイン、完全自動運転など、最新のITテックがすんなりとよくわかる、と好評だ。

田中道昭氏は、『アマゾンが描く2022年の世界』でアマゾンが仕切る近未来を描き、衝撃をもたらした。

東京オリンピックを挟み、激変するこれからの4年について、お二人に語ってもらった。

藤井太洋
電子書籍がデビュー作の異色作家
 田中 『ハロー・ワールド』、最新のテクノロジーが満載で、また、かなりディテールにこだわってリアルに書いていらして、映画を見ているようでした。

藤井 もともと紙の本ではなく電子書籍デビューだったので、自分の知人や友人のエンジニアたちに、小説書いたから読んで、と広めてきた経緯があるんです。あんまり手続きを短縮したり、想像でえいやっと書いたりすると、なんかここおかしくないか、といった突っ込みが入るので(笑)。

田中 なるほど。相当マニアックな読者がいるんですね。

藤井 そうです。IT系のマニアックな読者がはじめからついていたので。

田中 今回の作品にも、冒頭からプログラミング言語のようなものが登場しますね。ITまわりの勉強にもなります。

藤井 これを読んで、開発に入ってみようかなとか、海外に出てみようかなと考えるとっかかりになってくれれば嬉しいですね。

田中 お互いの仕事は全然違いますが、目的意識、問題意識が僕と似通っていると思いました。日本は今、テクノロジーの急激な変化に出遅れている現状ですから、本を書いたりオンラインで配信するときには、危機感や問題意識を高めたいと考えている一方で、同時になんとか「日本の活路」を示したい、と考えています。この『アマゾンが描く2022年の世界』でも、最終章に読み手をインスパイアしたい気持ちを盛り込みまして、そのあたりに同じものを感じました。

これだけテクノロジーの進化が激しいなかで、たとえば自動車の業界を理解するのにも、IT、電機、通信、エネルギー、さまざまなものがフュージョンしていますから、それぞれのことを深く、同時に知らないと読み解けない時代がきているんですね。そしてどんどん過去のものになっていく。そのあたりにも共通点を感じました。

藤井 『ハロー・ワールド』におさめた5つの短篇は、基本的に自分自身が体験してきたことを、設定を未来に変更して小説にしたものなんです。たとえば一話目は、アプリを作っていて、利用者がいけないことをしているのを見つけたことが素材になっています。

田中 その話はじっさいにあったことなんですか。

藤井 はい。国はインドネシアではなく、アラブの春テヘランですけれど。

田中 国名も実際の企業名もそのまま出てくるので、そのあたりもリアリティがありますね。

藤井 そうですね。日本の小説だと普通はぼかしたりするんですが、グーグルを想定した会社、アップルを想定した会社、アマゾンを想定した会社、と名前をつけていくと何がなんだかわからなくなってしまいますし、リアリティがどこにもなくなってしまうので、いっそのこと全部、実名にしました。

田中 ご存じのようにNETFLIXなどの動画配信の世界でも、コマーシャルの代わりに、作品のなかにそのスポンサーの商品を登場させるやり方が増えていますから、やはりリアルなものを登場させないと、読み手側もリアリティを感じなくなっていますよね。

藤井 倫理的に許されない、たとえば人体実験する会社などといった場合には、やはり実名は出せないと思いますが、幸いこの『ハロー・ワールド』ではそういうことをせずに、全部、実名で通すことができました。最後の最後にブロックチェーンについて書けて、本当によかった。
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田中道昭氏
顧客を信用するところからスタートしている
 田中 「近未来」ということでいうと、日本の場合は、2020年がいろいろな起点になっていますね。東京オリンピックのときに、都内の特定地域をe-Paletteなどの完全自動運転車が走る、というところまではすでに想定内で、ドローンがいろいろな用途に使われたり、ライドシェアなどもスタートするでしょう。これらがその後、社会実装できるかどうかがポイントになってくると思います。

あと、Amazon自身が発表しているわけではないのですが、今から3年後までにAmazon無人店舗が3000店展開されるというニュースが先日流れました。3年後に3000店舗というスピードはAmazonでは決して非現実的ではないし、そのなかの5%強、150店舗ぐらいが日本での展開、というのも決して非現実的ではありません。むしろ日本企業はそう考えて対処すべきかと思います。

藤井 今夏アメリカに行ったときに、Amazon GO(Amazon無人店舗)に寄れなくてすごく残念でした。Amazon GOだけでなく、アメリカやヨーロッパの社会システムって、他人や顧客を信用するところからスタートしている部分がすごく多いんです。たとえば、自動改札にはゲートがなくて、支払いをしたという事実さえあれば、そのまま電車に乗れます。

こういった顧客が信用されている世界だからこそ、Amazon GOが成り立ちうる、というのを感じます。中国が今、日本を飛び越えてそうなりつつあります。日本は顧客を信用する段階にまだ至っていません。

田中 リーダーシップ論も私の専門のひとつなのですが、心理学とか行動科学からいうと、決してきれいごとではなく、リーダーたるものは部下を信じ切るしかないのです。たとえば、自分の上司が自分のことを信用していない、というのは潜在意識レベルでわかりますよね。そのときにその上司のために頑張ろう、と思えますか? 

なんとか頑張ってみても無理ですよね。逆に、自分に部下がいるとして、その部下のことをあまり信じていないことって、その部下に伝わりますよね。その部下が自分のために頑張ってくれるかというと、これも難しい。信じ切るしか実はないんです。

藤井 そういう前提というか、物語というか、人の振る舞い方というのがモデリングされていないと、なかなかIoTも使いにくいだろうという気がします。じっさいにはAmazon GOで万引きをする人はいるはずなんですよ。でもその多少の万引きする人をとがめ立てしたり、ゼロにする努力をせずに、顧客カスタマーを信用することで、あれだけの大きなビジネスを展開していくことができる。

田中 Amazonがどこまで人を信用するという前提でビジネスをしているかについては、いろいろな見方があると思うんですが、ずっとCEOのジェフ・ベゾスをプロファイリングしていて感じるのは、彼がすごくこだわっているのは、人間の本能とか欲望だということです。

一対一の関係性で彼自身が人の気持ちをどこまでわかっているかはともかく、人間の本質についてとんでもないこだわりを持っていて、そこから構築されたビジネスは、何よりも先鋭化していて新たな価値が生まれている。彼はビジネスのなかで、人は信じていないと動かない、という点についても本質的にわかっていると思うんです。

藤井 自動改札のゲートを撤廃することや、社会保障に対しても「ずる」をしてもらっているような人を追及しない、こういったことは、社会モデルとして社会全体でやっていく必要がありますね。

アメリカで80年代に、welfare queen(福祉女王)という言い方がありました。社会保障をもらって裕福な生活をしている連中、といった意味合いです。こういう言い方をしたり追及するのは卑しいことだ、というのがポリティカル・コレクトネスです。

最近はまた、トランプ大統領のせいで逆行していますが、社会全体で戒めることによって、福祉を利用することの後ろめたさが減る。そして、子どもを作ってもなんとかなる、そういった安心感に繋がっていく。今、日本の社会からはこれがほとんど感じられないですね。自動運転車にしても銀行のシステムにしても、事故やシステム停止を異常に恐れて、保険でなんとかなる、どうにかしていこう、というところがない。

田中 それでいうと、中国はどんどん進化しています。たとえば自転車シェアリングにしても、今は24時間リアルタイムで、いつでもピックアップされています。倉庫管理なども、完全自動化しています。日本で何でそれができないかというと、外箱がちょっと崩れるとか、箱と荷物のサイズが微妙に合わないとか、そういったことにいちいち対応するからなんです。とりあえずやってみて、どんどん高速で修正していくというリーンスタートアップの精神がないと難しいです。

藤井 日本はあらゆるレベルで寛容さが足りない。「自分がやった仕事が完璧だと思いたい症候群」ですね。とりあえずやってみる、ということにブレーキがかかるのが辛いですね。そのうち、テクノロジー発展のベースとなっている基礎科学技術も追い越されてしまうのでは、という危機を感じています。
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一度ブラックリストに載るとアウト、を変えるべき
 田中 藤井さんがおっしゃるように、日本人のやり方やカルチャーのなかで、ここだけは変えないといけないと僕が思う根源的分岐点は、失敗を許容する社会かどうか、ということです。

藤井 寛容さですね。

田中 昨年3月にイスラエル国家から招聘されて行ってきて、いろいろな起業家と話をしたのですが、イスラエルでは、初めて起業した人よりも二回、三回、失敗した人のほうが、じっさいに資金が集まるんですよ。スタートアップしても、いきなりうまくいかないのはわかっているし、いろいろな経験をした人の方が評価されて、投資家の資金もつきやすい。

藤井 起業する人の数も多いですからね。

田中 しかも失敗しても、またサラリーマンに戻るとか、いくらでも他の仕事ができるんです。日本だとご存知の通り、起業して銀行に返さないとブラックリストに載り、お金が借りられなくなるし、おそらく大企業に勤め直すということも難しいでしょう。やったことが全部成功するなんてあり得ないわけですから、リスクを取らないと新しいイノベーションは生まれてこないんです。特に大企業において、ここが分岐点だと思います。

藤井 日本はもともと大企業の中からイノベーションが始まる国ですからね、ホンダにしてもヤマハにしてもソニーにしても。その大きな企業が社会のように人を優しく包んでいてくれたから、好きなことができて飛び抜けた人が出る。

田中 この日本の差し迫った状況下では、寛容さを求める、という曖昧さよりはピンポイントで失敗を許容する、ということを求めたいですね。

――それは具体的にはどういうことでしょうか。

藤井 起業家が失敗して、赤字を出したときに投資家があきらめてくれる、ということです。そもそも、今度の民法改正で連帯保証人制度が変わって契約に保証額を明記するように変わりますが、連帯保証人制度は本来、禁止しなくてはならないんですよ。契約のなかで、この人に保証してもらわなくてはならない、あるいはもう一人連れてきて、という形は違法の国が多いです。

田中 ぼくはもともと金融の人間だったから、借金を返さなくて良い、ということについては意見があるんですが(笑)、起業して銀行借り入れをし、倒産して返せない場合、法律に則って破産手続きしますよね。そこまではよい、と。

日本の何が問題かというと、倒産したあとにブラックリストに載ってしまって、二度と銀行の借り入れができないことです。会社の取締役にも入れない、上場できないなど、二度とスタートアップできないんです。事実上の社会復帰ができない、このあたりは変えていかなければならないですね。

藤井 本当にそうですね。日本の場合、ベンチャーキャピタルの資金も銀行から出ていることが多いんです。アメリカの西海岸とか中国のように、成功者が自分のお金を使って投資をするよりも、銀行系のファンドの一部として運用されていることが多いので、査定の基準が銀行基準になってしまっている。ですので、ベンチャーキャピタルが銀行のブラックリストに縛られてしまうんです。
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写真:現代ビジネス
人は死ななくなる
 田中 テクノロジーの進化ということで今回ぜひお話したいのが、医療の話です。立教で6教科担当しているなかでメディカル・ビジネス論も教えているのですが、がんを研究している若いドクターが、がんの治療もかなり進化してきて、今までは対処療法的に抗がん剤治療が中心だったのが、個別診断でピンポイント治療、いわば感染症のように治る時代になってきているというのです。

そうするとこの先、がんが克服される時に「がんの克服」という一大ミッションは役割を終えるわけです。研究所のミッション自体を刷新する時期が到来したと話していました。

シンギュラリティ大学のレイモンド・カーツワイル氏は、今の人間の形をしている人類は、2035年ごろに終焉を迎えるという予想をしているんですが、すでに再生医療や不老長寿医療、3Dプリンターで作る臓器なども含め、50年後に僕が100歳を迎えるとき、若返りのテクノロジーも進化していて、もし生きていたとしたら今の100歳とは見た目も違う100歳だろうと思います。人は死ななくなるような時代がくるんですね。

藤井 ここから50年の間で、間違いなく人間は「死なない存在」への第一歩を踏みだしますね。カーツワイル氏は、臓器の取り替え以外にも、意識をコンピューターの中に入れてしまって、その中で生きるという提案もしています。しかし、仮に完全に意識をコピーして、無限の命をデジタル世界で得たとしても、「苦しんで死ぬわたし」は残るので、苦しみがなくなるわけではない。

変化というのは、少しずつ起きていくと気づかないものです。たとえば、インプラントで歯を取り替えると寿命が伸びますし、事故にあって人工関節に替えても寿命が延びるかもしれない。こうやってマイナーチェンジを重ねて、少しずつ変わっていて、気づいたら平均年齢が100歳になり、高齢者と呼べるのは75歳以上、いや、80歳以上になっていくかもしれない。

あと、人生の前半部の二十年で自分を食べさせてくれた技術は、その次の二十年で自分を食べさせてくれるかは保障がない。生きていくための働き方、暮らし方のスキルセットを何度も入れ換えることが必要だし、配偶者が生涯の伴侶ということも少なくなってくるでしょう。

田中 先ほどお話したイスラエルの彼は、何十年か先には全てAIが仕事をやって、我々はユニバーサルインカムで自由に暮らすのでは、と言っていました。

藤井 そうなっても、人は仕事をして報酬を得ていると思いますよ、満足を得るために。

田中 3年ぐらい前アメリカで、自動運転が普及した時に自分で運転するのはエゴだ、という論調がありました。そういう風にはなって欲しくないですね。自動運転が普及しようが、AIが普及しようが、自分で運転したり仕事をするという余地は残っていて欲しい。個性と個人の選択は重要です。

藤井 そうなると、20代の頃の借金で二度と起業できないというのは、なおさら許せないですね(笑)。