藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ロジックの氾濫(2)

*[ウェブ進化論]AIが取り囲む社会。
日経より。
AIによるプログラミングやデータ処理の自動化がいよいよ進んでいる。
「どんな判断のロジックがどこで動いているか」をすでに人がすべて把握できない時代になった。
SF映画で「コンピュータが勝手に武器を製造して人を攻撃し始める」というのも、そういうロジックを作っておけば「きちんと処理される」だろう。
怖いのは、そういう制御できないほどのプログラムを処理できる「ハードとソフト」という道具に違いない。
刃物が生活を便利にし、でも人を傷つけるのと同様に、コンピユーターも「ただ利便性のため」では許されない存在になってきたのだ。
 
GAFAと呼ばれる米国のIT大手が情報を独占している、という話題はまだこれからの「AI氾濫時代の序章」の現象に過ぎないだろう。
オークションハウスのクリスティーズが昨秋、アルゴリズムが生み出した絵画をニューヨークで出展したところ、43万2500ドル(約4800万円)もの値段がついた。
14~20世紀の肖像画を1万5千点もAIに読み込ませて描いた。これ以来、AI絵画は大流行している。 
こうしたあたりが「AIとリアルの融合」の水際になりそうだ。
4800万円の絵の価格は、多くの作家の作品よりも高いだろう。
さらに。
数歩下がって見ると、人間同士がやり取りしている周りを、AIがぐるりと囲んでいるように感じられないだろうか。
我々はただのデータ生成機械ではないかとも見えてくる。
そうか。
生の「意外なデータ」は人間が作ってサンプルを出せばいい。
AIはそれを、膨大に・自由に加工して、より広く大量な結果を生み生み出すことができそうだ。
AIとの共存には、それくらい「彼らとの関係を俯瞰する目」が必要になると思う。
人の役割は、ますます創造性を問われる時代になりそうだ。
 
 
アルゴリズム絵画4800万円 AI学習データ、誰のもの?
2019年5月1日 19:30
アルゴリズム絵画4800万円 AI学習データ、誰のもの?
このところ、人工知能(AI)が学習のために使うデータは一体誰のものか、という議論が目立っている。
IBMはAIの学習のため、フリッカーに投稿された顔写真を断りなく用いた
最近では、写真共有サービス「Flickrフリッカー)」に投稿された人の顔の画像を100万枚利用して、米IBMがAIの学習用に処理しデータセットとして研究用に共有すると発表して、反論が巻き起こった。写真に写った誰も、自身の顔が利用される許可を求められなかったからだ。撮影者にも断りはなかった。
フリッカークリエイティブ・コモンズ(CC)の画像の投稿で知られる。CCは指定のクレジット記載に従えば、無料での利用に同意するもの。だがリユースやリミックスなど創造目的が前提で、AIを訓練するデータとなるとは予想外のことだ。
IBMは公正な顔認識技術を実現するため、フリッカーの顔写真を使ったという。
学習データが偏ると、AIが判断する結果にも受け継がれる。皮膚の色が濃い女性は顔が正確に認識されにくい傾向がある。白人中心、男性中心のデータがAIの学習に利用されてきたことに原因がある。そうしたバイアスを取り除くために多様な顔の画像が集まるフリッカーを利用した、CCの画像は公平さという目的に貢献している、という主張だ。
昨年は、フェイスブックが傘下のインスタグラムから35億枚もの画像をAIに学習させたことが議論を呼んだ。
画像認識の機能を向上させるため、普通なら開発者らが画像の内容に注釈をつけ、AIに画像と内容の照合を学習させる。それをユーザーが投稿時につけるハッシュタグで代用した。ユーザーがAIの下働きをしている格好だ。すてきな写真の投稿がこんなふうに使われるとは。ユーザーは事前に知らされるべきではないのか、という疑問が沸き起こった。
たきぐち・のりこ 上智大外国語(ドイツ語)卒。雑誌社、米スタンフォード大客員研究員を経てフリージャーナリストに。米シリコンバレー在住。大阪府出身。
もっと分かりにくい事態も起きている。AIが生み出すアートである。
オークションハウスのクリスティーズが昨秋、アルゴリズムが生み出した絵画をニューヨークで出展したところ、43万2500ドル(約4800万円)もの値段がついた。この絵は14~20世紀の肖像画を1万5千点もAIに読み込ませて描いた。これ以来、AI絵画は大流行している。
著作権侵害にならないような古い絵画を学習させるケースもあるが、現存する画家の作品を元にした作品もそのうちたくさん出るだろう。AI絵画に高価な値段がついた場合、分け前を渡せと主張する人が出てもおかしくない。
同じことは音楽の分野でも危惧されていて、アーティストが満身の力で作った曲の数々をAIが横取りすることになるのではないか。疲れ知らずのAIは、人の作品を貪欲に食べて新たな作品を吐き出していく。
数歩下がって見ると、人間同士がやり取りしている周りを、AIがぐるりと囲んでいるように感じられないだろうか。我々はただのデータ生成機械ではないかとも見えてくる。結果がいいことにつながるのならば文句はないが、顔認識のように翻って我々を監視する技術につながるのならまったくの主客転倒だ。
[日経MJ2019年4月29日付]
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