藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

なんだこれは? こそが芸術。

 
*[次の世代に]実はそこにも
ほぼ日より。
岡本太郎さん曰く。
「これはなんだ?」が芸術である、と。
人のこころに「これはなんだ?」とさざ波を立てるもの。
そうか。
「あの人の演技はもはや芸術です」とか。
「これはもうアートですね」とか。
「オケの演奏は感動を超えて芸術的なものだった」とかよく聞きますが。
 
要するに芸術って「そうそう簡単に理解できないもの」ということらしい。
確かに。
ダリやシャガールの絵を見たってレンブラントの「夜警」を見たって、実はよく分からない。(ひー)
ショパンやバッハは好きだけどどこまで分かっているかどうか。
現代音楽に至ってはまさしく「これはなんだ?」と思う。
Jazzは心地いいから好き。
 
楽譜があって定期的に演奏されたり、
いつも開催されるトーナメント戦だったり、
あるいは名物教授のいつもの講義だったりしても「なんだこれは?」は確かに存在するようだ。
 
自分たちの日常にも「芸術」はあるかもしれない。
芸術的なプレゼン、とか芸術的なプログラミング、とかは聞いたことがあります。
非日常を感じさせる「なんだこれは?」を至るところで探してみるのは楽しい発見になりそうだ。
探すことだって芸術だぁ。
 
今日のダーリン
・そんなふうなタイトルの本だって、きっと、
何冊も出ているにちがいないのだけれど、
「芸術ってなんなんだろう?」という問題はおもしろい。
異論反論あるかもしれないけれど、ぼくには、
テレビ番組のなかで直接聞いた岡本太郎さんの答えが、
いまになってもそれを考えるときの軸になっている。
「これはなんだ?」が芸術である、と。
 
人のこころに「これはなんだ?」とさざ波を立てるもの。
ぼくなりに理屈をくっつけるならば、
「いままでの感じ方や考え方で処理しきれないので、
これはなんだと、新たな疑問が湧いてきてしまう」
というようなものごとが、芸術なんだということかな。
ぼくは、その番組の司会者という立場だったので、
「これはなんだと思うものは、なんでも芸術ですか?」
と、常識的な人間としての質問を差し挟んだ。
岡本さんは、「そうだ」と断言した。
そのとき、直前に話題にしていたのは、
御茶ノ水橋の側面に無数にペタペタ貼り付けられていた
ガムの噛みカスのことだった。
そのガムの噛みカスには、ひとつずつ、
爪を押し付けたらしい「人の顔」が描かれていた。
迷惑なゴミだし、しつこいいたずらでもあるが、
目と口が弧になっているので、ガムは笑顔に見えた。
見ようによっては、五百羅漢のようだった。
つまり、これを岡本太郎画伯は、
落書きやらいたずら行為であると言うのではなく、
「これはなんだ?」、つまり芸術であると思ったのだ。
 
社会の常識、法律や条例などでどういう意味を持つか
…とは別に、これは「芸術」です、と言ったわけだ。
それは「芸術であり、罪である」ということもあるさ、
と、その意味をも含んでいたかもしれない。
 
「これはなんだ?」は、あらゆる場所に出現する。
音楽のなかにも、人のことばのなかにも、
建物のなかにも、舞台の上にも、映画の闇のなかにも、
ときには恋愛や犯罪のなかにも芸術が見つかるだろう。
あのことばを聞いてから30年以上も経ったいま、
ぼくは「これはなんだ?」に「わぁ」を足している。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「わぁ、これはなんだ?」は、いくらでも生まれている。