藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

文学からの学び。

*[次の世代に]先人に訊け
日経「もしもブラックジャックなら」シリーズ。
漫画の一話をモデルにしたビジネス相談だ。
それにしてもこうした書評があるのは、手塚治虫の画力と構想力と、さらには原作がシラノ・ド・ベルジュラックだからだろうか。
いい作品は命が長い。
記事は長文だけれど、「行動することの意義」を問うている。(原作もぜひお読みください)
ビジネスの世界でも「リスクを取る」ということがしばしば話題になる。
自分は「リスクテイクする派」だが、歩く道は薄氷の上、である。
今その道を踏み抜いたら死ぬかもしれない、ということはよくある。
それでも、言い訳ではないが「リスクを取らずに沈んでゆく自分たち」が見えるのだ。
「そっちにハマらないための悪あがき」と言ってもいい。 
もし何もせずに沈んでゆくのなら、何か行動してみたい、と思うのだ。
案外そこから道が開けることだってある、と確かに思う。
 
そういえば、文学作品の「人の機微」というのは、ビジネスになぞらえてみると案外奥深い。
日経の記事はそんな気づきから連載されているのではないだろうか。
文学のビジネス戯曲、などというコラボは面白いのではないだろうか。
 
 
職種転換の悩み ブラック・ジャックはどう励ます
2019年2月15日 21:30
(C) Tezuka Productions
もしも天才外科医のブラック・ジャックが現代のビジネスパーソンの悩みに答えたら、どんなセリフを言うだろう。核心をズバリと突いた洒脱(しゃだつ)な一言で必ずや、私たちの迷いを断ち切ってくれるに違いない――。
 
本連載は各話3部構成。
(1)[ある職場で] よくあるビジネスパーソンの悩みやボヤキを紹介します。
(2)[ある一話] (1)のヒントになりそうな『ブラック・ジャック』の物語を紹介します。
(3)[ここに注目] (2)の物語が(1)の悩みやボヤキにどんなヒントになるかを考えます。

[ある職場で]総合職への転換をためらうアシスタント

Tさんは商社に一般職として入社して5年目の女性社員。営業アシスタントをしている。
入社時の配属先でお世話になったのが、U先輩だ。面倒見が良く、仕事のコツから人間関係の注意点まで、懇切丁寧に教えてくれた。それだけではない。何をやっても手際が良く、朗らかで周りを明るくしてしまう。英語も堪能で、海外のクライアントからの信頼も厚い。営業アシスタントのお手本のような女性だった。
TさんはそんなU先輩に憧れて、何とか追い付きたいと頑張ってきた。教わったことはすぐにメモして、忘れないうちに見直した。先輩の電話応対に耳を澄まし、コツをつかもうと努力した。苦手意識のあった英語を克服したくて、オンライン英会話も始めた。
U先輩は一昨年、その実力が認められ、一般職から総合職に登用された。総合職としても活躍し、今では女性活躍推進プロジェクトのリーダーだ。
先輩が抜けたとき、Tさんは、「戦力ダウンしたと言われないかしら」と、内心、不安だった。その不安を払拭しようと、それまで以上に仕事に打ち込んだ。そのかいあって最近では、海外のクライアントから「彼女とはコミュニケーションが取りやすい」と、名前を挙げて評価されるまでになった。
先日、上司から「総合職でやってみないか」と、声をかけられた。登用試験が来月あるので、受けてみてはどうかというのだ。何でも、U先輩のケースがうまくいったこともあって、一般職から総合職への転換を積極的に推進したいのだという。
そこで自分に白羽の矢が立ったと知り、Tさんは正直、うれしかった。
けれど、「はい、やります」と、即答することはできなかった。いくつもの不安が頭をよぎったからだ。
「U先輩のように自分から動いてテキパキ仕事するなんて、私にできる気がしない。今でも指示されたことをやっているだけだし……」
「英語だって、ビジネスで使えるレベルにはまだまだだし……」
「そもそも登用試験に合格するかも分からない。落ちたら、ちょっと恥ずかしいな……」
総合職でやってみたい気持ちがないわけではない。努力も実績も積み上げてきた。
けれど、次々と浮かんでくる不安に、Tさんは決断できずにいる。気が付けば、登用試験の申込期限が近づいていた。
この事例にブラック・ジャックのある一話を思い出した。

[ある一話]気が弱いシラノ

マンモス団地に住む3人の若者。
白野(しらの)は、別棟に住むジュンちゃんに恋をしている。彼女は病気で自宅療養中だ。
白野は献身的に見舞いに訪れるが、ずっと告白できずにいる。自分の容姿に自信がないからだ。白野の鼻は、ひどく大きい。顔の半分ほどもある大きさだ。
一方、ジュンちゃんはといえば、向かいの棟に住む栗須(くりす)のことが気になってしょうがない。朝夕、窓越しに彼女に向かって声をかけてくる美男子だ。
(C) Tezuka Productions
「ねえ あの人のこと もっと知りたいわ…」と、ジュンちゃんは見舞いに来た白野に相談する。「まだ一度も見舞いにもこないあいつがそんなに好き?」と問えば、「そんないいかたはよして!!」と機嫌を悪くする。栗須にぞっこんだ。
そんな彼女に白野は、栗須から預かったという手紙を時々手渡している。
実は、ジュンちゃんを元気づけたい一心で白野が書いた、嘘の手紙だ。
栗須からだと思い込んで舞い上がる彼女を見るにつけ、白野はやるせない気持ちになる。部屋を出ると、「くそっ…… オレの顔……」と肩を落とすのだった。
ある日、白野は団地の一角で栗須をつかまえ、ジュンちゃんのところに見舞いに行ってやったらどうだと迫る。だが、栗須は「そこまでする気はないよ」「ちゃんと恋人もいるんだ そういってくれ」と、取り合わない。
白野は懇願する。「彼女を愛してやれとはいわない……せめて はげましてやってくれよ」。しかし、それすらも「よけいなおせわだ」と一蹴され、それに腹を立てた白野は栗須を殴りつけてしまう。
その後、久しぶりに白野がジュンちゃんの家を訪れると、病状が悪化していた。彼女が、うわごとに名前を呼ぶ。
「栗須さん……どうしたの……会いたい……」
どうやら、ここのところ栗須は、窓越しに声をかけることすらやめてしまったらしい。
「あのふざけたヤローめ……」と白野は栗須の家に飛んでいく。しかし、部屋は空っぽだ。隣人に尋ねると、驚くべき事実を知らされる。
栗須はつい数日前、交通事故で亡くなったというのだ。頭が真っ白になる白野。
「ジュンちゃんがこのことをきいたら……」
彼女にはとりあえず、「栗須はね 旅行中なんだってさ」とごまかした。
しかし、この先どうしたらいいのか、途方に暮れてしまう。彼女を元気にできるのは栗須だけなのに……。
思いつめた白野はブラック・ジャックのもとを訪ねた。自分の顔を栗須の顔に変える手術をしてほしいと頼むためだ。
(C) Tezuka Productions
そんな白野に、ブラック・ジャックは険しい表情を見せる。
「なぜそんなやつの身がわりになんかならないで 堂々と彼女に話さないんだっ」
白野が「見てください ぼくの顔を!!」と反論すると、「顔? 顔がなんだよ 映画スターのコンテストじゃねえ!」とはねつけ、叱咤した。「三年間もその子とつきあってて その気持ちもいえないなんて バカの腰抜けだ」と。追い打ちをかけるように「手術代は高いぜ 変身料5000万円だ」と吹っかけた。
白野が腰を抜かすと、ブラック・ジャックは表情を緩めた。
「だけど安いのもある」と切り出すと、「千円ってのもある どうだい」と、白野に選ばせる。
「それでいいです!!」――すぐさま白野は決断した。ブラック・ジャックは「顔がかわるのを後悔しやしまいね」と念を押すと、白野に麻酔をかけ、眠らせた。
手術後、顔を包帯でぐるぐると巻かれた白野。3カ月間は取れないと言われている。
その姿を見て、ジュンちゃんは心底、驚き、心配する。白野は、怪我をしただけだと嘘をつき、治ったら早々に引っ越して、姿を消すと告げた。
そして「栗須はきっときみに会いにくる! ちかってもいいよ」と、彼女を力強く励ました。
そんな白野を見て、ジュンちゃんは「栗栖さんとあなたとは別だわ」とつぶやく。
しばらくたってからのこと。ジュンちゃんの病状は快方に向かっていた。まだ包帯姿の白野が「栗須が帰ってきたら きみの元気な姿を見せられるね」と力づけようとすると、意外なことを言い出した。
長いこと栗栖に会っていなかったら、会いたい気持ちが薄れてきたというのだ。
「えーっ!?」 ―― 白野が思わず叫ぶ。あんなに好きだったのに……、と戸惑いを隠せない。
そして手術から3カ月がたち、そろそろ包帯がとれる時期も近くなった。白野は、ジュンちゃんの家を訪れた。
「もうすぐお別れだね」「そのかわり栗須がここへくるからね」と言い聞かせる白野に、ジュンちゃんがすがりついた。
「いや いやよ!!白野さん 行っちゃいや ずーっとあたしのそばにいて」
泣きじゃくりながら、「あたし 子どもだったのね」「愛ってなにか やっとわかったの」と、打ち明けるジュンちゃん。告白された白野は動揺し、自宅に逃げ帰る。
「どうしよう オレはもう栗須の顔だ!!」
机に突っ伏して頭を抱える白野。いてもたってもいられず顔の包帯に自らはさみを入れる。裂けた包帯の間から見えてきた顔は……。なんと鼻の大きな白野のままだった!
ブラック・ジャックは、手術したふりをしただけだったのだ。
(『ブラック・ジャック』第141話「気が弱いシラノ」=秋田書店 少年チャンピオン・コミックス15巻/電子書籍版8巻収録)
思わず安堵する結末。白野の献身は、ジュンちゃんの幼い恋心を大人の愛情に昇華させた。
この物語が、総合職への転身をためらうTさんに、どんなヒントになるのか。

[ここに注目]行動を起こさなければ分からない

心理学に、「ビュリダンのロバ」という例え話がある。
飢え死に寸前のロバが、分かれ道に立っている。左右どちらに進んだ先にも、干し草の山が見える。干し草までの距離は、左右ともに同じ。そこでロバはどうしたか。「あっちの草は古いかもしれないし、こっちの草は苦いかもしれない」などと考え込んで、動けなくなった。そのうちとうとう飢え死にしてしまった――。
この話が示すのは、「何かを選択、決断し、行動を起こすことの難しさ」だ。
物語の白野が置かれた状況は、ビュリダンのロバと似ている。
右に行くのか、左に行くのか。
ジュンちゃんに告白するのか、しないのか。
白野は、「断られたらどうしよう」と決断をためらい、行動を起こさずにいた。だからといって、ジュンちゃんのことをすっぱりと諦め、ほかに恋人を探すという決断にも至らない。白野はどっちつかずのまま、ジュンちゃんの周りでぐずぐずと足踏みするばかりだった。
そんなところに、栗須の死という事件が起きる。
それを機に白野は、右を選ぶでもなく、左を選ぶでもない、突拍子もない「第3の道」を選んで突っ走った。告白するのでもなければ、しないのでもない。「ジュンちゃんの愛する栗須になりすます」という、思いがけない選択だ。
彼にしてみれば、「リスクの低い選択」をしたつもりだったのだろう。何より、ジュンちゃんを悲しませずに済む。さらに同じ告白をするのでも、自分の顔でなく、栗須の顔であれば、ジュンちゃんに振られることはまずない。だから、傷つかずに済むはずだ、と。
だが、その選択は結果として間違いだった。ジュンちゃんが、白野を好きだと言い出したからだ。告白された瞬間、白野は自分の選択を激しく悔やむ。下手にブラック・ジャックに頼んで栗栖の顔になる手術など受けなければよかった! 引き返せるものなら引き返したいと。
(C) Tezuka Productions
では、動かないほうがよかったのだろうか。下手に動かず、いつまでもロバのように足踏みしていればよかったのだろうか。いや、そんなことはない。
まず、白野が行動を起こしたことがきっかけとなり、ジュンちゃんは自分の本当の気持ちに気付けた。
それだけではない。より重要なのは、白野自身に、自分の選んだ「第3の道」が間違いであることが分かったことだ。栗須になりすませば誰も傷つかずに済むという想定は、間違っていた。
この「間違っていた」と、分かること自体に価値がある。
ロバの例えで言うなら、右に行くか左に行くか足踏みしていたら、「あっちにすごくおいしい草があるらしい」との評判を聞いた。しめたとばかりに「第3の道」に食べに行ったのに、いざ口にしたら「まずいじゃないか!」といった状況だ。
こうやって「間違っていたと分かる」ことに価値がある。
それは、次の行動につながるからだ。
間違えたと分かったなら、その時点から全力で引き返し、右でも左でも、別の道に向かえばいいだけなのだ。選択肢を片っ端から試してみれば、最後には、どれがおいしくて、どれがまずいのかが分かる。もちろん、一度目のトライで、おいしい干し草にありつけることだってある。いずれにしても、行動を起こさず足踏みしていたら何も分からないままなのだ。
物語では白野が「間違いだった」と引き返してくることを見越したブラック・ジャックが、その先にあらかじめ粋な計らいを準備していたわけだが……。
 
Tさんも今、身動きが取れなくなっている。
総合職に転換するのか、しないのか。
 
白野やビュリダンのロバと同様に、2つの選択肢の前で決断を下せず、足踏みしている。
足踏みしてしまうのは、「うまくいかなかったらどうしよう」と思うから。もしも、うまくやれなかったときに、恥ずかしい思いや、残念な思い、悔しい思いをしたくないから。ロバでいえば「まずいほうを食べて後悔したくない」。そんな気持ちが強いのかもしれない。
しかし、結果がどう転んだとしても、決断を下し、行動を起こすことには意味がある。その体験から得るものは大きいし、本当に嫌だったら、やり直すこともできる。総合職の試験を受けたり、実際に総合職をやってみたりしてから、「やっぱり私には向きません」と、上司や人事部に申し出てもいい。実体験があれば、断るときの迷いは減るだろう。
要するに、うまくやれなかったら戻ればいいし、「うまくやれなかった。自分には合わなかった」と分かること自体に価値がある。
そもそも、Tさんの総合職への転換は、まだ失敗すると決まったわけではない。チャレンジすらしていないのだから実際に挑戦しないかぎり「失敗するかどうか」の答えは永遠に出ないままだ。やってみたら、案外、「総合職のほうが合っていました」という結果になることだって十分あり得る。
憧れのU先輩だってこれまで失敗なくやってこられたのだろうか。恥ずかしい思いや悔しい思いを一度もすることなく、今に至っているのだろうか。そんなはずはないのだ。
ブラック・ジャックならTさんにこう言うだろう。
(C) Tezuka Productions
「白野はとにかく行動を起こしたぞ。まあ、きっかけは褒められたもんじゃないがな。価値があると分かって行動するんじゃない。行動すること自体に価値があるんだ。おまえさんも覚悟を決めることだな」
[『もしブラック・ジャックが仕事の悩みに答えたら』から再構成]

 

 
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