いかにつまらぬ(2)

*[絶対に役立つ言葉]最高のスキル。"楽しみを探す"
どんなつまらない行為にも「そのつまらなさを探す(解き明かす)」という最高の楽しみ方はある、という話。 
なんでも楽しむ、というのは実は最強のスキルではないか。
(面白きこともなき世を面白くといった高杉晋作は哲人だ)
 
面白くないなら、「なんで面白くないのか」を構造的に考えてみる。
そして「どうしたら面白くできるか」を考える。
これだけで十分面白い。
国会中継とか記者会見なんてめちゃくちゃ面白くなるだろう。
そういえば学生時代にも、物理や化学で実に興味を惹く先生はいたものだ。
ああ日本史の先生を講談師がやってくれたら、どれほどみんなが夢中になるだろうか。

 反対にホリエモンとかが話している内容は大して面白くなくなるだろう。

そのものが十分面白いから。
「そこで成功してしまっている」からだ。
つまり「面白くない話」というのはそれだけで失敗なのではないだろうか。  
先日エンジンの大家に聞いたヘリコプターのエンジンの話は、実に面白いものだった。
(よくそんな高度な内燃機関を人が作り出すものだ、と舌を巻いた)
 
悲しい話は悲しめるように。
馬鹿話は笑い飛ばせるように。
知的な話は事実に引き込まれるように。
 
まとめると。
自分が受け手の時には「なぜに面白くないのか」を考える。(面白ければそれでよし)で自分ならどう話すかを考える。
自分が話し手の時には「そもそもなにが面白いのか」を考える。「まず今世紀のはじめ、中国でたった100年間に起こった話が三国志なんだ」と言われれば面白そうだ。
日本なら、戦国時代は今の民主主義と、どういう因果が続いてきたのだろうか。
 
そんな話を「する側」にぜひ立ってもらいたい。
つまらぬ話をする先輩や政治家は、実は格好のサンプルなのだ。
ぜひ「面白い話」をしよう。
 

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・今年の2月に亡くなった方だが、
笑福亭松之助さんのことを、わりと何度も思い出す。
お会いしたことはないが、明石家さんまさんの師匠だ。
 
ぼくはなにかにつけて「たのしめ」と思うし、
人にも「たのしんでください」と言うのだけれど、
それはもう、じぶんの生きる方法みたいなものだ。
それには、モデルになった人とことばがあって、
ひとつは矢沢永吉が、何万人の聴衆を前にして、
緊張感が最高度に達したときに、じぶんに対して、
「たのしめ」と言うのだと聞いた、その「たのしめ」だ。
 
そしてもうひとつが、明石家さんまさんから聞いた
笑福亭松之助師匠のことばだった。
弟子入りしたさんまさんが掃除をしていると、
松之助師匠が「掃除はたのしいか?」と訊いたという。
さんまさんは、うれしそうにそのときのことを話した。
「『いいえ』って答えると『そやろ』って。
『そういうのがたのしいわけがない』と、
おっしゃるんです。
そのときに、師匠に、
『掃除はどうしたらたのしいか考えろ』って
言われたんですけど…そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、たのしくなるわけがないんですよ。
でも、『たのしくなることを考えてることはたのしい』。
っていうところにねぇ、
18歳のときに気づかせていただいたのが
非常に助かりましたね」と。
 
これはもう、明石家さんまにとってのめしのタネだが、
それを聞いたぼくにも、めしのタネになった。
とても感心したし、一生忘れない教えになった。
それを聞く前も、その後も、
たのしくないことは、もう、毎日、いくらでもある。
苦手だとか不得意なのにやらなきゃならないことも、
立場上やらなきゃまずいだろうということもある。
でも「どうやったらたのしくなるか」考えながらやる。
これを、ずっと続けているのは、実はたのしいのだ。
ぼくは「たのしめ」と言うたびに、
笑福亭松之助さんのことを思い出している。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日「今日のダーリン」という文を書くのも、同じことさ。