藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

3倍速の時代。

日経より。
*[ウェブ進化論]課題は思考力。
記者さんが「GAFAの便利さを捨てられるのか」に挑戦。
かなりのアンチテーゼだ。
GAFAは自ら市場をつくりだし、その場の「権力者」として君臨する。
グーグルは利用者が10億人を超すサービスを8つ抱え、フェイスブックは20億人以上だ。サービスを使うため、利用者はGAFAが定めるルールに従わざるを得ない。
で。詳細は記事にあるが、結論的には
米ミシガン大の研究ではネット検索は図書館で調べるより3倍速く、1テーマで15分節約できるという。
ネット検索にスマホSNSにネット通販。
GAFAのある暮らしが浸透したのは10年ほど前。
それらを断つと、生産性が3分の1に落ちたということか。
よく電子メールが普及し出した頃、大学の研究者が「驚異的なスピードで論文が完成する」と言っていた。
実験データのレビューや意見交換の待ち時間がゼロに近づいたのだ。
つまり「GAFA以前の世界から、三倍は早いスピードの世界」に自分たちはすでにいることになる。
「通信の待ち時間や情報の検索時間」は極限まで早くなった。
「そういう部分」の生産性は劇的に上がっている。
さて残りの「考える部分」はどれほどに向上できるだろうか。
自分の思考の密度を三倍にするのは並大抵ではなさそうだが、挑戦したい目標ではある。

GAFA断ち3週間 仕事の生産性は3分の1に

グーグル、アップル、フェイスブックアマゾン・ドット・コムの「GAFA」抜きで3週間生活してみた
自分(33)は茨城県つくば駅前を汗だくで走っていた。取材予定のシンポジウムの会場がどこか分からない。駅の地図では南に約500メートル。もう遠くないはずなのに、それらしき建物が見当たらない。開始時間は刻々と迫る。いつもの「グーグルマップ」が使えないだけで大ピンチだ。
GAFA」は金融や自動運転の世界にも勢力を急拡大する。4社の膨張を警戒し世界各国が規制に動くが、それがもたらす便利さを捨てられるのだろうか。
5月半ばから3週間。「GAFA断ち実験」は、スマホの電源を切って始まった。位置情報やネット検索履歴データなどを4社に渡さないよう、それらのサービスや製品を使わずに暮らしてみようと考えた。
今の取材テーマはデータ規制の動向。予習が必要だ。だがグーグルで検索する「ググる」はご法度。図書館にこもる時間が増えた。
ネットでは簡単に閲覧できる海外の最新の研究資料は書架になく、数カ月遅れの情報が載った専門雑誌を探すだけでも一苦労。あっという間に半日が過ぎる。先輩記者に聞くと、米ミシガン大の研究ではネット検索は図書館で調べるより3倍速く、1テーマで15分節約できるという。
ネット検索にスマホSNSにネット通販。GAFAのある暮らしが浸透したのは10年ほど前。それらを断つと、生産性が3分の1に落ちたということか。
取材先の弁護士には準備不足を怒られた。「それぐらい調べて来てください」。「ググれカス」というネット上の俗語が浮かぶ。ネット検索で分かることをすぐに周りに聞く残念な人のこと。すっかり劣等生だ。
生産性を犠牲にしてまで、自分のデータを守る価値があるのか。迷いが出た実験3週目。上司から「データ活用先進国の中国を取材して」と出張命令が出た。
中国は国ぐるみでデータを集め、スマホひとつで買い物や移動、交通違反の罰金支払いまでできる。その代わり、個人のデータや行動は企業や国に筒抜けだ。
「便利さこそ正義、という社会に満足ですか?」。上海で聞いてみた。会社員の王昶さん(35)は「知られたくない情報が漏れているかも。でも、スマホなしでは生活すらできない。仕方ない」と話してくれた。
「中国式」が正解とは思えないが、暮らしも仕事もデータが便利にしてくれている。もう離れられないのかもしれない。そして膨大なデータは人工知能(AI)など先端技術の開発にも使える。人口は14億人。そのデータの力を国の成長に結びつけていくのだろう。
3週間のGAFA断ちで、これ以上続けるとクビになりかねないと思うほど仕事に支障をきたした。簡単にGAFAと縁は切れない。データが自分の生産性を決めていたのだから。
生産性が経済成長の鍵を握るなら、GAFAを縛ったときに豊かな社会につながるかは分からない。どう共存していくか。プライバシーと利便性の両立だけにとどまらない課題を突きつける。
■そして友まで去った 選ぶ力が共存のカギ
「ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」
留守番電話に切り替わるのは何度目だろう。いつも取材に応じてくれたIT(情報技術)ベンチャー経営者と連絡が取れなくなった。メールやSNSには反応がよかったのに。見捨てられたようで傷つく。
中国ではスマホ決済が普及し、財布を持たずに生活する人も多い(18日、上海市内の青果店
GAFA断ち実験を進める自分(33)に、想定外の孤独が押し寄せた。フェイスブックやLINEなどSNSを使えず、主な連絡手段はガラケーに。すると周りから「面倒くさいヤツ」と思われ始めたらしい。
こんなときに頼れるのは友達だ。大学時代のラクロス部の同期を「久々に飲もう」と誘った。まさかとは思ったが、彼らにさえ次々無視された。15人に声を掛け、都内の居酒屋に集まったのはたった2人だった。
ガラケーからの連絡が致命的だったらしい。「今どきショートメールなんて怪しさ満点。本人か疑った」と笑われた。ガラケー全盛期に培った友情のはずなのに、今やSNSの輪を外れると信頼が揺らいでしまう。
人とのつながりや助け合いなど目に見えない資本を示す、「ソーシャルキャピタル社会関係資本)」という言葉を最近よく聞く。GAFAは現代の人間関係を支える土台になっている。
フェイスブックは6月、「リブラ」と呼ぶデジタル通貨による金融サービスへの参入を公表した。不可欠な社会インフラとしての性格をさらに強めていく。
一方、GAFA断ちで良かったこともある。
「家で2人でいても、スマホをいじらなくなったよね」。妻との会話はぐっと増えた。図書館では「GHQ焚書」など興味深い背表紙が目に入り、グーグルの検索結果ではたどり着けない発見があった。最近悩まされていた深夜の頭痛も、不思議と消えた。
今まで家族のだんらんや健康を、知らないうちに失っていたのかも。そう気づかされた。
GAFAに与えられるものと、奪われるもの。どちらが重要かの答えは難しい。次第にこう考えるようになった。「こうして迷えること自体、幸せなのではないか」
実験中に訪れた中国では、あらゆるデータが管理された社会システムの下、人々は「ここから外れて生きられない」と抵抗をあきらめていた。日本はそこまで徹底したデータ管理社会ではない。データとどう関わるか、個人に選ぶ余地がある。
実験を終え、スマホSNSの使い方が変わった。アプリのプライバシー設定を厳しくし、時にはスマホの操作をやめて妻との会話や図書館での時間を楽しむ。小さな工夫だが、誰にどこまで「自分」を渡すかを自ら決める。その貴重さこそ、実験の成果だった。
あの過酷で孤独なGAFA断ちは、もう二度とごめんだけれども。
GAFAとの関わり方の選択肢は、個人が握る。規制だけでは解決にならない。共存のためには、どう利用するのかを自分で判断することが必要だ。
GAFA規制 国家脅かす存在に
データ寡占を強めるGAFAなど巨大IT(情報技術)企業に対し、世界で規制強化が広がる。だが超情報社会の中でGAFA抜きの生活は現実的でもない。うまく折り合う模索も始まる。
規制で先行するのが欧州と日本だ。独占禁止法や個人情報の保護ルールを厳しくし、けん制する。GAFAの強大さが市場競争をゆがめ、利用者の情報を搾取するなど、国の土台を脅かしかねないとの危機感がある。
GAFAは自ら市場をつくりだし、その場の「権力者」として君臨する。グーグルは利用者が10億人を超すサービスを8つ抱え、フェイスブックは20億人以上だ。サービスを使うため、利用者はGAFAが定めるルールに従わざるを得ない。
日欧当局はGAFAがこうして個人にも「優越的地位」を乱用している疑いがあると警戒。お膝元の米国も議会が反トラスト法(独禁法)違反の調査を始めるとし、慎重姿勢から転じた。
中国のように官民で大量のデータを囲い込み、産業振興に生かす新興国も増えている。だがそれは監視社会化と隣り合わせだ。便利さを取るか、プライバシーを優先するか。世界は岐路に立つ。