藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

移動の力積

*[ウェブ進化論]壮大なムダ。
この度の半ばゴリ押しのテレワークの浸透で、年配者が"無理くり"にデジタルコミュニケーションに慣れてしまいつつある。
紙とか面会とか、むしろアナログでなければならないものって何だろうかと改めて考えされられる。
思えば常識とはいい加減なものだ。
十何両の電車を一時間に何十本も走らせ、何百万人の人が一斉に移動するコストが「実は必要なかった!」と想像すると気が遠くなる。
移動する数を半分に出来るだけで、どれほどの省エネになるだろうか。
もう出張も何のために行くの?みたいな雰囲気だし、旅行にしても飛行機をビュンビュン飛ばして地球の裏側まで、みたいなことがそれほど必要だろうか。
そういう活動を産業だとか経済だと名付けて煽ってきたのが「これまでの世界」だった。
サブスクとかシェアとか相乗りとか、コロナ以後、が本格的な低エネルギー社会元年、になりそうで、つくづく常識とか習慣の頑固さや怖さについて考えさせられる。
 
似たような「常識の縛り」は他にもたくさんあるのではないだろうか。