藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

永年の論争

*[ウェブ進化論]時間の濃淡。
ここ何十年もの間、長らく特にホワイトワーカーの間では仕事の時間の「密度や緩急」についての論争は決着を見ていない。
一時はモテはやされた「成果主義云々」というのも最近は元気がない。
 
つまり「効率よく集中できている時間と、全然そうでもない時間」の区別はほぼ全くされてこなかったと言っていいだろう。
自分は社会人になった頃から、タラタラしている時間と打ち込んでいる時間のことを誰も問題にしないのは何故だろうかと不思議に思っていた。
そしてさらに時間外労働と言う奴もあった。
若い人は"生活残業"という恐ろしい言葉を聞いたことがあるだろうか。
仕事の時間の密度をはからずに、さらに労働時間を延長したりするから、ますます仕事の評価がしにくくなるわけだ。
 
さらにその仕事のタスクそのものが、本当に必要なものか重複したりして無駄になっていないか。
そんなこともかなり人任せにされてきていたように思う。
 
別に人を評価するためだけでなく、自分がどれほど1日を集中して過ごせているのかどうか、「自分の1月の作業がどれほどのものか」を一覧できるシステムがあれば、自分自身を客観的に眺めるのにとても役に立ちそうだ。
誰もが見てみたいのではないだろうか。
すでにAIが人の表情を読めているらしいから、近々実現するだろう。
 
それにしても、ホワイトカラーの生産性向上と言うのはもう言われ始めて軽〜く30年以上になる。
人間のすることと言うのはわかりにくくて厄介なものらしい。