藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

真っ当に見る

*[次の世代に]当たり前の事実を前にして。

例えば何となく「(買えば買うほど持ち金が1/2になるという)宝くじを買う」とか。

 あえてそういう「勝ち目のない賭け事」がやりたいのならそれでよし。

それも一種の娯楽なのだと思う。

けれどそういう息抜きはともかく。

これからあと40年以上も高齢化がひたすら進むとか、さらにもっと時間をかけて少子化が進むとか、IT技術もまだまだこれからどんどん進化するとか…

 そういう「多分間違いのない将来」は見えているのに、みながバラバラに行動をするのは実に不思議でもある。

当たるか当たらないかと言うような予想に予想を重ねていくのとは違い、まず「必ず確からしい事実をもとに色々とその先を想像してみる」のはかなりの「未来の練習」になるだろう。

分かり切った事実を前にして、自分が何をするのかしないのか。
選択肢はいくつもある。

さて「分かりきった事実」を元に「自分のやりたいこと」を重ね合わせて、一体どんなことを試みていくのだろうか。

それほど「迷い道」ばかりじゃないのではないだろうか。