藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

消化の仕方を考える

*[ウェブ進化論]最長のサブスク。

先日、糸井さんのブログに

「いろんなサービスが"サブスク(定額制使い放題)"になっているが、サブスクって人生のことなんじゃないの?」というエントリー。 

 コロナでみんなが「これまでの当たり前」に疑問を持って、その「根源的な理由」を改めて考え出しているようだ。

「これからの生き方をゼロから考えよう」とか「本当はどんなことが幸せですか」と問うような発言は最近とても多い。

そして人生は、一回きり(あるいは1日きり)のサブスクなのだ、と思える。

時間が相手だから、まあ「強制サブスク」とも言える。 

けれど「サブスク的な契約」ではあるけれど、その中で「何をしなさい」というメニューの強制一切なく。

24時間を「好きにお使いなさい」と言われているようなものだ。

だから、考えようによっては「これからの時間の使い方は、おれ次第」である。 

「ベースの契約」はあるけれど、自由。

それが自分たちの人生だ。

だったらその"サブスク"の上でやりたいことを、これからやろうよ。

そんなことに、自粛のおかげで気付いたり。

コロナがなければこんな気持ちにはなっていなかったと思う。

 

いいことも悪いこともある。

で自分も、ずいぶん無駄にしてきちゃったなあと。

 

---------ほぼ日5/9より-----------

・わぁ。いま、ふと気がついちまったよ。
 じぶんで気がついたことなのに、びっくりしたよ。

 「サブスク」ってあるじゃない? 
 「サブスクリプション(subscription)」の略で、
 ある商品やらサービスを、ある期間、
 一定の金額で利用できるような仕組みのことですよね。
 一回につきいくらでもなく、どれくらい使ったらいくら 
 なんてことでもなく、期間内では使い放題で、
 まったく使わなくても一定のお金は払えよってしくみ。
 毎月引き落としされるけど、電気料金なんかは
 「サブスク」じゃないし、水道料金もちがうよね。
 いまだとネットフリックスだとかのことを、
 思い出す人が多いかもしれませんが、
 よくよく考えてみたら、「サブスク」の元祖って、
 「月極駐車場」かもしれませんね。

 ぼくも、けっこういろんな「サブスク」やっています。
 とても利用頻度が高くて、それなりのお値段のもあるし、
 お安いけれど、年に一度も使わなかったというのもある。
 それにしても、ぜんぶを足すとそれなりの金額にはなる。
 でも、高いといっても、びっくりするほどじゃない。
 いのちに関わるようなコストを支払うようなことはない。
 そして、これがなかったら、いのちに関わるというほど、
 すっごく大切な「サブスク」があるというわけでもない。
 そりゃぁ、そうだ、そういうものだろうとね、
 思っていたのですよ。
 ところが、あった! 
 「いのち」に関わる、とんでもない「サブスク」。

 契約は基本的に一日ずつということなのかな。
 一日に、コンテンツ見放題、使い放題、
 いくら使ってもいいし、無駄にしてもかまわない。
 金額は、貨幣じゃなくて「いのち」そのもの。
 なんでもありだし、基本的になんでも自由、無限かも。

 「サブスク」のブランド名は「LIFE(人生)」だ。
 だれでも会員で、脱会も自由だけど、永久は無理だね。
 そして、コンテンツに、じぶんで参加できるんだ。
 すでに、ずいぶん、むだにしてきちゃったかなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「つまらんつまらん」と言ってても、一日分のお支払いだ。