藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の契約の使い方

*[次の世代に]私のサブスク。

昨日、「生まれてからずっと誰にも均等に時間が流れていくことは、人の人生における"最大のサブスク契約"」だ、という話をした。

人間は生まれながらにそれぞれで、義務教育とかも関係なく、働いたり放浪したりするのが「一番自然な姿」なのかもしれない。

 つまり放っておいたら、かなり「てんでバラバラ」に(まるで電子のように)動き回る地球の生き物の中でも、

特に人については「ある規律」を定めて生きさせた方がいい、と人の祖先はどこかで気づいたのに違いない。

 人生は誰もが「自由なサブスク契約」で死ぬまでを生きるのだけれど、

誰かクレバーな人物が「サブスク契約の中身」に「色んな価値観とか報酬とか法律とか」を持ち込んでできたのが、今の自分たちの世界なのだ。

 

大体、日本人社会は「他人と違うことをするな」という同調圧力が強いと言われているが、欧米をみれば「競争こそフェア」とか「勝つためにはルールをも変える」とか「他人と違う新しいことだけを探せ」というのは、一見自由なようでいて「ものすごく強い"競争を是とする同調圧力"」ではないだろうか。

 

外人たちが、もうそれが目的のように「I have my opinion...」と発言するのを見ると、「君たちも何かの価値観に憑かれているよね」と思ってしまう。

 

欧米のエリートたちの中には、ものすごく稼いで忙しいビジネスマンが、急に仕事を止めて、まるで出家したように田舎の山奥や海辺に住んで隠遁生活を送る人がいるが、彼たちは「そういうこと」に気づいたのだと思う。

 

日本は均質の同調圧力が強い"和の国"だけれど、「同調か異調か」という二極化ではなく「本来のサブスクでやりたいこと」を探す自分らしさが何より大事なのだと思う。

 

自分のサブスクは自分で使おう。