藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

中期視線

*[次の世代に]少し長い目で。

自分たちはつい「決まりきった情報」をいただくことに慣れているから、例えば「コロナは風邪程度だ」とか「基礎疾患は注意だ」とか「変異株が出た」とかいう情報に翻弄される。

今はネットで情報の伝達がものすごく早いから、「どんな情報も極端に拡散する」ということを今回自分たちは実際に体験した。

 事件や事故の報道ならともかく、コロナは何者か、というまだ「確定的な正解がない中」では皆が感情的に、さらに功利的にものをいうから混乱の程度は酷いものだ。

 

自分も騒ぎの最中にいて思うが、こうした時には「確定的な正解」を追おうとせずに、できるだけ「数年程度の中期的な眼」でものごとを考える方がいいのじゃないだろうか。

短期的にオリンピックがどう、今年の冬がどう、というから予測もブレる。

予測がブレると、"それ"をあてにしていた自分の行動もブレる。

「どうせ不安定なこと」に一生懸命反応しても疲れるばかり。

そんなことを自分たちは今回体験している。

昨年初めに「新型コロナだとしたら、収束には2、3年かかるだろう」という見方が結局正しそうな様子になってきている。

政治家の態度に一喜一憂するよりは、もう少しだけ中期に視点を移した方が、この先の航海は過ごしやすいのではないだろうか。

 

ただ刺激に反応するのは終わりにしよう。