藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

達観へ

*[次の世代に]見るほどに見えないもの。

社会人になって30年余り。

社会人になるまでのギャップもあり、「ビジネス偏重」でこれまできた。

手にする書物は経営系ばかりで、なんといまだにそうだ。

丸善に入ってもまず「そっち系」の本しか手に取らない。

純文学や直木賞の作品を手に取ることもなく、30年。

自分に聞く。

 

一体いつまで「経営のコツ」を求め続けるんですか?と。 

そしてその問いに最近気づいた。

実は「そこ」に解答なんてないことを。

 

「それ」には経営者なりのいろんな解答があることを。

そして「そういうこと」を考えるためには、ビジネス書ではなく実は「教養の世界

にいっぱいヒントがあることを。

 

大きな回り道。

けれど必要だった回り道。

実は人生は回り道。(なんやそれ)

 

「ビジネスの極意」なんかを探しているうちには、実はそれは見つからない。

「外」から見たときに、初めて見えるものなのだ。

まあ「その世界のルール」にはまってワアワアやっているうちは「外の世界は見えない」ということなのだろう。

当たり前の理屈のようだが、「一度はその世界に浸かってみないと、実は「そのこと」が外へ出ても分からない」という実に厄介なことだと思う。

 

「中と外」。

両方の当事者になって、初めて自分が客観できる。

なんか武士道とかに似ているようじゃありませんか。