藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

怒りの使いかた

*[次の世代に]ポジティブ・サイクル。

何かこれまで自分でした決断。

例えば受験勉強とか、異性への告白とか。

大谷翔平のようになりたい!とただ思っても、自分とのギャップが大き過ぎる。

だから、何をしてるんだ俺は!

という憤りが、自分を発奮させて将来は身を結ぶかもしれない。

「憧れ」は強い動機だと思うが、それが「内なる自分」に向かう時に、強い憤りが生まれ、自分を突き動かすということではないだろうか。

「あんなふうになりたい。だから私は!!」と。

怒りの葡萄か。

 

自分の"怒りを伴うほどの"覚悟と決断。

何かに弾かれたように、「よし自分がやるぞ」と言うときの決断には、少なからず
自らの中に芽生えた怒りの感情」があるのでは、という話。 

怒りのエネルギーを「すべて自分の家に閉じ込めて」、自分を動かす「内部のエネルギー」にして、決断し、起爆剤としていくという構造があるのではないか。

つまりポジティブな"怒りの使い方"だ。

怒りなきところに決断なし、とも言えるかもしれない。

社会にせよビジネスにせよ人間関係にせよ、自分たちは何かの憤りを感じるところにエネルギーがありそうだ。

 

芸術家の作品にはそうした「怒りに似た感情の発露」があるとも聞く。

アンガーマネジメントとか、何か「怒りは抑えるもの」と決めつけるのではなく、「怒りを前向きに使う」という考え方があるのではないだろうか。

 

どんどん、怒りましょう。