藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今ごろの恐怖

*[次の世代に]クソ仕事の話。

今年はこの本が売れたという。

世の中の仕事の半分は、無意味で不必要、時には有害だと。

5つの類型として「誰かを偉そうに見せるための取り巻き」「雇用主のために他人を欺く脅し屋」・・・と続くのだが。

それはともかく。

ともかくだ。

こんな本がこの2021年の、この令和の世の中で売れているという事実に衝撃を憶えません???

戦後75年が経つというのに。

今更「半分がクソだった」というのですか。

そしてそれに共感する人が多いのですか。

私たちはなんだったのですか。

幼いころから感じていた、大人への「何かの違和感」は正しかったのだ。

校則とか。それを見張る教員とか。入試とか。

新卒採用とか。既得権益とか中間管理職とか。

何かの拍子に「必要だ」とされたルールや習慣が、どんどんどんどんと積み重なってついに雪崩を起こす時期にきたということかもしれない。

 

自分が社会人になりたての30年前。

IBMが営業のことを「提案」と言い換え、それから「提案書作り」がいっせいに流行り出した。

今でもお客の意見を聞くよりも、パワポで日夜スライドを作る担当者はものすごく多い。

そして自分もその一人だ(汗)。

野村総研は、あと10から20年で今の仕事の半分はコンピュータ化される、と発表した。

ちょうどたまりに溜まった"クソ仕事"が、一気に押し流される時期が今なのかもしれない。

後の若者からは「昔はこれを人がやっていたらしいよ」と言われるのは仕方ない。

今からでもクソ仕事を一掃しよう。