藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分はどっち派か


自然は飛躍しない。
連続律。そして

「積み上げの連続」は必ずや成功をもたらす。

そんなことを今さら思い、平凡にも思うのだが、



ではなぜ「今までの自分」がそういうマインドではなかったのか、と疑問に思う。

批評家の利得


我われは新しいこと、挑戦を耳にすると「できない理由」をよく口にする。
欠点を指摘することも多い。


批判ばかりする人もいる。
しかもその方が何だかエラそうだ。

批判はラクなのだ。

そして

積み重ねはその点エラく大変なのだ。

なぜか。

積み重ねる人、は積み上げて「証明」して行かねばならないのだ。


順調に行かないこともままある。
予想外の事態が起きることもあるだろう。


そんな煩わしい環境で一つ一つ「積み重ね」をするより、
傍らで「危険だっせ」と言ってる方がよほどよほどラクだ。


「したり顔」などしていられるが。
超ジジむさい。


ことを推進する人は実際に、積み上げる人。
途中で崩れたり、回り道したりしようと「ある処」まで到達せねばならぬ。

だが「積み上げる」方が実はカッコいい。
実は地味だけど。


孤高の目標に向かい、一人ただ黙々と「スクワット」を続けるアントニオ猪木よろしく。


老成の注意


また修行ぽいが、どっちというなら間違いなく「積み上げ側」に回りたい。



年齢が上がると共に、目下の若者の言うことに「ああそれはね…」という自分。


老いの消極。
気持ちこそ老化せぬようありたい、と思う。


若い人ならなおさらだ。