藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

裏歴史

*[ウェブ進化論]歴史の表と裏。

終戦日の時期になって敗戦のことを考えるようになったのは最近のことで、これまでなぜ開戦したのか、とかそれまでの世界の地政事情はどうなっていたのかなどは深く考えていなかった。

"歴史は勝者が作る"とよく言われるけれど、できるだけ正確な事実を知っておくのはこれからの時代の理解にも必須だと思う。

 

この2冊もとてもお勧め。

合わせて読むと重層的に理解が深まります。

 

それにしても日本が126代(2700年)続いている世界最長の王朝であり、過去に一度も植民地になったことがないとか、またイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の聖地となったエルサレムの背景とか、日本の侵略史と敗戦の経緯、中国が台湾にこだわる理由や、今話題の川口市で増えるクルド人の問題など、歴史には一言で説明できない事情がこれほどあるものなのだ、ということを知らされる。

 

確かに9割の日本人が、知らずにニュースを聞いていてはほんの上っ面の理解にしかならないだろう。

大手メディアこそ情報の偏向を疑う必要があると思う。

世界史解体新書(著者の土井さんの500本近いyoutube)

 

後悔のヒミツ(2)㊙️

*[ウェブ進化論]選択が原則。

後悔先に立たず、などと言ってチャレンジしないことこそ大失敗であるという話。

そして失敗しても「失敗にならない」のが「自分で選んで失敗する」というやり方である。

そうした失敗から得られる経験は、むしろその後に良い結果を生む貴重なスキルになるものである。

だから「あえて失敗する」というのは強(あなが)ち間違いではない。

 

結局大事なことは「自分で選ぶ」という行動原理なのである。

自分たち昭和世代はそのことをあまり意識せずに生きてきた。

敷かれたレール、とよく表現されていたけれど「大体のお定まりのコース」が用意されていて、それに「うまく乗っかって」さえいれば規定のゴールに着地する、という時代だったのだ。

 

今はそんな空気がすっかり変わって、もう義務教育から「何を学ぶか」とか「何を習うか」とか「何がしたいか」を自分で選ぶ時代に入っている。

親世代が未だに子供を進学塾に入れようとするのは、もはやアナクロ(時代錯誤)でしかない。

子供に培うべきは「選択するマインド」である。

失敗しようとケモノ道だろうと「自分が考えて選ぶ」という習慣を養って補助するのがこれからの大人の役割だ。

 

ゆめゆめ、自分の持つ「成功モデル」を若者に語るのはやめましょう。

 

後悔のヒミツ(1)㊙️

*[ウェブ進化論]後悔のタイプ。

後悔先に立たず、とは言うもののその「後悔」にも実は色んな種類があるものだ。

それは「選択が主体的だったのか受け身だったのか」ということである。

しばしば「人生の後悔論」のようなテーマで挙げられるのは「チャレンジしなかったこと」だというけれど

「後悔が残るのは嫌だから何もしないでおこう」というのは、実は後から最も後悔することになる、というのは老若問わず知っておいた方がいいだろう。

まあ何にでも飛び付いてコケまくるというのもあまりカッコいいものではないけれど。

それはともかく。

 

まず「失敗を恐れて何もしなかった」というのが一番悔しいということだ。

次に悔しいのは「自分で選ばなかった失敗」だろう。

例えば、ただ敷かれたレールに乗っているだけで年月が経ち、気が付いたら自分の選びたい道ではなかった、というのはかなり悔やまれることである。(実際自分の周囲にも結構います)

 

そして次は「自分で選んで失敗すること」だ。

これはは大抵の場合、自身に納得感があるので後悔の念は薄く、さらに失敗したことから得られる経験値も高い。

しばしば「失敗は買うてでもせよ」などと言われる(買いたくはないが)のは、失敗から得られる内容は机上で学ぶ理論よりはるかに貴重なことだからである。

(つづく)

一歩目ありき

*[ウェブ進化論]いつもこれからはサプライズ。😮

生きていて何をしていいのか分からない、ということはないだろうか。

英語では"I don't know what to do."だ。

(何かこちらの方がリアリティがある気がする)

逆にそう言えば、これまで「何かをすればいい」と思えた瞬間、なんてあっただろうか。

学生時代から社会人になって今に至るまで「何かお膳立てされたもの」には乗ってきたものの「これがやりたい!」と本気で感じたことはなかったように思う。

 

今ある仕事や会社とか、今いる家族や人間関係があるからこそ今の日常があるけれど、いつだって「将来が確信できるから決断した」なんてことはなかったと思う。

自分たちはそれほど「先のことが確信できずに生きている」と言っていい。

それほど「先の見通しを立てること」というのは難しいのだ。

そこで本題。

 

見通しが立たないからやらない、という理屈だといつまで経っても静止したままになってしまう。

「やってみないから見通しが立たないのかもしれない」という風に考えれば、一歩踏み出すことに躊躇がなくなるだろう。

若いと、特に「知らない場所へ歩き出す」ことには恐怖心もあるだろう。

羞恥心も強いと思う。

 

旅の恥はかき捨て、とか聞くは一時の恥、という言葉を頼りに「まず踏み出す」ということを一番に考えるのがスタートアップのコツだと思う。

 

アウェイ力(2)

*[ウェブ進化論]本番を踏む。

ホームかアウェイか、と言えば断然アウェイを選ぶ方がためになるものだ。

あえて逆境に赴くというのは、昔から修行の王道である。

でもこれ、ある程度のマゾ体質の人でないと反対の傾向になってしまう。

「ずっとホーム」で過ごすのに慣れていると、すっかり闘う能力をなくしてしまうのである。

(自分の知る限り日系の大手企業の人たちはこの傾向が著しく強いと思う)

「超保守化」してしまうのだ。

 

なので自分がホーム🏠の空気にばかり慣らされていないか、という点には注意が必要である。

例えば新しい企画のプレゼンでも、

異業種交流会でも、

あるいは知らないメンバーとの合コンでも「自分が試される」という空気には触れておいた方がいいだろう。

 

そこでは「初めての自分」として振る舞う必要があるから「自分を事前に察してくれる甘え」はない。

仕事内容にせよ、性格にせよ人間性にせよ「きちんと自己表現すること」が当たり前に求められる。

つまり「最新の自分のアイデンティティ」を簡潔に表現する必要があるわけで、そういう空気が自分を研鑽するのである。

 

そして特に仕事はともかく、異性の目というのはシビアなものだから、モタモタ、モゴモゴしていてはたちまち無視されてしまうだろう。

 

何事も真剣勝負ほど鍛えられるものはない。

アウェイ力(1)

*[ウェブ進化論]アウェイでプロと話す。

よく「ホームとアウェイ」というが、どちらが好みだろうか。

ちょっとマゾの自分は断然アウェイ派だ。

ホームで話しているのは和やかで心地いいが正直、全然面白くないのです😒。

(自分が新人のころ、大手商社へ出掛けて先輩のプレゼンを見ていてカッコいい〜と思っていたら、なんと出来レースですでに受注は決まっていたと、後から聞いて驚いたことを思い出した)

 

ハラハラドキドキしながらも相手の陣地で。

そして、さらに大事なのは「その道の専門家」とその道について話すことだ。

例えば音楽のプロと。

例えば科学の研究者と。

例えば経済や金融の専門家と話す。

相手は「その道で食べている人」なので生半可な知識では語り合えない。

けれどその分野ではアマチュアの自分が相手の土俵へ上がる、という経験には大きな意味があると思う。

 

そういう「異分野の人たちとの交わり」には新鮮な体験があるものだけれど、これは実は異分野に限らない。

例えば仕事とか、あるいは恋愛(夫婦)でも「相手の最新の知見を聞く」と勉強になることが実は多い。

単なる世間話ではなく「今身近の最先端で起きていること」を改めて聞いてみるとためになることがたくさんあるのである。

「あえて相手の世界の最新の話を聞く」ということをしてみてはどうだろうか。

 

動く重心

*[ウェブ進化論]ストーリー作家。

「 正解のない時代」は、正解を探す時代に。

そして「自分なりの正解を作る時代」になっている。

なので、これまでのように年長者が若者に「正解を教える」というスタイルは成立しにくくなっている。

大人が若者へのアドバイスができなくなっているのだ。

親が子に"かなりステレオタイプな常識を押し付けていた時代"と比べると隔世の感があると思う。

 

昔のように「ともかく勉強しろ、受験しろ」「ともかく就職しろ、修行せい」「生きるために働け」という内容では説得力がなくアドバイスにならない。

何しろ(若者はともかく)中年からシニアまでが、自分たちのこれからについてキョロキョロうろうろしているのだ。

 

これからはいよいよ、老いも若きも「自分なりのストーリーの描きかた🖼️」が注目されることになるだろう。

自己紹介で語るのは学歴や職歴ではなく、若いころから「自分が考えてきたことと、行動してきたことの変遷を語る」という風になると思う。

 

思えば学歴とか社歴とか年収とか、いわゆるスペックだけで自分や他人を語り、それだけでほぼ通用していた時代というのは"ラベル社会"もいいところで、今考えればかなり気味が悪かった。

まずは絵本のストーリーのようにこれからを考えてみるのはどうだろうか。

 

正中線

*[ウェブ進化論]自分と比べる。

プロの音楽家曰く「最初は自分だけで練習し、そして他人と比べるようになり、最後には自分と向き合うようになる」との話だった。

確かにアマチュアの自分はレッスンで「自分の音を聞きなさい」とか「出す音🎶をイメージしなさい」と口酸っぱく言われたことを思い出す。

 

まったく「自分だけ」の世界から抜けられていなかったのだろう。(嘆)

だって譜面🎼や音を追うのに必死でしたから。

ひどいもので、むしろ「他人の耳にどう届くのか」なんて考えていなかったと思う。

余裕がありませんでした。

いや練習が足りていなかっただけでした。(嘆)

それはともかく。

 

そういう話は実は仕事とか人間関係とかでも「相似」なのではないだろうか。

まずは自分がやりたいようにやってみる。

そして友人や先輩から注意される。

そのうち「他人からどう見えるか」を気にしながら行動するようになる。

 

そして「他人や周囲からどう評価されるか」を基点に振る舞うようになるのだ。

社会人というのはそういうものだ、と言えばそれまでだが、できれば「周囲の評価よりは自分の納得で行動する人」でありたいものだ。

 

日本は"同調の国"と言われるけれど、いつまでも人目を気にするのは卒業🎓するべきではないだろうか。

 

四毒抜きの使い方

*[ウェブ進化論]*[健康]自分の体で考える。

昨年あたりから四毒(小麦粉、植物油脂、甘い物、乳製品)とか、四毒抜きという健康法が話題になり結構な論争になっていた。

 

提唱者は歯科医師と漢方医でもある吉野俊明さんで、ご自身の「万を超える臨床経験」からこの方法を導き出されたという。

吉野さんは知事選や参院選などにも立候補されて「日本の病を治す!」という大変な熱血漢でもいらっしゃるのだが、それはともかく。

 

こういう「体に良いもの、悪いもの」とか「健康のための習慣」についての話題は、薬の問題と同じく必ず"賛否両論"で賑やかになるものである。

記憶に新しいところでは「コロナとワクチン論争」もそうだった。

こうした時に大事なのは他ならぬ「自分」である。

 

日本人は特に同調圧力が強いというけれど、令和に入ってそろそろ「他人に倣え」という思考から脱する必要があるだろう。

四毒と言われる「小麦粉、植物油脂、甘い物、乳製品」について"自分の体がどのような反応をしているのか?"ということを改めて考えてみるのは悪い話ではない。

 

吉野さんの話では、四毒は自己免疫系疾患とか内臓の不調、あるいは精神的な病気にも大きく関係しているという。

賛否はともかく、自分の体に不調があるのなら考える材料にしてみて損はない。

 

安易に処方薬やサプリメントに頼って改善しない人は周囲にたくさんいるのだから。

試合に見る

*[ウェブ進化論]ボクシング人生のように。

先日ボクシングの試合のハイライト動画で「スローで再生されるシーン」を眺めていてふと思った。

自分のパンチが相手にスパンと当たることもあれば、思わぬ隙に自分の顔やボディーにどかっと、重たい一発を食らうこともある。

これってまるで短い"人の一生みたいだ"と思ったのだ。

 

人生は必ずしも戦いばかりではないけれど、「自分と外部」で考えてみると自分一人で立ち向かわねばならない場面の連続でもある。

少しうまくいったかと思えば、途端に思わぬ一撃を喰らったり。

しかもボクシングのルールのように相手は一人だけではない。

 

日常にはいろんな失敗や、危険な誘いもあれば全く気付かない落とし穴だってある。

そう思えば自分たちは日々そんな"試合"に臨んでいるとも言えそうだ。

自分の周囲には無数の敵がいて、それらを相手に打ちに行ったりガードしたり、打たれたりする。

自分に起こるいろんなことは、嬉しいことも辛いこともそんな「見えない試合相手との対戦なのだ」と思えば少しはファイトが湧いてくるのではないだろうか。

 

そしてやられて立ち上がれればいいが、立ち上がれなくなればノックアウト。

それでゲームは一旦は終わるけれど、実は試合は引退するまで何試合も続きます。

書棚の悪魔(3)👿

*[ウェブ進化論]本はクラファンの気持ちで。

ワインでもないのに30年以上も寝かせた書籍たちを少しづつ処分している。

コツはChatGPTやgeminiなどのAIに手伝ってもらい、色々と本のあらすじや主張とか、重点に挙げているポイントなどをまとめて貰うのだ。

自分の感じたところではいわゆる「ペラいハウツー本」ほど中身も薄く分かりやすい。

当たり前か。

不動産投資とか仮想通貨の解説本などは短いとA4一ページくらいに収まってしまってシンプルで気持ちがいいことを発見した。

 

そして本を整理しながら思う。

自分たちは本を買った際には「お金を出すからには何かためになる知識を得てやろう」という気持ちで紐解くことが多いけれど、

書籍というのは実はクラウドファンディング的なものであり、「少額の投資で自分にとって大きなリターンを得られるチケット」のようなものだという気がしたのだ。

 

クラファンの基本は「応援とそのお礼」だから、まずはさもしい気持ちではなく「著者を応援してみよう」と思えるような書籍を見つけるといいと思う。

そして、そのクラファンのプロジェクトで"たまに大当たりする🎯"のは「よし、この本は5冊買って知り合いに配ろう」と思える一冊に出会った時だろう。

 

推しの一冊📘に出会えれば幸せなことに違いない。

書棚の悪魔(2)👿

*[ウェブ進化論]AIで本整理。

書籍はそれを書く著者の熱意や知識を、体系的に整理し編集した知的商品である。

ユニクロのシャツ👕一枚分の値段で、様々なタイトルのものが手に入るのだから手当たり次第に買いたくなるのも無理はない。(現にそういう人は多い)

そして自分の知的好奇心と「実際の自分の消化能力の差」に気付かずに溜まった本の山は、なるべく見ない🙈ようにしているけれど、視界に入るたびにちょっと気分が沈む。

だからどうする。

 

読んだかどうかはともかく、Chat GPTを使いながら「積ん読本」を仕分けしている。

生成AIに本の要約やポイントを教えてもらいながら「ぜひ読みたい本」と「残念ながらブックオフ」に分けていくのだ。

勿体無いようだけれど「買ってから20年間手付かずの本」はおそらくこれからも「そのままでは手付かず」だろう。

私の部屋で不良債権化しているということだ。

ならばリリースようと。

 

自分の溜めた本は文学小説などとは違い、ビジネス系とかインタビュー、ドキュメンタリーもの等が多いので、要点が分かりやすく分類がし易かった。(村上春樹とかカズオ・イシグロだったらどうなるだろう。谷川俊太郎さんの詩集などもどうだろうか)

 

そうして空いた本棚は、まるで「次の客人を待っている」ような気がしてしまうのだが、それでは"元の木阿弥"だなぁ、などと思いつつ。

(つづき)

書棚の悪魔(1)😈

*[ウェブ進化論]コスパのいいヤツ。

ChatGPTが出現してからというもの、今やちょっと怪しい🤨のだけれど

「かかるコストと得られる知識」について書籍ほどコスト💸パフォーマンスの良いものはない、と言われている。

古くは中国文明だって「竹に文字を記録した知識」が発明され、そのデータの蓄積が他文明より発達を加速させたというのは有名な話。

 

また書籍出版の場合は「事前の大量の紙刷り」が必要なこともあり、かなり慎重に編集作業が入る。

ネット記事との最大の違いである。

企画から入念に検討され、十分に練られた書籍は一冊1500円くらいで発売されるからコスパがとても高いメディアだと言えるだろう。

 

そんな有難い書籍たちを自分たちは安いからと、つい書店で手に取って衝動買いしてしまうけれど、コンテンツの中身は案外濃いものが多いから「積んどく本の山」ができてしまうわけだ。

それほど多読の読書家でなくても

「おそらくは生きているうちには読みきれない本」、あるいは「二度と読み返すことはないだろう本」を所蔵してため息をついている人は多いようだ。

 

この話は案外深刻で「ほぼぜい肉」のようになっている書籍を書棚にただ並べている、というのは狭い家ではメチャクチャ勿体ないことである。

そこで考えてみた。

(つづく)

目的と習慣(2)

*[ウェブ進化論]*[7つの習慣]目的も動かそう。

昨日「健康維持のための運動習慣」について書いたけれど、実は「仕事のための」とか「家族のための」とか「趣味を楽しむため」の習慣も同じくらいに大切だ。

 

ビジネスでは成功者と言われる人たちの話からいろんな習慣を聞くことができる。

自分が過去に見聞きしたものでは

・毎朝早朝に起きる

・瞑想する🧘

・寡食にする

・糖質とアルコールを控える🍷

そして何よりも

・目的を定める

である。

 

「終わりをイメージすることから始める」は7つの習慣の基本の一つだが、実はこれが一番難しいと思う。

理由は「周囲の状況や変化によっては目的すら変節する可能性があるから」だ

詰将棋のように最初から何手も先を読んでいても、それがそのまま展開することはむしろ稀である。

自分自身でも「変化に合わせて読み筋を変える」ということはかなりスキルが必要だと感じている。

それはともかく。

 

そういう"習慣のこと"を健康や仕事だけでなく「家族や夫婦関係」とか「自分のプライベートな時間の使い方」についても想像できれば"自分から周囲の環境を変えていく"ことも起きて来るだろう。

実はこれは結構画期的なことで、自分たちは普段「親しい人にこそ気を使わない傾向」が強いからぜひ実行してみてはどうだろうか。

目的と習慣(1)

*[ウェブ進化論]習慣の作り方。

自分は主に自重の筋トレ💪とウォーキング🚶ぐらいだけれど、そういう運動を「上手く生活に取り入れるコツ」は知っておいた方がいいと思う。

自分の場合は自分で人体実験してみて、さらに専門家の意見を色々と参考にするようにしている。

例えば

・筋トレは朝方にした方がよい。(運動後に飲酒すると30%ほど効果が落ちる)。

・筋量をキープするには部位に分けて週に二回で足りる。(中三日のインターバル)

・ウォーキングは歩数によって体重調節が簡単にできる。(7千歩、1万歩、1.4万歩などで2週間キープでok)

・体脂肪をコントロールするには糖質の摂取量に注目する。

・糖質の"摂取後"に5千歩程度歩くと血糖値の上昇(スパイク)がかなり抑えられる。

 

一時間に歩ける歩数は7千歩程度なので、自分の生活の中で上手く「時間を寄せて」習慣にすると健康管理のストレスを極力抑えることができるだろう。

「中年以降から70代くらいまでの間」に筋トレに目覚めてジム通いする人は多いけれど、続いている人はあまり多くない印象だ。

 

健康管理もやはり「目的」が重要で、上半身や下半身の筋肉の増強が目的なのか、内臓や体重のケアが目的なのかを考えておかないと、老境に差し掛かってやめてしまうのではもったいない時間の使い方になってしまう。

 

まずはテーマを決めましょう。

(つづく)