藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

足し引きの原理(2)

*[ウェブ進化論]シニアの着地。

20代なら「これからできること」についていくらでも選択肢があり、むしろあり過ぎて選ぶのに苦労するのが普通じゃないだろうか。

どんな職業・職種に就くのも自由だし、どこで誰と暮らすのかについても選択の幅は広い。

そうした「広すぎる選択肢からの絞り込み」に苦労するのが若いということだろう。

 

そして40代の中年からシニアに差し掛かると、まるで人生ゲーム(双六)の後半のように選択肢が狭まってくる。

これまでは「広過ぎた世界」だったのが今度は「ピンポイントの選択」を迫られるような感じだ。

「無限にも思えた広がりから、究極のゴールへ向かうようなコース」が自分たちの一生に待っているのだ。

 

けれど歳を取るということはマイナスばかりではない。

選択肢が拡散しない分、やりたい事は狙い定めやすくなっている。

何しろ「残り時間が見えている」ということが大きい。

これからの"大航海"を夢見ている時期は過ぎて、いよいよ現実の着地を考える時期になって来るからだ。

 

自分はこの年になりながら感じるのは「どれだけ早く着地を想像できるか」ということだ。

 

誰しも人生は長い航海をするものだけれど、7つの習慣よろしく「"終わりの姿"を早めにイメージする」というのは「納得できる着地のためのコツ」なのではないだろうか。

足し引きの原理(1)

*[ウェブ進化論]足すばかりではなく。

何か新しいことを始めようとする時によく「足し算思考と引き算思考」という表現をする。

就職でもいいし、新規事業を始めるとか、パートナーと新生活を始めるとか。

そんな「新しいこと」に対して自分たちはつい「足し算」を考えてしまうようだ。

何かの節目に際して「あれもしよう、これもしたい、これだってできるんじゃないか」とつい"足し算の目線"で先のことを考えてしまう。

 

けれどこれって「何か新しいことをするタイミング」だけのことではなく、いつだって「足し算と引き算」について考える習慣を身につけた方がいいだろう。

自分たちは"日常を普通"と感じて、つい「今より何かを足すこと」を考えてしまう。

実は「今」の維持だってかなり大変なことかもしれないのに。

 

何か「将来の目標を」などと問われると、ついどんどん「足せるもののこと」ばかりを考えてしまい、「今の自分から引き算すること」に意識が向かなくなってしまうのだ。

よく時間は有限だ、と言われる。

自分がこれからやりたいことが「とりあえずの体裁」のものなのか、それとも「大事な時間を使ってでも本当にやりたいことなのか」ということを考えないと、あっという間に歳を取ってしまうだろう。

 

自分の時間の使い方は、実は"最高の投資案件"なのでじっくり考える必要があるだろう。

心のマージン💓

*[ウェブ進化論]闇雲でなく。

就職や転職に悩む若者にかけたい言葉。

『慌てることはありません』

 

「やりたい事が見えません」と若い人ほど口にする。

そしてそれに対する回答は「それは人によりますよ」とか「あなたがどう考えるかが基点になります」というものである。

そしてそれは正しい。

けれど若者が思っているのは「だから一歩が踏み出せないんだよ」ということだと思う。

 

就職するにも自分に向いていることってなんなのか。

世間が言うホワイトカラーがいいのだろうか。

それともこれからは地方で働くのはどうだろう。

これからは農業がいいとも聞くけれど。

商社か製造か小売とか。

それとも起業を考えるのはどうだろうか。

そんなことを皆んなが感じていると思う。

 

そして選択をするのに慌てることはないだろう。

納得できるまで色々と試してみればいい。

むしろ「大した確信もなしに他人の風評で仕事に就くべきではない」と思う。

その理由は「一番大事な時間が失われてしまうから」だ。

 

20歳と40歳と60歳では、その後の広がり方がまるで違う。

60歳になって「社会で一から修行したい」と言ってもそれほど簡単なことではないからだ。

 

けれど何かにチャレンジするのは大事なこと。

肝心なのは「今はまだ確かめ中である」という心の余裕を少し残しておくことだろう。

失敗のトリセツ

*[ウェブ進化論]減点しない主義。

これまで何度か話して来た"反射的に考える"シリーズ。

 

実は自分がまったくそうなのだが、新しいことにチャレンジしよう、などと思いついた時に最大の難敵は「面倒くさい」である。

そして歳をとって経験値が上がってくると「新しいこと」が実は当初思い描いていたよりは"茨の道"で、途中でふと「やらなきゃこんなに苦労しなかったなぁ」などと思うことはしばしばある、ということを知っているから余計に億劫になってしまうのだ。

年寄りが(若者でもだが)保守的なのにはそんな理由があるものだ。

 

けれどそれで何も始めなければ何も始まらない。(汗)

けれど「あえて失敗をしに行く」というのも本能的に嫌な気分だ。(嘆)

そこで気持ちを切り替える。

失敗を減らす・避けるのではなく「失敗は減らさない」ことにするのだ。

 

自分たちは失敗した時には途端に「しまった!」と感じてしまうものだ。

けれどその時に反射的に「やらなきゃよかった」ではなく「別に失敗しないことが目的ではないぞ」と思えれば、意図せぬ失敗をいつまでも引き摺らなくて済む。

 

これまでもピンチになったら即、「よく来たな」とか「まっておったぞ!」などと口にすることを提唱してきた。

いつもながらこの「反射的に考える」というところがミソです。

 

劇場の続き(2)

*[ウェブ進化論]自分なりに行くこと。

平成への変わり目以来、「劇場型の分かりやすい話題」にマスコミも一般人も過度に目を奪われているという話の続き。

分かりやすい話題で「善か悪か」とか「強者か弱者か」という二項対立的な見方はますます加速しているように見える。

そしてそれは、皆が実は「先の見えない不安」を抱えていることの裏返しでもあると思う。

 

さらに日本では今のところ「切羽詰まった生命の危機」がなく、けれど「過去一番の将来不安」が充満しているからではないだろうか。

それではどうすればいいのよ、と。

 

それは不安感に苛まれるのを止めて(むしろもう諦めて)、「自分なりの選択を考える」ということに尽きると思う。

これまでとは違い、同じ道に進む人たちがいないというのは不安感を募らせることだ。

けれどこれからは「そういう独自の選択が普通のこと」になる時代だと思った方がいい。

 

そして既定の路線に乗るよりも「自由な道を選べる喜び」を感じことができる人が、いち早く人生を楽しめるだろう。

 

つまり「固定観念からいかに早く脱皮するか」ということがここ当面の重要な基本なのだと思う。

守旧派の人たちからのバイアスも強いと思うけれど、まるで幕末から明治維新の時代のように「我が道を考えること」が将来へつながるのだと確信します。

劇場の続き(1)

*[ウェブ進化論]定番化した世の中。

恐らく平成のころからだろうか"バッシング"という表現が流行り出したのは。

パッと思い出すだけでも「不倫」「誹謗中傷」「ヤミ営業」「セクハラ」「〇〇ハラ」「献上」とかいう単語がクローズアップされて、徹底的にマスコミが叩くという図式が一般化してしまった。

日本は特に間近に戦争などがないからか、一般人もマスコミもそうした「吊るし上げの材料」を虎視眈々と狙っているような雰囲気がある。

90年代に"劇場型"という言葉が流行ったが、今はその続きのような感じがするのだ。

 

身近には差し迫った危機がない。

けれども生活は楽ではない。

未曾有の少子化が進んでいるらしい。

そしてブルーカラーはともかく、いよいよホワイトカラーも本格的に合理化の対象になり始めているようだ。

 

そしてこれからの若い人の働き方やライフスタイルには、どうも「お手本」がないらしい。

 

何かそんな「安心感と閉塞感と将来への不安」が混ざっているのが今の世の中なのではないだろうか。

もちろん直に戦争をしているよりはいいはずだけれど、

自分たちは「何か分かりやすく熱中しやすいもの」がないと目に見えて"善と悪"のような目にみえるものばかりに注目をしてしまっているのだと思う。

 

 

さらに光速で伝わるネットが伝達速度を限界まで高めている。

 

 

 

 

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関係の成分

*[ウェブ進化論]利害なしで。

若い頃、しばしば先輩や親に「友人と金の貸し借りはするな」と教えられた記憶はないだろうか。

その心は友達関係が壊れるから、ということだった。

確かに柵なく付き合っている友だち同士に利害関係が発生するとギスギスしたものになってしまう。

それはともかく。

 

社会人になってビジネスの世界にいると、とかく「すべてが契約とお金の話」だと感じた。

もちろん仲の良い取引先はあるのだけれど「完全な友だち関係」というのはとても少ない。

むしろ”すべてはビジネス”だと思った方がいいだろう。

そしてこの「利害関係」というのはその他のことにも汎用的に当てはまるということに気付く。

 

例えば男女関係とか。

あるいは夫婦や親子や兄弟とか。

“おカネ💰”が絡んだ途端に関係が拗れる、というのは実によくある話である。

先輩の助言はまったく正しかったと思う。

反対に自分たちの付き合いは「人と人との温もり」よりも「利害関係だけで成り立っている」と思うと悲しくもありますが。

 

今の社会ではお金を無視して生きるのはなかなかに難しいことだから、くれぐれも「そういうもの」を安易に挟まないように注意しましょう。

よく酒場で投資やビジネスの話をしている人がいますね。

人とAI(5)

*[ウェブ進化論]イーロン・マスクの年表。

先週のAI記事の続きに。

ラジオを聞き流すように2倍速で聴いていたのだが、

2026年  今年にAGI(汎用人工知能)が登場する

2027年  テスラが作る「オプティマス」という労働ロボットがデビューし家庭に入り始める

2031年  (ロボットの普及で)飲食・小売店から人が消える

2033年  核融合エネルギーが実用化される

2034年  本格的に労働が無くなり始める

2036年  各国でユニバーサルインカム(無償年金)開始

2040年  10億台のロボットが稼働し労働がなくなる

2041年  貨幣経済の終焉 

ひょっとして"リアルなシンギュラリティ"というのはこんな風に来るのかもしれない。

 

インターネットが「距離と伝達のコスト」をほぼゼロにしてしまったここ20年を思い返すと、同様のことが「労働で起き始める」と想像するとあり得ないことではないとも思う。

ここ1-2年は「ホワイトカラーの仕事がなくなる」と急に騒ぎになっていたけれど、ことと次第はもっと急激に進む可能性もありそうだ。

 

手塚治虫が描いた火の鳥🐦‍🔥の世界さながらだが、そんな「ほぼ完全な自動化の時代」に役割のない自分たち人間がどこまで関与できるのだろうか。

すでにネットから離れることも難しいが、これからは「ロボットとAI依存」から逃れられない世の中になるのではないだろうか。

 

「戦争や犯罪はほぼなくなる」というからその方が正解なのかもしれないですが。

経済の本質(2)

*[ウェブ進化論]すべてが初めて。

経済の将来は予測困難である、とずっと言われ続けているけれど、自分はその原因は「初体験」にあると思っている。

今の人類が誕生して一万年程度と言われているけれど、そんな中でも自分たちは「常に初体験をしている」と言っていいだろう。

火を使い始めたとか、農耕を初めて定住したとか四大文明が出現したとか。

産業革命は今"四度目"のことらしいが、過去それぞれの技術革新で「それまでとは全く違った歴史」を人間は繰り返してきている。

 

その状況は今にしても同様だ。

地球の人口は過去最大だと言うし、気候変動とかエネルギーや食料危機とか、そして世界中の国の政治にしても「今が最新です」ということばかりだ。

 

つまり「過去の延長だけで将来を考える」というのは難しくて、むしろ「過去を見ずに今の状況を冷静に分析する視点」の方が重要なのではないかと思う。

世界中でカネ余りが起きているとか、自国優先主義で国家同士の摩擦が再燃するとかいうのも「過去の延長線」ではなく「全く新しいこれからの道筋」なのだと考えた方がしっくりくるだろう。

 

自分たちはとかく「過去の歴史とか、これまでのしがらみに遺恨を持って」行動するからこそよく失敗する。

 

国や人種が「自分たちのことを分け隔てて主張する」というのが一番の禍根である、ということに気付ければ色んな問題は一気に解決に向かうのではないだろうか。

 

経済の本質(1)

*[ウェブ進化論]足りないものを考える。

戦中・戦後を知る自分の父親世代の人に話を聞くと「戦後のインフレの凄さ」についてリアルな様子を聞くことができる。

当たり前だがこういう先輩たちの生の声は、年々聞けなくなってしまうので大事にしたいと思う。

戦後のインフレは明確に「戦後はモノがまったくなかった。だからお金の価値が下がってインフレになるのが手に取るように感じられた」という。

なるほど。

モノが不足していたのだ。

 

そして、今の日本のインフレは「恐らく🤔人がいないことが原因ではないか」との意見だった。

なるほど。

会社経営には「人・物・金💰・情報」とよく言われるが確かに今回の現象は人手不足がもたらしているのかもしれない。

中でもお金は先進国がじゃんじゃん刷っているから、今のところ「お金不足」はなさそうだ。

というかお金の供給過多での「金余り」の方がインフレの原因になっているとも感じる。

 

「モノがないから」とか「金が余っているから」とか実に経済の仕組みは不安定だ。

そしてさらに次の世代には、(今は溢れていると思われる)「(正しい)情報不足のインフレ」なんかが起きるかもしれない。

 

必要なものと、足りないものと、余っているものについてよく考えてみることが大事なのではないだろうか。

 

投資の正体(2)

*[ウェブ進化論]楽しめる人に。

投資とは実はお金の財テクや不動産などの財産の増やし方のことではなく、本当は「時間の使い方のことなのだ」という話。

よく投資のセミナーなどで「自分が働くのではなくお金に働かせよう」という話が出てくる。

これも結局「自分の一馬力」で時間を使うのではなく"複数のエンジン"を持って「自分の自由時間を増やそう」という話である。

 

だから「いかに財産を増やすのか?」ということを最優先に考えて、そのためばかりに時間を使うというのは本末転倒とも言えるだろう。

「どうしたら年収が上がるのか?」と考えている人は多いけれど、それでは「ミイラ取りのミイラ」になってしまう。

 

今の"サプライチェーン社会"の中で生きて行くのにはお金がどうしても必要だけれど、だからといって「お金ありき」を考えると人生設計が非常に歪なものになるだろう。

昭和から平成の時代には、そうした「ミイラ化した人」がとても多かったのだ。

 

"稼ぐ方法"を説く人たちはとても多いけれど、どこかその趣旨に共感できない人も多いと思う。

目的はお金そのものではなく、「お金があることで生まれる"自分の時間"」こそが本命なのだ。

 

そしてお金がそれほどなくても「自分の時間を楽しんでいる人」と話してみるといいだろう。

そうすると「お金持ちなのに笑顔じゃない人」のことにも気付くに違いない。

投資の正体(1)

*[ウェブ進化論]すべては投資。

家を買うのは投資です!という。

将来に向けて蓄財とか値上がり期待とかはこれまでは一般的な話だった。

けれど実は投資というのはそこいら中にあるのだ。

 

若い頃なら受験だって投資の一つだろう。

そして就職も。

そして結婚とか転職とかも。

事業を始めるのは正に投資だ。

 

つまり投資とは「時間を使うこと」だと思っていい。

時間は「生まれてから最期まで」一直線に、しかも誰にも均等に流れて行くものだから「最高の投資方法」とは時間の使い方のことなのである。

なので例えば「現金を株式にするのか不動産にするのか、それとも仮想通貨に替えるのか」ということばかりを考えていて、時間をいたずらに使ってしまうのはかなり愚かしい行為だと言える。(苦笑)

 

人生は何も"財産を増やすこと"ばかりが目的ではないから、趣味とか恋愛とか学問などに時間を使うののも立派な投資である。

大事なのは「それと分かって時間を使う」ということだろう。

 

反対に勿体無い投資とは「知らずに時間を取られていた」ということだ。

自分の意に沿わない仕事とか、我慢ばかりしている生活を強いられていて知らぬ間に時が過ぎた、というのはおとぎ話のような不幸でしかない。

 

投資はお金や財産の話ではなく、自分の時間の使い方なのだと考えてもらいたい。

糾う世界(2)

*[ウェブ進化論]自分近辺から想像していく。

終戦があって復興が始まり高度成長期へ突入。

経済の失速を30年以上経験して未曾有の少子化の今に至る。

戦後だけをみても結構なアップダウンだと分かる。

さてこれからの日本は「安定した低空飛行」なのかそれとも、またかつてのような頑張りを見せるのだろうか。

(自分は日本人の我慢強さを見ていると、この先も何とかしていくという気がしている)

それはともかく。

 

技術の発達も早いので正確な未来は予想しにくいけれど。

気候変動で都市がどうなっていくのか、とか少子化で地方や郊外🏘️が廃墟だらけになっていくのかとか。

なのでグッと身近に「自分の周囲から考える」ということにする。

例えば"15年後の2040年"に自分は働いているだろうか。

それよりも健康で生きているだろうか。(なんと後期高齢者になっている)

自分はどこに住んでいるだろう。

自分の家族や親戚はどんな暮らしをしているだろうか。

 

 

そんな「現実を少し伸ばした想像」をしてみたい。

そしてクルッと見方を変えて「だから15年後のありたい姿」を考えてみるのだ。

つまり「今から15年後の自分たちを想像」し、そしてできれば「今思える理想の将来」へと誘導していくようなことだ。

 

自分と周囲の人たちの環境について、案外今から考えておけばそれほど慌てずに済むのではないだろうか。

 

40歳くらいからはそんな習慣が必要だと思う。

糾う世界(1)

*[ウェブ進化論]終わりの始まりと、終わりが始まり。

今年も一月が終わってしまったけれど、周囲のいろんなところで「終わりが始まっている」という兆候を感じる。

関東圏の結構な街中でもインフラ設備が腐食して壊れたり、また都内でもそれと分かる空き家が目に付くようになった。

不動産業界にいる友人に聞くと都心のターミナル駅近くでも単身者用の物件は余り始めているとも聞いた。

 

いわゆる2025年問題の「終わりの始まり」なのだけれど、これから少なくとも15-30年間ほどは今のような"ジワジワした少子化が進む"ということを理解しておかねばならないだろう。

そして終わりの始まりは「終わり」に向かって行き、やがては「次の始まり」が見えてくるだろう。

 

なので今のように「終わりが始まっている時」に「終わりを想像することから始める」という7つの習慣がまた思い浮かぶのだった。

2040年や2060年ころという「終わり」とそして「その次」はどんな風になっているのだろうかと想像してみよう。

ほんの15年後、のことだけれど正確に予想するのは難しそうだから、分かる範囲で自分なりの仮説を立てていくつもシミュレーションするのが大事だと思う。

 

 

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人とAI(4)

*[ウェブ進化論]次世代の政治スタイル。

まだまだ"AIがリーダー"という時代が来るには時間がかかるかもしれないけれど、少なくとも「分析とか予測にはAIが優れている」という時代はすぐに訪れるだろう。

感情的には「リーダーは人間であって欲しい」というのは人情だと思うけれど、果たして「有史以来これまでの"人間のリーダー"はどれほど正しかったのか?」ということは検証すべきテーマなのではないだろうか。

 

自分たちは一万年前ほどから「同質の脳」を持って現在に至るという。

四大文明が起こって以来、各所で「王とか思想家とか哲学者とか医師とか政治家」がリーダーシップをとって来たけれど、どれも人間の所業である。

科学技術の発展とか、世の中の環境の変化は大きかったと思うけれど「人間のリーダーたち」がどのようなことをしてきたのか。

争いや侵略や協調とか。

国内や地域の統治とか制度とか発展とか。

 

どんなテーマも、実はひと一人が担うには重すぎる問題だったのではないだろうか。

そして地球温暖化、とか日本の少子高齢化とか。

そんな複雑なテーマを最終的に「一人の決断に任せるシステム」は限界に来ているのではないかと思う。

 

「いろんなAIの知見を借りながら」複数のリーダーが話し合って決める時代がこれからのスタンダードになるのではないだろうか。