異環境と接触

*[次の世代に]今を楽しむ力。

自分が小学校のころ(1970年代)には、一家で長屋に住み、継ぎはぎの「お下がりの衣服」が当たり前で、お世辞にも裕福とはいえない家庭が多かった。

 

それでも友だちの家に遊びに行くのは新鮮で、お母さんたちが工夫して出してくれた手造りのお煎餅や芋菓子などは驚くほど美味しかったことを思い出す。

(なんで人様の家とか外で食べるものってあんなに美味しかったのだろうか)

(というような記憶を引きずって自分は今も居酒屋に行っているような気がする)。

それはともかく。

 

最近一人暮らしのお年寄りとか、施設で暮らす親子の人たちと知り合うようになって思い出したたのが、その「昭和の家庭のお母さんたち」のことなのだ。

 

例えば家族に重い認知症を発症した高齢者とか、あるいは遺伝や疾患で障害を持つ子供がいるとか。

そうした人たちに共通するのは「"今"を基準にして生活をする態度」である。

自分の身を不幸と今を嘆いたり、行政の施策を批判したりはしない。

むしろ「今ある家族や人間関係に感謝して、今できる最善を尽くす」ということをどこかで体得しているように見える。

そして、そこで思う。

たぶん「満たされないことや政治の不徳を嘆くよりも、よほど充実した生活の仕方があるのだ、と。

 

まるで仏教の教えのようだが、「今ある環境で一番の幸せを感じる生活をする」ことができるのだ。

 

そんな経験からも、「自分が普段触れ合わない人たちと交流する」というのは自分に思わぬ気づきを与えてくれる。

意識してそういう機会を作りたいと思う。

三年単位の賭け

*[ウェブ進化論]石の上にも三年(°▽°)

世界中が大きなショックを受けたコロナ騒動で、「コロナが変えた〇〇」「コロナ後はこう変わる」という報道やコラムがとても多い。

これからも"コロナ後"に向けていろんな新しい試みが出てくると思うが、重要なのはその「時間軸」ではないだろうか。

自分の経験を振り返ってみると(これまで過去十数回は新規の事業に手を出しているが)、それが「成功したか否か」は少なくとも三年くらいは時間が経たないと判断できないのだ。

 

つまり「新しい事業やサービス」を始めてから、それが日の目を見るまでには「だいたい3年くらい」は時間がかかるということだ。

今まで人様のことは全然気にしていなかったが、

今隆盛のサブスク動画であれ、Facebookであれ、amazon primeであれ、出始めには手ひどく批判され、その欠点の可能性を論(あげつら)われ、もう「失敗するのに違いない」と酷評されていたことを思い出す。

マスコミは、成功が見えた段階で自分の立ち位置を変え、「やはりamazonは凄かった」というけれど、彼らが批判一辺倒のポジションにいたことを忘れてはならない。

 

つまり、「新しいことを手掛ける」ということは「向こう三年を"それ"に費やす」ということの決意表明なのである。

何か「ちょっと新しいことに手を出してみる」という話ではなく、「向こう3年間はこれに捧げます」ということなのだと理解したい。

 

新しいことをするのは「三年の時間の帯」を使うという意思決定だ。

覚悟して臨みましょう。

 

出口考(2)

*[七つの習慣]短期の目と長期の思考。

自分たちは「意味のない作業の繰り返し」には耐えられない。

シーシュポスの岩だ。(彼は何か悪いことをしたのだろう、くらいに思っていたが結構複雑なお話でした)

だから自分たちはどうしても「終わり」を探す。

辛い毎日を過ごす理由を探しがちだ。

「"終わりがある"と思えば耐えられる」ということを本能的に知っているからだ。

いきおい「終わり探しの旅」に出てしまうことになる。

終わりはどこ? どこなの? と。 

 

人生は実は有限だけれど「自分のこれから」には終わりはない、(と思っている)。

どの方向へ行くのかを「これから選ぶ」のは「これからの自分だから」だ。

もし次の一手、を変えれば「その先」は当然違ってくる。

 

終わりを考えることは、"作戦"としてはとても重要なのだが、「終わりの出口ありき」だけで日々を行動するのは、どうも正解ではなさそうだ。

大切なのは「出口」と"小さな成長"なのではないかと思う。

 

終わりを想像しながらも、毎日に小さな成長を見いだすようなメンタリティを持ちたい。

短期と長期のバランス感覚を意識したいと思う。

出口考(1)

*[七つの習慣]出口を見る力。

人は知能が発達しているから、例えば「出口の見えないこと」なんかへの耐性が弱い。

つまり終わりのない、果てしない何かを継続することは苦役に感じる。

例えば自分が学生だったころとか。

出口は見えなかった。

それ、裏返せば「出口」が見えればそれを頼りに、かなり粘り強く我慢できる生き物でもあるってことだ。

そして実際にだが、自分たちが過去を振り返ってみると、案外いろんなことに出口があり、でそんな「下積みたち」が実は役に立っていたなぁ、ということだって多い。

気づかなかったけれど。

 

七つの習慣の2つ目に「目的を持って始める(終わりを考えてから始める)」というのがある。

今の一日が一見「手間仕事だけ」に見えても、それがどこかの出口に向かって進んでいる可能性は十分ありそうだ。

つまり「出口を意識すること」を覚えれば、辛い今を感じても頑張れる。

今日一日を積極的に過ごせるのではないかと思う。

 

ただ、日々「出口探し」ばかりしているって、本当にそれだけでいいのだろうか。(疑)

(つづく)

 

糖質の体験

*[健康]リバウンドしてみる。

もう長いこと糖質制限をしていると、連休とかお正月とかのふとしたタイミングで糖質を摂ってしまうことがある。

いわゆる"リバウンド"みたいなことだ。

少し気が緩んで「今日はいいだろう」という気分になり、お菓子や麺類やお米などを食べてしまう。

 

今年の年初にやはりそういうことがあり、どうせなら「糖質のリバウンドはどの程度のものか実験しよう」という風にテーマをすり替えてみたことの報告です。

結局一週間にわたって毎晩「米菓子類」や「白米・麺類」を自由に食べて、もちろんお酒も(蒸留酒を中心に)飲んでいいことにした。

 

結果。

一週間できっちり4kgの増加。

体脂肪は13%から17%になっていた。

そして体重よりも顕著なのは「体の重さ」だった。

体自身が何か重い感じがするし、また体重のせいで軽く腰痛なども発生している。

代謝の衰えをも感じることができた一週間だった。

 

それにしても「糖分を摂取している最中の満足感」と、そして「糖質を摂り終わった後の疲労感」には改めて驚いた。

 

「糖質が、かなり習慣性のある食べ物で、日々体にも負担をかけている」ということが体感できれば、納得して糖質を控える人が増えるのではないかと思う。

 

いろんな実験を自分の身体でしてみるのは、なかなか面白いことです。

当たり前の手順

*[七つの習慣]望むものは手に入る。

「手に入る」という表現をすると、いかにも物欲しそうな感じだがそうではなく。

「望む状態」とか「いたい環境」とか「満足できる生活」とかいうものの話。

そういう「今とは違う望む状態」というのは、実はそれほど遠いところの話ではない。

なぜなら「その状態を作るのはあなた」だからだ。

自分のやりたいこととか、望むような生活スタイルがあるのであれば、もうそれはゴールが決まったようなもの。

"そこ"へ行く道は他ならぬ「あなた」が作り、あなたが自分で歩いてゆく。

そうすれば、必ず「望んだところ」へと辿り着くだろう。

 

会社とかパートナーとか、「誰か自分以外の人」がどこかへ連れて行ってくれるとか、周りの環境を変えてくれる、と考えるからフラストレーションがたまる。

周囲に対する不満が溜まるのだ。

それが違う。

 

「自分の望む道に導いてくれるのは自分なのだ」ということに気づけば、外部に対する不満はなくなる。

そして「本当に自分でできること」を考えて「自分で歩く」ことを始めるだろう。

望む道が決まれば、自分の足で歩き出し、そして目的地に辿り着く。

まずは「自分の理想」を考える。

そして自分で「そこに至る道」を考えてみれば、目的地に着くのは案外難しくないのではないだろうか。

 

順当に進めてみよう。

温故知新に近づく

*[七つの習慣]主体性とは自分のことだった。

七つの習慣を座右の銘にしていても、毎月のように新しい発見がある。

多分「理屈を身につける」つまり「本当に習慣化する」というのは思いのほか時間がかかるし、難しいものなのだ。

だから流行りの「〇〇できる成功の法則」というhow toモノは間違っていないにしても、それが自分の血肉になるのには別の努力が必要なのだ。

 

七つの習慣の一つめは「主体性を発揮する」だが「ふんふん、主体性を発揮する、ね…」と考えているだけでは"本当の姿"は見えてこない。

「どこで、どんな主体性を発揮するのか」が具体的にイメージできないと"主体性を発揮する"は単なる意味のないテキストメッセージになってしまうのだ。

 

これに気づいたのは、いわゆる"成功や成長している企業の話"を聞いて「羨ましい限りだなぁ〜」と思ったごく最近のことなのです。

その成長著しい組織を作るのは誰なの?

スパイダーマンみたいな人はどこかから現れはしない。

それは自分しかいないのだ。

 

というごく当たり前のことにようやく気がついた。(嘆)

サンタさんがさんが来てくれるわけでもなく。

誰かが降臨して問題を吸収してくれるわけなどなく。

"それ"をやるのは「お前自身なのだ」ということに。

 

もう七つの習慣に出会って30年が経つけれど、いまだに一つ一つの項目について驚かされる。

まだまだ発見の旅は続きそうだ。

ゴールは先に

*[七つの習慣]失敗をねらうという思考。

なにか物事がうまく行った時の記憶って頭の中に残っているだろうか。

自分の場合「いやーあの時はうまくいったなー」という記憶はほとんどない。

圧倒的に失敗の記憶の方が多い。

いまだに夢に見て目を覚ますこともあるくらい。(汗)

そして失敗の苦い経験は、「二度とそれを繰り返したくない」という記憶を自分たちに植え付ける。

つまり「一度失敗したこと」は繰り返しにくい。

だから"いろんな経験値"を積もうと思えば、むしろどんどん失敗した方が良い。

でそれなら、どんどん失敗しに行くべきだ、と言うことになる。

何か「最初から失敗を前提としていく」というとおかしな具合だが、まぁそういうことだ。

それでいいのだ。
つまり、「失敗をするギリギリのところ」をねらいに行くという感じだ。

反対に「成功する範囲の事しかしない」ならば成長の伸びしろはなくなるかもしれない。

それはともかく。


何かにチャレンジするときには「成功するか失敗するか」ではなく、「どちらにせよ“得られるものはどんなものか?“」ということを想定して"チャレンジの勢い"を考えるといい。

つい結果の「失敗か成功か」を自分たちは考えがちだ。

 

「得られる経験値の大きさ」を考えながら挑戦しよう。

挑戦の知恵(2)

*[次の世代に]まず自分に帰る。

自分も覚えがあるのだが、思いつきで飲食店を開いたり、ECサイトで物販をしてみたりと多角化する経営者を見かけるが、長続きしないことが多い。

なにより「急に飛びついたアイデア」というのは、その分野の知見もないし、なんとなく「良さそうな部分」しか目につかないことが多いのだ。

むしろ「よく分かっていないから、安易に成功しそうに思ってしまう」ということだと思う。

昔から「実に怪しげな投資詐欺」に引っかかる人が多いのはそんなロジックが働いているのに違いない。

なのでポッと出た面白そうな話ではなく「自分の生きている周辺に目を凝らす」というのが実は近道なのだと思う。

学生さんなら「これまで学んできた中でも比較的興味の湧いたもの」とか「自分の趣味や触れてきたもので、どうにも"心惹かれるもの"」とか。

社会人なら「これまで自分の働いてきた軌跡や、触れ合った人たちの中で"お、いいなっ"と思ったこと」とかだ。

 

意外に自分のそんな「感情の起伏」はきちんと記録されていないから、自分で自分のことになかなか気づけない。

「自分が何をしたいのか分からないんです」という若者は多いがそれは「自分のことがよく分かっていない」からなのだ。

今の「自分の軸(強みとか興味とか)」を中心に、もう一度「自分を真上から眺めてみる」必要がある。

 

後輩や友人にアドバイスするように、意外に「気づかない自分」が見えてきたら、「挑戦する相手」も見えてくるだろう。

 

 

挑戦の知恵(1)

*[七つの習慣]はじめはマイナス。

サラリーマン時代も含めて、自分は中小企業にしかいたことがなく、何か新しいことにチャレンジするたびに「負け戦からの船出」というイメージが湧く。

マイナスからの出発ってやつだ。

で最近になってようやく「それが当たり前なのだ」ということがわかるようになってきた。(嘆)

中小企業には豊富な資金や販路に使えるような系列はない。

「こんなナリで旅立って大丈夫なのか」と出発した後に思うことも多い。(汗)

でもこれは逆にいうと「限りなく自由」な状態でもある。

どう解釈するかは自分次第だ。

ただしそのまま大波に呑まれて難破してしまってはゲームオーバー。

なのでチャレンジを始める際には"リスクの最大"を「必ずセット」にして意識しておく必要がある。

例の"終わりを考えることから始める"だ。

 

で、一本足打法で挑んで失敗しないために、代替策を用意しておけばいいのだが、これが言うほど簡単ではない。

新しいことは、大抵一人か二人から始まるので、複数の新しいことを同時にやるリソースなんて、まずないものだ。

(つづく)

 

真理へのアプローチ

*[ウェブ進化論]まず知ることから始まる。
「何かを知っていること」はほとんど価値をなくしてしまった今の時代だが、その一歩先にある「知っていることと知っていること」あるいは「知っていることとまだ知らないことを結びつけて考えること」の価値はそれほど落ちていないと思う。

というより、その「二つ以上の事実を結びつけてその奥の真理を考える」ということの重要性は、以前に増して高まっているようだ。

 

さらに「知っていることや知らないこと」を、もっといくつも重ね合わせて考えると、今の時代でも充分「誰も気づかなかった」貴重なアイディアになるだろう。
大事なのは「ただ知っていること」をそれ単体で放っておかないことだ。

「ただ知っていること」に意味はない。

 

地球温暖化は国連でも合意されている現象だが、一方「地球は氷河期に向かう途中だ」という専門家もいる。

人類の叡智(認識能力)がどんな結論と解決策を出すかはこれからだが、これからの自分たちに一番求められるのは『多様性を認める"柔軟性"』なのではないだろうか。

これが今の地球人に備わってくれば、有史以来続いてきた「骨肉の争い」がなくなるヒントになるかもしれない。
 
"いくつもの事実"に考えを広げることで、その上に無数のアイディアの幅が広がっていく。
そう考えれば「まずは知ること」にも充分意味があるだろう。

 

まずは、知りましょう。

 

 

 

 

健康の習慣

*[七つの習慣]オリジナル・筋トレメニューを。

老化を防ぐ、というよりも普通の体調を維持するために「有酸素運動」と「筋トレ」は40代後半からは必須の習慣だと思う。

42歳の時に、医師から「フジノ さん、これからは"落ちてゆく一方の代謝"とどう付き合うのか考えてください」といわれたのを思い出す。(凝固)

 周囲にいるかなり若々しい老人と、年齢以上に老け込んでしまう人の差はそんな「運動習慣」にも強く影響されているのだろう。

その他は「口にする食べ物」と「メンタリティ」との"三点セット"で自分たちの老後は作られていく。

それはともかく。

 

特に筋トレだが、腕立て伏せとか腹筋・背筋とかのトレーニングは、部位によって「最適なインターバルの時間」が違うことを最近発見した。

例えば「腕立て伏せで筋肉を成長させてゆくことを狙った休息の取り方」は面白くて、自分の場合は「中二日」でもなく「中四日」でもなく「中三日」がベストだった。

(若い人はもっと短いのだろう)

このタイミング以外では筋力が落ちてしまうのだ。

それが一方、大腿筋のスクワットでは、中二日がよかったりと「自分なりの部位に合わせたトレーニング方法」を探し当てると健康の維持に使いやすい。

 

毎日、定量的にトレーニングし、定性的な法則を自分なりに見つけ出すと、そのこと自体が面白くなってくる。

自分の体で実験してみるのも、また一つの習慣の作り方である。

 

 

祭りのあと

*[ウェブ進化論]夢とうつつ。

コロナ禍はものすごい勢いで世界中にお金をバラまかせたが、この負債は誰が返すのか、それとも返さないのか。

バラまいたお金が軒並み投資に向かい、ゼロ金利で発行された国債で調達されたお金がどっと市場に溢れ出たと言うことらしい。

いわば「根拠のないお金」が市中に出回ってしまったわけで、「お金そのものの価値」が下がるのは間違いないだろう。

さらに国債や株やその他の資産や高級品の価格も下がる、ということらしいので、慌ててお金を刷ったことが大変な混乱をもたらしそうだがまだどんなことになるか分からない。

 

しかしながら「お金の価値」は下がるだろうが、自分たちの日々の生活が変わるわけではない。

あまりに「お金そのものの価値」が下がるのであれば、既存の通貨から離れて新しい通過に移るだろうことは想像に難くない。

戦後のインフレを見ると、それまでの過剰な債務とそして「決定的に物がなかった」ということだったと分かる。

だから「物の供給」にだけ気をつけていれば、インフレの嵐に巻き込まれなくて済むだと思っている。

つまり金の価値が下がって困るのは、「その過剰なお金で過剰な投資をしてしまった人」なのだ。

 

今の先進国は株式や先物市場とか債券など、「どこまでが実体でどこからが投機行為なのか」ということがとても曖昧になっていた。

 

今回の騒動を機に、実体経済と投資経済を切り離す時代が来たのではないだろうか。

挑戦優先

*[七つの習慣]失敗は早めにする。

社会人初日、新人研修の一番最初に先輩に言われたこと。

「昨日まで学生だったような、君たちに今日からできることは1つしかない。

それは言われたことを“すぐ“やることである。

社会人になった1番最初のスキルとしてそれだけをまず必ずやりなさい」

ははぁ…

自分は「そのうちにプログラミングなんてできるようになるのかいな?」くらいに思っていたのだが、いきなり目から鱗が落ちた瞬間だった。

確かにそれならできそうだ。

 

社会人30数年を過ぎた今でも、この教えは間違っておらず、色あせてもいない。

というか「できる仕事人の絶対条件」と言ってもいいだろう。

ただ「すぐやる人がすべて仕事ができる」というわけではないけれど。

 

みなさんの周囲にも「すぐにできない人」は存外に多くないだろうか?

そして、ただぐずぐずしているうちに自ら失敗を生んでしまう人をこれまでどれほど見てきたことだろう。

どうせ失敗するなら早いうちがいい。

失敗しないことに時間をとかけて、結局チャレンジしないくらいなら。

 

よく先輩に「お前はアホのくせになんですぐやらへんのや?」と言われたことを思い出した。(汗)

犠牲vs便利(2)

*[ウェブ進化論]便利と理性。

(つづき)

特に事故や犯罪の被害にあった人やその家族などの話などを聞くと、世の中の仕組みは「もう少し厳しめのルール」にするべきではないかと思える。

交通事故や犯罪をいたずらに厳罰化する、というのではなくルールを変えるようにする。

例えば車の交通ルールを厳しくするよりは、車の性能そのものに制限をかけてしまうのだ。

例えば時速50キロ以上は出なくする、などとしてしまえば、事故は減るだろう。

だが、そうした動きは聞いたことがない。

高齢者の運転ミスが話題になって久しいが、例えば高齢者や煽り運転をしてしまう人は、速度制限付きの車にするとか。

(高速道路はセンサー付きの車で150キロでもどうぞ)

 

"便利と理性の限界"について、自分たちは身近に被害が起こっていないと問題意識が向かない。

毎日交番に掲示される「昨日の事故件数」を見ていても特に何も感じない。

これは経済の持つ「悪魔的効果」である。

 

以前も書いたことがあるけれど、駅のホームに付けられている転落防止の柵は、一駅で5-10億円ほどかかるという。

年間にどれほどの人を救い、その費用対効果を計ることはタブーなのだろうか。

自分たちはよく費用対効果、と口にするが基準を見直す対象はあちこちにありそうだ。

 

カーボンフリーだけが目標なのではない。