本音はどこに

*[次の世代に]オトナに騙されない。

これから就職するという若者に、色んな職業の持つ「エッセンス」を伝えるのはなかなかに難しい。

ましてや自分の職業や属する業界に思い入れがあって「面白い業界だよ」とか「やりがいがあるよ」というのは御法度である。

その罠に嵌ってミイラ取りになった人はものすごく多いと思う。

 大手企業とか高級官僚とかはそういう例が多いように聞く。

横並びで競争し、人気企業にたどり着いてから「何かヘンだな」と思いつつも40年も過ごす、というのはある種の悲劇でもある。

それでも「真っ当に働いてご飯を食べてきたのだからよかったのだ」と過去形で説明するのは、自己否定が怖いからではないだろうか。

 

どんな業界や会社にもいい面と悪い面が必ずあるから、大人たちは「それ」をニュートラルに話す義務があると思う。

 

そして若い人には一つだけ。

どんな業界にもその業界独特の"匂い"というものがある。

マスコミ、医療、福祉、士業、金融、不動産、飲食…

一つの業界に何十年もいると、見事にその匂いが染み付いているものだ。

それを見抜くには「業界誌」と言われるものを一つ見てみることをおすすめする。 

その業界にいる人たちが専門に読むための、新聞とか"○○ビジネス"とかいうあまり聞いたことのないタイトルの出版物だが、これを眺めてみると「建築業界って」とか「病院とか医者って」とか「法律や士業の業界はこんなものなのか」という雰囲気がよく分かる。

(例えば医療業界の専門誌は、医療保険の報酬とか経営の話ばかり。あまりやりがいとかについて書いた記事は見当たらない)

 

その業界誌を眺めてみて、自分が興味を持てそうだったらチャレンジしてみるのもいいだろう。

夢ゆめ大人たちの自己弁護には騙されないようにしてください。

教訓を見つける

*[次の世代に]一年経って。

いよいよ三月になり「コロナで切り取られた空白の一年間」が過ぎた。

この一年の反省と驚きは、これだけの近代社会の中で、自分たちは「未経験なこと」と「既知の知識のないこと」については、かくも脆い存在だということだったと思う。

ある意味"現代人の奢り"みたいなものが露呈したのではないだろうか。

 

まるでSF映画のような悪夢の世界が、現実になってみたら「いかに思考力や行動力が備わっていないのか」ということを自分は痛感した。

これは2011年の震災が起きた時と同じだが、

自分たちは「予想外の事態のシミュレーション」を常にしておかないと、"ますます安定する現在"から例外対応ができないのだと思う。

 いわゆる避難訓練を「色んな分野」でしておかないと、例えば「サイバー空間で大規模災害が突然起こったら」自分たちの経済や生活は大混乱に陥るだろう。

 

世の中はどんどん安定し、平和になり、だから「ぬるま湯」に浸かった日常になるのは仕方がないけれど、どこかで「自給自足の精神」を残しておかないと「まったく役に立たない自分」になっていることに気がついた一年だった。

 

このような災厄が定期的に世の中に起きるのは、まさに「自然の采配」としか思えないが、そんな"波"がくるのを想定して生活を考えるのは、また一段「生活の知恵」が向上するのではないだろうか。

 

平時と緊急時の使い分けがこれからのテーマのような気がする。

 

逆転コンテンツ

*[ウェブ進化論]安泰な老後。

TSUTAYA」が繁盛していた頃は「これで自分の老後は退屈しないな」と思って本気で安心していた。

くだらない(定番の)テレビ番組を頼らなくても「自分の好きなコンテンツを選べる時代がきた」と思ったのだ。

 ところがそこから一足飛びに。

動画メディアの普及で「老後の退屈しのぎ」どころではなくなっている。

もはや「コンテンツに喰い殺されない」ように時間の使い方を工夫しないと、自分たちの老後の数十年などあっという間に消費されてしまうだろう。

 

インターネットの普及が人の人生にこんな影響を与えるとは思わなかった。

そこで「これから大事なこと」は「つまらぬコンテンツに引っかからないこと」だと思う。

それでなくとも過去の貴重な映像はすでにupされていたりする。

これから作成される動画は、もっと品質の高いものも多くあるだろう。

 

老後の心配は全く反対になった。

「長い老後の時間をつぶす」ためのコンテンツではなく、「限りある老後の時間に見るべきコンテンツ」を選ぶ必要がある。

これから20年も経つとこれはなかなかの問題だろう。

恐ろしいほどのコンテンツを前にして、自分たちはどんな時間を過ごすのだろうか。

 

「老後動画の選び方」なんていうサービスが出てくるのではないだろうか。

 

ケチらないこと

*[次の世代に]あえて、ゆっくりと。

年を取ってきて驚くのは、つくづく何でも「前倒す」傾向になってきたことだ。

 たとえば、本日の夕食についても「仕事が終わってから決めようか」ということができない。

下手をしたら、もう前日くらいから「明後日の朝は早いから、早めにお店に予約をしておいて…」というようなことを考えている。

そして自分より先輩をみれば、そうした「スケジュール主義」の人たちは案外多いことに気づいた。

多分これが「歳をとる」ということなのだ。

(したがってそういう兆候が皆無の若者は、まだまだ若い。)

 

若いと時間にも約束にもルーズでいられるが、それが「もったいない」と実感するのが老化の特徴なのだと思う。

「ルーズでいるだけの余裕がない」とも言えるだろう。

だらだらしている若者を見ると、もどかしいというよりは羨ましい。

(そして 自分もそんな"ルーズな若者"そのものだったのは、実に皮肉なことですが)

 

関西ではそういう性質を「苛(いらち)」というけれど、だからこそ年寄りは「苛立って」はいけないと思う。

先の短い人生を考えてせっかちになるのではなく、むしろそこでルーズに振る舞ってみる。

そういう態度が、実はどっしりとした様子になるのではないだろうか。

 

年寄りが時間を気にしてセコセコばかりしていては、若者が見ていて幻滅するのではないだろうか。

先は短くとも、どっしりと構えていたいものである。

 

 

逆算

*[七つの習慣]*[次の世代に]確実な方法を考える。

資格試験とか発表会の本番とか。

あるいは新規事業の成功とか。

何か「そうなりたい」という願いがあるのだとすれば「そうなるように」努力することになる。

どのくらい努力するかというと「そうなるくらい」に努力する。

そのくらい努力すれば、大抵そうなる。

そうならない場合は「努力が足りなかった」ことになるわけだ。

つまり努力しさえすれば、必ずそうなるってことか。

 かというと、実はそうでもない。

努力には「方法」というのがある。

受験参考書の「最小の努力で最大の効果を…」ってやつだ。

間違って丸暗記しようとしたり、時間ばかりかけた練習はくたびれ損だ。

だから努力はする前提で、「どう努力するか」をよく考える。

そして「到達する方法」が見えた時点でもう成功したようなものだ。

あとは"ただ努力"するだけだから。

というようなことを中高生の自分に言ってやりたかった。

 

成功が約束された努力って案外耐えられるものだ。

 

 

見えている場所(3)

*[ウェブ進化論]時間を見える化

未来年表(1才版)などをみていると、いま一歳の赤ん坊が二十歳になる頃に日本の財政が破綻するとか、55歳になる頃には消費税は17%を超えているとか、80歳を過ぎる頃には韓国が消滅危機になるとか、ホンマかいなという予測が列挙されているけれど。

確かなことは「このカレンダーを「自分たちは確実に過ごしてゆく」ということだろう。

 こうした暦の中で、仕事をしたり遊んだり、睡眠を取ったりしながら"ゆっくりと時が流れる"ことをイメージできればいいと思う。

 

そして納得できる時間の使い方のイメージだ。

ゴルフをするとか映画を見るとか。

家庭を持つとか仕事をするとか。

何のために勉強する?とか、学問のこととかを考えるとか。

 

目に見えない時間の流れを何とか「可視化」して、"自分の時間使い方"を編み出せれば納得できる人生になるだろう。

少なくとも「中学入学の初っぱな」くらいにはそんな話をしてあげるべきではないだろうか。

「時間は君たちのものなのだ」と一言いわれてみたかった。

 

まあ気付いたところがスタート地点だ。

 

見えている場所(2)

*[ウェブ進化論]色んな未来を見渡して。

昨日に続いて未来年表のお話。

生活総研(博報堂)が作成した未来年表はさらに詳しい。

seikatsusoken.jp

例えば30歳のあなたの未来、なんて検索もできる。

この世代の人が定年になる頃には、再び出生率は回復に向かうらしい、とか。

未来年表 : 現在30歳のあなたの未来年表 | 生活総研

(2030年にはバーチャルメイクラブができるらしいですよ。ぷぷぷ)
色んな分野の出来事が予測されているので、こんな切り口から興味のあることを探してみるのもいいだろう。
 
昨年「ファクト」という単語が流行ったけれど、「確からしい予測」に絞って眺めてみるのはどうだろうか。
 
(余談ながら、UICという団体が提供している万能カレンダーも面白い。
自分の生年月日を入れると自分が「何日・何時間生きてきたか」が一発で分かってびっくりする)

見えている場所(1)

*[ウェブ進化論]確実に分かっていること。
野村総研NRI未来年表2021-2100 というのがある。
日本や世界の色んな予測が列挙してあって「ホウ、未来はこんなものか」と先を眺めているようで楽しい。
 
あらかじめ決まった正解がないと言われる時代の中で、かなりの労力をかけて作られた、こうした「統計的な予測資料」の重要性は今が一番高まっているのではないだろうか。
「これまで」の昭和と平成では、時代の方向性とか成長の軌跡は"割と直線的"だったけれど、コロナの影響もあって自分たちの価値観もかき混ぜられているようだ。
 
未来年表も全てが実現するとは限らないが、少なくとも「2030年から全都道府県で人口減が始まる」とか「2029年で中国の人口がピーク(14.5億人)に」とか「2056年に世界人口の半分はアジア人(52.7億人)になる」とかいう辺りはかなり現実に近そうだ。
 
2100年までをじっくり眺めてみて、今の原点に帰ってみるのもいいのではないだろうか。
ちなみに年表には1945年〜のものも付いている。
できれば明治から「先達たちが何をしてきたか」も一緒に眺められれば面白いヒントがさらに閃くかもしれない。
 
占いよりはよほど面白い。
 

兆候センサー

*[無料セミナー]トラブる前に。

www.home-one.jp

今週から法律事務所ホームワンで全五回!問題社員対応徹底解説セミナーというのが始まるのだけれど、「問題社員対応一覧」というのを見ていてつくづく「あらゆる問題には兆候が必ずあるものだ」と思う。

でそれは問題社員についてもだが、例えば企業に起こる"あらゆる問題"にも通じていることに気づく。

思えば会社なんて急に潰れるものではなく、大概は元気がなくなり青息吐息になってからドタッと倒れるものだ。

こわっ。

だから専門家のアドバイスは心して効いた方がいい。(戒め)

そして。

 

それは会社や組織だけではなく、自分自身についてもそうなのだ。

必ず兆候はある。

 夫婦や異性や家族関係とか。

自分の健康や病気とか。

認知症とか。

こわっ。

 

なので日常の「兆候」を敏感に察知できれば、かなりのトラブルは防げるということにもなる。

「攻撃」じゃなくとも"兆候センサー"は最大の防御になり得るだろう。

そう思って周囲を眺めるとなんだか予兆だらけで恐ろしい気がしてくる。

こわっ。

けれど、それから目を背けていると、その先にはもっと怖いモンスターやらお化けやらが待っていそうだ。

トラブルの芽は早めに摘まねばならないと思う。

いつも背負う

*[次の世代に]分かっているから。

自分は弱い存在だから、黙っていても努力する人間じゃないから、背負い続ける。

武家や芸術家というのは、そういうことを知っているから自分に「何かの負荷」をかけ続ける。

で「そのこと」を意識し過ぎると疲れて気が重い。

だからあまり意識せずに「習慣(ならわし)」にしているわけだ。

世の中には不思議に「自ら努力する人」というのがいるけれど、そうではない「大抵の人」は、特に若い人はそういうコツを知っておいた方がいいと思う。

 

「もう一生成長しないでいいや(先日若者から直に聞いた一言)」という人はともかく、「もうちょっと何かやっとけばなぁ」なんて思う普通の人なら、今の自分が背負ってるものについて考えてみてはどうだろうか。

 

などと学生時代の自分に言ってやりたい。

ローソク人生

*[次の世代に]私の長さ。

生まれ年の100年カレンダーというのがあった。

生まれ年から始まる100年カレンダーシリーズ 1994年生まれ用(平成6年生まれ用)

このカレンダーの最後には生きている人は日本に0.1%もいない(約8万人)から、ほとんどの人は「このどこか」でこの世からいなくなるということだ。

つまり自分の命日が入っている、"恐怖カレンダー"でもあるけれど事実は事実。

 

若い人には実感が少ないかもしれないけれど、自分の年ならばパラパラと捲(めく)ってみて「おお、もう半分過ぎてるなぁ」とか「最後までいくことはないだろうなぁ…」などという感情を直感的に引き出すことができる。

これに毎月パツ印をつけて行ったらちょっとゾクッとすると思う。

 

蝋燭がやがて短くなって、ポッと光って消えてしまうように、自分の一生を可視化する有効なツールだとも言えるだろう。

私は買わなかったが手に取ってみてはいかがだろうか。

 

 

時代の変化

*[ウェブ進化論]動画の幕開け。

2020年は、コロナの大影響もあったけれど、実は「動画の年の幕開け」で、ものすごく多くの人がYouTubeに参入したり、またいろんなSNSを作ったりした時代なのではないだろうか。

プロも素人も継ぎ目なくウェブの動画発信になだれ込んだということだ。

そこでYouTubeを導火線にして、オンラインサロンとか、商品販売とか、いろんなマーケティングをしている人がいるけれど、まずここは原点回帰をして「コンテンツ販売」を本格的にやってみてはどうだろうか。
 
個人や企業やミュージシャンたちが、思いつくままにいろんな動画をアップして、その中で本当に面白そうなものにだけ料金を支払う仕組みにすればいい。
 
問題はその「有料と無料の間」で、自分が本当に興味を持ってみたり保存したりしたいと思うコンテンツなら、案外簡単にそれなりのお金を払う用意が今の視聴者にはあると思う。

お笑いでもスポーツでも勉強でも、プロモーション目的の「目の粗いコンテンツ」をともかく数を上げてお披露目し、本当に高品質な全体のコンテンツはきっちりと有料販売するそんな仕組みがいよいよこれから整備されていくのではないだろうか。

小映画のような良質のコンテンツがたくさん増えてくれば、また今とは違った動画マーケットになるのではないだろうか。
 
もっと小銭を、もっとたくさん支払う時代がすぐそこまで来ている。

真っ当に見る

*[次の世代に]当たり前の事実を前にして。

例えば何となく「(買えば買うほど持ち金が1/2になるという)宝くじを買う」とか。

 あえてそういう「勝ち目のない賭け事」がやりたいのならそれでよし。

それも一種の娯楽なのだと思う。

けれどそういう息抜きはともかく。

これからあと40年以上も高齢化がひたすら進むとか、さらにもっと時間をかけて少子化が進むとか、IT技術もまだまだこれからどんどん進化するとか…

 そういう「多分間違いのない将来」は見えているのに、みながバラバラに行動をするのは実に不思議でもある。

当たるか当たらないかと言うような予想に予想を重ねていくのとは違い、まず「必ず確からしい事実をもとに色々とその先を想像してみる」のはかなりの「未来の練習」になるだろう。

分かり切った事実を前にして、自分が何をするのかしないのか。
選択肢はいくつもある。

さて「分かりきった事実」を元に「自分のやりたいこと」を重ね合わせて、一体どんなことを試みていくのだろうか。

それほど「迷い道」ばかりじゃないのではないだろうか。

優先順位

*[次の世代に]自由意志で。

必要十分条件

なかなか中学の数学も粋なことを教えるものだ。(40年前)

「必要ではあるが、それで十分ではない。」

これは現実世界に山ほど通じる法則である。

努力せずに「大きな結果」が得られることはない。

しかし、努力すれば必ず「大きな結果」が得られるとは限らない。

むやみやたらに練習をしても上手くならない、というのはある意味衝撃的な真実である。

「努力をしない」という人はある意味、変化もなくて平穏なのかとも思う。

問題は「幾ばくかの努力」をしようとする人のことだろう。

どうせやるのなら。

開き直ってでもやるのなら。

そんな時こそ"良き師"を見つけることが重要だ。

何せ自分の大事な時間を直向きに費やして「何かに」注力するのだ。

 

できれば自分も最大の情熱をもって。

それで最高の結果を得られるようなエネルギーの使い方を考えたいものだ。

「努力はやりたいことに、直向きに」。

 "何となく重苦しい空気"に支配されることはない。

自分のエネルギーを自分の意思で使いたいと思う。

 

優先順位

*[次の世代に]これから出来ること。

よく日本の大企業には小粒揃いで大きな人がいない、と言われる。

だから中小企業がいいわけでもないと思うが、ともかく何か「捉え違い」をしているのかもしれない、と最近思っている。

よくCSとかESとか言うけれど、またステークホルダーとも言うけれど、そうした関係する"人"が一番重要なのではないだろうか。

さらに言えば「一見さんと馴染みの人」とで区別すると「馴染みの人」への態度とか。

 これから知り合うまだ見ぬ顧客、も大事だが「すでに人間関係のある人たち」とのコミュニケーションが希薄化しているってことはないだろうか。

もっと言えばそういう「コミュニケーションの取り方そのもの」がその組織を形作っているのだと思う。

 で何が言いたいかというと、仕事とか友人とか家族とかでも「新しいこと」ばかりを探すのではなく、今の接し方を変えてみることが実はかなり重要なのではないかと思ったということでした。