藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

絵を描く力💪(2)

*[ウェブ進化論]与えられない時代へ。

今の日本はまだ昭和の空気が残っているけれど、若手が時代の中心になれば「自分たちが自由に絵を描くように」見違えて溌剌とするだろう、という話。

江戸時代から(寺子屋などもあり)日本人の識字率はかなり高い方だったと聞くけれど、ごく最近までは「与えられる教育の時代」だった。

 

義務教育という名の通り「義務だから」と大人たちに言われ、「そうかギムなのか」とよく分からずに同調させられていた。

勉強は楽しくないこともなかったけれど、到底「自ら選び望んだもの」ではなかった。

 

そう思えば戦後の時代は「与えられた」がキーワードだったと思う。

教育も仕事も、あるいは"結婚とかライフスタイル"とかもそうだったのだ。

「型にはまって右肩上がり」という時代は、今思えば「余計なことをごちゃごちゃ考えずにいられた時代」とも言えるだろう。

 

そしてそれに比べればこれからは「悩みの時代」なのかもしれない。

けれどそれは「与えられた」ではなく「自分で選ぶ」というのがキーワードである。

自分は用意されたコース設定よりは、少々脇に逸れても我が道を行きたいと思う。

何をしていいか、仕事とか恋愛とかも「自分なり」。

 

そんな2-30代のことを羨ましくも思うけれど、とはいえ自分のこともまだまだ考えなければならない。

絵を描く力💪(1)

*[ウェブ進化論]ゼロから描く。

VUCAとか正解のない時代とか言われて久しい。

けれど「まだどこかで次の正解を探している」ような空気があるのではないだろうか。

正解のベクトルが一方向だった昭和から30年以上が経つが、まだ"時代の轍"のようなものは根強く残っていると思う。

そりゃそうだ。

まだ団塊の世代は80歳手前でピンピンしているのだから。

それはともかく。

 

視点を切り替えるためには「✅正解」というワードから離れるべきだと思う。

その理由は「正解か、それとも不正解?」という対立軸が残っているからである。

そうじゃなくて。

これからの自分たちがやるべきは「Q&Aに答える謎解き」ではない。

やりたいのは"お絵描き"なのだ。

 

戦後世代の人たちが決定的に慣れていないのは「真っ白いキャンバスに自由な絵を描くこと」だと思う。

あらかじめ用意された問題に答えたり、絵を描くにしても「誰かが用意した下絵をなぞる」ようなことをしないと不安になるのだ。

けれどこれから試されるのは「自分なりの描画を楽しむこと」である。

 

水先案内人を付けずに船出をするようなもので不安だけれど、本来「航海」というのはそういうものだろう。

見知らぬ旅にワクワクする若者が大勢になれば、日本の空気もずい分明るくなるのに違いない。

 

焦る力(2)

*[ウェブ進化論]*[7つの習慣]登山のようなアプローチ。

🗻富士山の噴火とか大地震とか、地球温暖化🌏とか。

自分たちは「いつかは分からないけれど来るらしいぞ」というものに備えるのが苦手だ。

ましてや自分の寿命とか。

日野原重明先生は「大病とハイジャック事件に遭って生き方が変わった」と仰っていたが、そのくらいのショックがないと自分たちは「いつか来る最期」を想像できない生き物だということを分かっておきたい。

それはともかく。

 

60歳を過ぎても「最期のイメージ???」という具合だから7つの習慣の「終わりを考えること」というのは容易ではない。

そしてそこばかりを考えてみても想像が膨らまないので、少し考える角度を変えてみたい。

それは「超短い目標を設定する」という方法である。

見えない数十年後を無理に想像するのとは反対に、短い目標をたくさん立ててみるのだ。

 

健康に関するものなら筋トレとかウォーキングとか食事の内容でもいいだろう。

仕事なら例えば「今週の成果」を考えてみる。

人間関係なら今月の誕生パーティの企画でも構わない。

あえて身近を「小さなたくさんの目標で埋める」という方法で、"その先"が見えてくるのだ。

小さな目標をどんどんクリア🆑しているうちに「その先が見えてくる」という登山のようなアプローチである。

 

一度試してみてはどうだろうか。

 

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焦る力(1)

*[ウェブ進化論]曖昧を感じる力。

自分たちは地震が来るとか、経済恐慌が来るとか「いつとも知れずやって来るもの」についての感覚が鈍い。

そしてその最たるものは「寿命」である。

生まれたものは全てが必ず死ぬのに、そのことについて真剣に考える人は少ない。

それがたとえ高齢者でも。

 

一方、大病を患ったり大きな事故から生還した人は「第二の人生」という覚悟でリセットしている人が多いという事実もある。

つまり「自分の期限」についてはもう少し真面目に考える必要があるのではないかと思うのだ。

 

「地球最後の前日には何が食べたい?」という問いと同様、

「今年が最後なら」「来年が最後なら」「五年後が最後なら」「十年後が最後なら」くらいの問いは立てて、自分なりの選択肢を考えてみれば、何かきっかけが見えて来るのではないだろうか。

 

「あまり見たくない将来」を先送りして、できるだけ後回しにするというのは自分たちの本能のせいに違いない。

けれど「100%確実にくる未来」から逃げていても結果は良くならないことは想像できるだろう。

「終活」というのは高齢者向けのワードだが、実は若い人にも「時間の帯⏳」は流れている。

"曖昧な期限"を少しでも自分なりに感じる工夫をしてみてはどうだろうか。

未来家電(2)

*[ウェブ進化論]広がる家電。

すでに相当便利な家電だが、まだ伸びしろがありそうだという話。

炊事・洗濯・掃除などについては、もうかなり自動化されている。

人類をこの家事から解放した意義は偉大である。

 

そしてそれ以外を見てみれば、まだまだ「してもらいたいこと」はあるものだ。

例えば未だ手付かずの感がある"睡眠"の世界。

ベッドのマットレス選びに苦労したことのある人は多いと思うけれど、この50年間「自分に合うマットレスを一択で買う」というやり方は変わっていない。

ショールームで寝っ転がってみてもなかなか分からないものだ。

 

ここは思い切って「硬さやクッションの支持を自動化するマットレス」の登場を待ちたい。

マットレスが理想の状態を作り出す、という発想だ。

人によって寝る姿勢や寝返りの打ち方は千差万別だという。

姿勢に応じて左右に傾いたり、背骨や腰を支えたりして「自分なりの熟睡」を作り上げるようなマットレスがあれば、数百万円してもどんどん売れるのではないだろうか。

 

さらにはマッサージ機。

これもかなり精密なマシンが開発されているけれど「私の体に合わせたもの」は未だにない。

自分が整体師の先生と話しながら「まるで自分で自分を揉むように」プログラムできるマッサージャーがあれば、これも高額でも引くて数多だと思う。

メーカーにはそんな商品の開発を望みたい。

 

未来家電(1)

*[ウェブ進化論]家電のこれから。

自分が70年の大阪万博に行った時に見た「人間洗濯機」は、そのうち実現するのだろうと思っていたがそれから50年経ってもその気配はない。

(その他「自動衣類畳み洗濯機」というのも開発が頓挫したらしい)

家電とは難しいものだと思う。

 

70年万博のころに比べれば、生活は格段に便利になっているけれど、改めて「家事」を考えてみればまだまだこれからの伸びしろがあるような気がする。

ルンバのようなお掃除ロボットがテーブルや本棚などの凸凹したところを掃除してくれるとか。

あるいは調理ロボットなどもこれからは普及していくのではないだろうか。

 

炊事洗濯・掃除など「家庭の手間仕事」をどんどん自動化してきた家電だが、これからは「上手な人だけができたこと」が実現されていくといいだろう。

例えば肉の焼き加減などは、まだ職人技の色合いが強いけれどセンサーが上手に計ってくれれば頼もしい。

煮物や、特に揚げ物などは未だに神格化されている感があるけれど「天ぷら仙人の技」が家電のフライヤーで実現できるようになれば画期的である。

 

そんな風に"どんどんセンサーに頼む時代"になると、日本刀の職人が途絶えたように人間に技が残らなくなるという問題については別途考える必要がありそうだ。

それとももう「センサー様様」になってしまってもいいのだろうか。

(つづく)

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悩みの成長(4)

*[ウェブ進化論]シニアから提案の時代。

世代とともに悩みの質は変わるものだから「多くの人がどんなことに悩んでいるのか」を知っておくと気が楽になるだろう。

60代までの悩みを見てきたけれど、新しい層はそれ以降の世代である。

これまで「70代以降の社会参加」というのはメジャーなテーマではなかったけれど、2025年問題以降その話は始まっている。

 

これは70代になる世代の人たちが自主的に考えておかなければ、おそらく「置いていかれる」とか「お荷物」となるばかりだと思う。

放っておけば"ただ社会保障費がかかるだけの高齢者"だから、これを何とかするのは自分たちの姿勢次第だと思っている。

「もう年寄りだから支援してくれよ」と待っていては恐らく何も起こらない。

 

「自分ならこれができる」とか「培った技術やスキルが発揮できる」とか「若者や中高年の相談に乗れる」とか。

あるいは核家族の支援として「育児」「子育て」「進路や就職相談」「世間話」でもいいだろう。(話し相手はお互い様です)

今のシニア層にいきなり提案してください、と言っても戸惑うだろうから「これからシニア」の自分たち5〜60代が提案の中心になるべきだと思う。

 

そしてもちろんその為にはサービス対象者である若者世代からニーズを汲み上げる、というのがまず最初の仕事になるのではないだろうか。

 

悩みの成長(3)

*[ウェブ進化論]窮地に注意する。

自分の悩みについて、世代別に「扶養されている時代」「自立してからの時代」「誰かを養う時代」に分けて考えてみる。

 

3.扶養する立場の悩み(30代〜60代)

学生時代と違い、また社会に出たてとも違う。

今度は自分が守る側になる世代である。

結婚相手や子供ができたり、また周囲の親族との関係や親の介護などなど「自分が世話をする側」になるとさらに悩みの種類は増えてくる。

経済的なことも大変だし、身近な人とは人間関係の問題も見過ごせないことが多い。

何しろ自分の家庭だけだって息災に過ごすのはまったく容易ではない。

さらに自分自身だって50代に差し掛かってくれば定年後や老後のことも考えておく必要がある。

 

体力的にも精神的にも最も悩みの多い世代だろう。

そしてこの世代に最も大事なのは「自分のこと」ではないかと思う。

それは精神的にも経済的にも、戦略的にも。

いろんな意味で「支えを求められている自分」が潰れてしまっては周囲の環境が根底から覆ってしまう。

元も子もないということだ。

 

自分の知る限り、親や子の介護などの人間関係から抜けられずに、仕事を辞めたり離婚したりする人はとても多い。

そしてそうした決断に至るには、精神的に追い詰められているものである。

 

それでは正常で冷静な判断ができないから、いかに「精神的な窮地に立たないか」ということには最も注意が必要だと思う。

 

悩みの成長(2)

*[ウェブ進化論]残りは捨てる。

人は悩んで当然である、とは言われるけれど、ずっと悩みっぱなしというのも悔しいので悩みを分解してみたい。

世代を「扶養されている時代」「自立してからの時代」「誰かを養う時代」に分けてみる。

2.自立してからの世代(20〜30代)

扶養されている時代は「自分に選択の自由がない」という思いが強かったが

社会に出るタイミングからは「選択はすべて自分で」という風に切り替わる。

 

仕事を選んで始めて、まず一人前になるというだけで「日常は仕事一色」になりがちだが、その他にも家族のこととか異性のこととか、住宅のこととかお金のこととか、さらには昇進とか転職とかについても考えるのはかなり難しい。

しかも元気だから遊びたいし。

勢い「目の前の敵に立ち向かう」的ながむしゃらな日々を送る人が多いだろう。

 

将来に関する重要なテーマがあまりに多い世代だから、一つ一つに手を煩わせてしまうと結局どれも解決しない。

優先順位を考えて「それ以外は後回しにする」という覚悟が必要だと思う。

 

自分の知り合いに30代で仮想通貨や資産運用に熱心な若者がいるけれど、リミットを決めて時間を使わないとミイラ取りになる可能性がある。

 

自分が取り組む「一番、二番」を決めてかかろう。

悩みの成長(1)

*[ウェブ進化論]悩みを分類する。

人は他の生物と違って唯一悩む生き物だという。(ずーん)

(他の哺乳類は悲しんだりはするらしいが)

 

ただいつも悩んでいるのは悔しいので、大きく「人生の三つの帯」で考えてみる。

「扶養されている時代」「自立してからの時代」「誰かを養う時代」に分けてみよう。

1.扶養されている時代の悩み(〜20代)

衣食住を親に頼らねばならないから大人の管理下にある時期である。

「学生の仕事は勉強だ」などと言われ、生活の主たる選択肢はあまりない。

また経済やメンタル的にも家庭環境そのものが厳しいと、さらに選択肢は狭まってしまうことも多い。

学生であることの息苦しさに耐えかねて、退めて働き出す友人も何人もいた。

 

そういう「社会に出る道筋」を示して説明しなかった大人に落ち度があったと思う。

そしてそういう大人たち自身も「社会で重要なこと」についてあまり深く理解していなかったのだ。

何しろ「とにかく働け」という人が多かったから(それで何となく通用したから)「なぜ働くのか」とか「何のために働くのか」という一番大事なことが、一番後回しにされていたのである。

 

一言で言ってしまえば「何かの仕事で懸命に働くことそのもの」が「間違っていない正解」だったのだと思う。

"概ねそれでよし"とまあ軍隊のように、「皆が歩調を合わせること」そのものが正解だったのだ。

(つづく)

迷走の予防(2)

*[ウェブ進化論]優先するものを決める。

世の中はネットの情報が氾濫し、相変わらず先の予想をするのは難しい。

「誰でも発信」の時代になって情報が増えたものの、玉石混交でこれまでの「偏向報道の時代」よりは見極めが複雑になっている。

 

経済にしても政治にしても、例えば技術革新にしても「これからは量子技術と核融合とAI」といわれてもそういう技術が「自分の生活にどう関わってくるのか」という具体的な将来は想像しにくいものだ。

そして今のまま情報に振り回されていては、そのまま時間だけが過ぎて(老いて)しまうことになるだろう。

 

そこで「自分の動かさないもの」を決めることを考えたい。

自分たちは考えているようで案外「自分の将来」について定まった考えを持っていないものである。

例えば転職とか、結婚とか、家族関係とか住む場所とかについても確たるプランを持っていない人の方が多いような気がする。

 

自分の周囲には子供が独り立ちして家が広過ぎる、という人が多い。

もっと便利な場所に狭くても住み替えたい、と。

彼らは10年前までは広い家が欲しい、と言っていた人たちである。

つまり「同居家族の増減」という重要なことについてあまり事前に考えていなかったのだ。

 

そして夫婦で住む人もいずれは独り身になったりと色々ある。

自分は将来地方の都市部に住みたいな、と漠然と考えているのだが少しづつ具体的にしていこうと思っている。

迷走の予防(1)

*[ウェブ進化論]予測不能の中で。

大昔の石器時代だって、どこに狩りの獲物がいるかとか、その年の天気がどうなるかとか、川が氾濫したりしないかとか、予想はかなり難しかっただろうと思う。

自分たち人間は、そうした天変地異に今までずっと翻弄されてきたとも言えるだろう。

災害の予知はもう少し先のことになりそうだ。

それはともかく。

 

それにしても、現代ほど技術とか科学とかがこの先にどうなるかという事を予想しにくい時代もないのではないだろうか。

「量子コンピュータやAIやバイオなど」の技術のスピードが速い分、「では自分たちの生活はどうなりますか?」ということは予想しずらい。

というか、経済や政治の専門家や科学者がこれほど議論を尽くしても、訪れる未来像はかなり違ったものになるという気がする。

 

そして自分たちは日々そんなニュースやネットに目を奪われ、翻弄されている。

大事なの今みたいに「ずっと翻弄されていると、そのうちに寿命がくるだろう」ということだ。

経済成長がどうとか、円高とか株価とか、不動産価格が変動しているとか。

ネットに流れる情報は膨大だから、追いかけている間に本当に時間がなくなってしまう。

動画だって見たいのに。

 

そこで「自分の選択肢を固定していく」ということを考えてみてはどうだろうか。

(つづく)

運動量

*[ウェブ進化論]筋トレよりも歩数の話。

思えば、コロナ禍の最中はお店も閉まっていたので毎日長距離のウォーキングをしていたのだが、収束してからはあまり気にしなくなっていた。

そして二年ほどが経って気がつくとこれまでのジーンズがキツくてパンパンになっている。

それはともかく。

iPhoneの歩数計を見れば一年の平均が7千歩台に落ちていた。

体重は+5kgの69kgに。

そして下腹周りの脂肪が二回りほど付いている。(嘆)

糖質をほぼ抜いていればよかったのだけれど、最近は少し食べていることも影響しているようで着実に脂肪は増えていたのでした。

 

そしてここ一月をウォーキング強化月間にしてみると、日に日に体重も落ちてゆく。

年を取ると下腹に肉が付く、ということと「毎日の運動量は正確に体に反映されている」ということを身をもって感じたのでした。

 

二郎系ラーメンが食べたい。

議論とばし(4)

*[ウェブ進化論]昭和の王道、ぐにゅぐにゅ。

今の政治を見ていると、昔右肩上がりが約束されていた時代は「何でもよし」、そして成長が停滞して下降に向かったときには「ぐにゅぐにゅする」という作戦がそれこそ王道のように使われてきた。

この「ぐにゅぐにゅする」というやつは状況を引き延ばしたり、明らかな決断をしないで保身をする、という効果を持っているからだ。

本当の解決策を真剣に検討せず、そのまま一般人が"その話題を忘れるのを待つ"というウルトラ消極戦法なのだが、これがものすごく奏功していたのだと思う。

 

そして年寄りの政治家たちは、まだこの手法から抜け出せていないから、今の若者とは全くフィーリングが合わないのも無理はない。

そしてこれからの空気は全く違ってくるだろう。

今の若い人はとても合理的である。

シングルイシューとか条件選択が、議論や投票の対象になっていくと思う。

 

むしろ「右肩上がりの時代」など知らず、しかも正解のない時代だから"当たり前にこれからの選択肢を考える人"が多数派になるだろう。

ここ数年でそんな流れになるのではないだろうか。

 

「団塊世代の退場」と「団塊ジュニアへの交替」は同時に起き、さらにZ世代が参入して"昭和の矛盾"が一掃される時はもうすぐだと思っている。

議論とばし(3)

*[ウェブ進化論]自分のごちゃごちゃを考える。

恐らく戦後の高度成長期には「それ」が必要なかった。

製造も流通も、教育や国防だって「ともかく上を目指せ」「復興や」と思っていれば、それほどごちゃごちゃ考えずに済んだのだ。

目指す方向が分かりやすかったのである。

 

そして自分たちは今「そもそも、を再定義する時代」にいる。

(未だに政治家は「経済成長ありき」とか「少子化対策」などとピントずれな話題に終始しているけれど、若者はもうあまりそういう話題に興味を持っていないようだ)

 

けれど時代はゆっくりと動いていて、もう過分な製品やサービスはユーザーに受けなくなってきているし、学歴や仕事も「ブランド重視」をしない人が目立って増えてきている。

ここ数年で大きな価値観の変化が起きるのだと思う。

 

日本の"2025年問題"はまだ始まったばかりだから「本当の変化はこれから始まる」と思っておくのが正解である。

仕事とか家族とかライフスタイルとか、つまりは「自分の時間の使い方」について「自分のやりたいこと」を考えておく必要があると思う。

 

「仕事ありき」「家族ありき」「お金ありき」で消耗してすり減っていた自分の時間⏳は「あえて使いたいことにこそ使う」というスタイルが鮮明になるだろう。

 

それは老若男女に関係なく。