藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

選択の視野

*[ウェブ進化論]過去の選択肢。

何度か書いたことがあるが「コップの中の半分の水」について。

もう半分しかない、と思うかまだ半分あるな、と思うか。

実はこういう話はそこいら中にあるものだ。

もう駄目だ、と思うかまだこれからだ、と思うか。

もうやめようと思うか、あと一歩だけ進んでみよう、と思うか。

それはともかく。

 

このブログを書き始めた頃は、自分の会社の若いスタッフや子供たちに向けて書き始めたのだけれど、最近は例えば「1年後の自分」などに向かって書くような気持ちでいる。

そして今一年後に、「机の前とか、道を歩きながら原稿を入力している自分」を想像すると、いろんなことが一年前から眺められるという、当たり前のことにリアルに気づく。

 

つまり、今から一年後の自分は「今から見ればかなり何でも選択し放題である」ということなのだ。

つまり「未来の自分から見れば、過去の自分は選択肢の宝庫である」ということになる。

なら話は簡単だ。

 

自分のこれからについては、過去のしがらみ云々ではなく「これからの自由の選択権がある」ということに気づく。

そしていろんなこれからの可能性を考えると、少しワクワクしてこないだろうか。

(自分はこの歳になっても少しワクワクします)

 

「未来の自由」こそ最高のプレゼントではないだろうか。