幼時に音楽を習っていたころは(最初こそ物珍しさはあったものの)周囲の同世代の仲間たちのしている遊びがやりたくて、お稽古事など「この世の呪い」としか思えなかった。
レッスン日が終わったとたんから次のレッスン日のカウントダウンが頭の中で始まり、毎週水曜日には地震が来い、とか真剣に願ったものである。
それでも習字に算盤、学習塾に英会話、果ては家庭教師まで、親とは何かを子に施してやろう、というなんと有難いものであろうか。
ただ、「その理由」を解しない愚息は、それらはことごとく効果を発しない。
まあはっきり言って「頭」がないのである。
その書道というものが持つ意味とか、効果とか、さらにその先にある更なる深みとか。
まあそんなおバカの典型であった自分にしてみれば、周囲で一心不乱に練習に直向きな人たちは、むしろ奇妙な人種に思えた。
一日に四時間も五時間も、さらには七時間もひたすら練習曲や技巧の上達に努力できる人、というのはそれだけで「異星人並み」の不思議さと畏敬の念を抱いたものだ。
「ちょっとオレとはちゃうな」というのが正直なところだった。
こんな子供に欠ける教育費はどうにも、かけ甲斐がないものだと思う。(嘆)