以前、物事に取り掛かるのに、使役的にやるのと自発でやるのでは、生産性に相当な差がある、という話を書いたことがある。
実は差が出るのは、生産性だけではなくて、その一事を通して得られる周辺知識、とかその他あらゆることが、自発と多発、では得られるものが違う。
それはともかく。
ただ何でもかんでも、自発!自発!と常にテンション高くいられるものでもない、ということにも最近気づいた。
何かルーティンワークで、どうしても気が乗らないけど、やらねばならない仕事(とか勉強とかもろもろ)、などは世の中にゴマンと存在する。(むしろその方が多いかも)
で、いいことを思いついた。
どうせやるなら、美しく。
あまり創造的でないこと。
あまり面白みがないこと。
あまり工夫しようがないこと。
どんなことにも「面白み」というのはあるものだが、それでもあまりやりがいを感じないこと。
でもやらねばならない。
やるしかない。
やる。
そう、やるのである。
「そういう類」の仕事を「どうせ仕事」と呼ぶことにした。
その仕事でメシを食っているプロたるもの、たとえ気乗りしない仕事でもピカッと光っていて当たり前である。
したがって、ごみ拾いとか、トイレ掃除とか雑巾がけ、なんかでも一流の仕事でなければならない。
つまらない会議の議事録だって、ピシっと見やすく、簡潔でなければならない。
ましてやつまらない会議の議長などであれば、その会議を「詰まらなくなくする」くらいは当然のこと。
精彩のない表情をしている参加者を「元気にする」くらいの威力が欲しいところである。
つまらない仕事はしたくないが、しかしながら一旦手を付けた仕事はピカッと光らせて仕上げる。
そう思って、雑巾がけもやることにした。
意外にそう思えば「仕事の表情」も変わるものである。
この年でこんなことに気付くなんて、悲しい気もするけれど、それで今日からの景色もずい分違う。
そう思えただけで「めっけもん」だと思った。
一期一会、とはいうけれど「この機会を大事に」というよりも「どうせ会うなら良い出会いに」というほうが自分にはしっくりくるようである。