藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

贈り物ぎらい。

そんなことを言わなくても、今の三十代以下の世代の人たちは、もう年賀状も書かず、盆暮れに挨拶の品を贈ることもない。
昔はいろんな理由であった行事も、時代の変遷とともに形が変わるのは自然なことだと思う。
そういう「過去の因習を尊ばない」ことについては自分も人語に落ちないと思う。
土台、付き合いが悪く、お礼状もほとんど書かぬし、年末年始も挨拶が面倒だと思う。


特に、結婚式などで不要不急の食器や家具などをもらうと気持ちは複雑である。
そんなミスマッチを反映してだろう、最近はギフトカタログを持たせて、その中から「自由に引き出物をお選びください」というのもあるが、もう少し自分の欲しいものをオープンにしてはどうだろうか。

ギフト・レジストリーという概念。

私はカラフルな靴下がほしい、とか
ナイキのスニーカーがほしい、とか
ヴィトンの鞄がほしい、とか
中島敦の本がほしい、とか
嫁さんor旦那がほしい、とか
友達がほしい、とか
不動産がほしい、とか


だれもいたずらに自分に贈り物などくれないと思うが、「もしその人に何か贈るなら」というときにそういうリストがあれば、これは「不要の物を贈って逆効果」ということはほぼなくせる。
さらに「どうしてそれが欲しいのか」という理由まで書いてもらうとよいだろう。
「幼いころからいつかは始めたいと思っていいたヴァイオリンがほしい」というのなら、その人の体格に合った入門モデルを贈れば間違いないだろう。


またギフトレジストリーに書きこんだものを贈るのでは、意外性がない、という場合はご当人のプロフィールとか、生活習慣とか、趣味などが分かると、まったくあてずっぽうで妙な家庭用品などを贈ってしまうリスクも低くなるだろう。
自分はそんな「気遣い」も含めて、そうした品物のやりとり、はやはり億劫である。
で、そうした行為を避けていると、特に異性からの評判はすこぶる悪い。
ただ物ぐさなだけだが、どうせならギフトレジストリー、が一般化すればいいのにと思うのだ。


無駄のない「おねだりリスト」
「何が喜ばれるかな〜」と、贈る相手を考えて、プレゼントを考えるのは楽しい。でも、半面それをもらう側になってみると、箱を開けて「えっ、何これ?」なんてことも。


そこで、「欲しいものをあげよう」というのがアメリカ流。「贈って欲しいもの」(ギフト)を、受取人が事前に店などで「登録」(レジスト)することから、「ギフト・レジストリー」と呼ばれる。


特に人気があるのは、結婚と出産のお祝い。店に行くと、「ギフト・レジストリー」のコーナーがあったり、専用のコンピューターで登録したりできる。


利用は簡単。自分の連絡先のほか、結婚日や出産予定日を登録。あとは、店の中から、欲しいものを具体的に決めて、その個数も入力すると、リストは完成。お祝いのパーティーのお知らせなどに、この店のレジストリーのリンクを載せれば、友達は、オンラインでもプレゼントを買うことができる。しかも、誰かが、その中の商品を買うと、すぐに情報はアップデートされ、「購入済み」とマークされる。つまり、2人が同じ商品を買ってしまう恐れもない。ベビーベッドやベビー用のカーシートなどは、友達がグループになって、少しずつ出し合って買うこともできる。そこで、単価が安いものから、高価な物まで幅広い商品がリストアップされる。


先日も、娘の学校の担任が結婚するというので、リストの中から、二つのグラスセットを、お祝いに贈った。パーティーでは、他の大きいプレゼントと比べると、小さくて、目劣りしたが、箱を開けた先生は、すぐにガッツポーズ。「これが欲しかったのよ!」と喜んで、娘にキスしてくれた。


私も、結婚した際、キッチン用品の店でこの制度を利用させてもらった。食器セット、ワイングラス、スプーンにフォークなど、実用的なものをリストに載せたら、あっという間に、みんながリストから買ってくれた。ただ、日本人の友達の中には、「お祝いにザルをあげるわけにはいかないから」という人もいて、リストに載せたステンレス製のザルのセットは、結局、誰も買わずじまい。そこで、自分で購入することに。でも、このザル、結婚して10年経つが、いまだに重宝している。


贈る側が「こんな物?」と思っても、リストにあるのは、もらう側にとって「ズバリ!私はこれが欲しい」商品の数々。ザルの経験から、私は必ずリストの中から贈り物をするように心がけている。


時間的にも金銭的にも無駄のない「ギフト・レジストリー」。欲しい物をおねだりする照れくささを超えて、アメリカでは「喜ばれる贈り物」への一番の近道となっている。