藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

刹那の切り取り。

糸井さんのブログより。
多分、おもに男性が一度は熱中したことがあるだろう写真。
携帯電話なんぞに搭載され、しかも高性能化してくると、面倒なメンテナンスもないからだろうか、実はシャッターチャンスには女性の方が敏感なのかもしれない。

書くいう自分も携帯電話レベルでよく写真を撮る。
景色とか食べ物が圧倒的に多い。
SNSにアップするわけでもなく、頻繁に見返したりするわけでもない。
なぜ自分は写真を撮るのだろう。

その瞬間をためておくこと。

改めて自分のことで考えてみると。
「ちょっとしたときめき」のようなものを日常で感じたとき、そんな「ちょっといいシーン」を残しておきたい、という本能なんじゃないか。と思う。

・「ほぼ日」には写真好きという人が多い。
 カメラをいくつも持っているなんて人は、何人もいる。
 しょっちゅう写真を撮っている人も、いくらでもいる。
 レンズを交換してたのしんでいる人も何人もいるし、
 大きなお金が使えるとなったときに、
 カメラやレンズを買いに走る人も複数人いる。
 
 「ほぼ日」って、全体が「写真部」みたいだと思う。
 この写真以上に勢力がある活動といえば、
 たぶん「おいしいもの食べ部」ということになるかな。
 「おしゃれ部」よりも、「食べ部」のほうが多いかな。
 「読書部」とか「観劇部」も盛んに活動しているし、
 「旅行部」の動きもけっこう目立っている。
  
 ただ、「写真部」の人たちは、
 他のいろんな部にも属して活発に動いているように思う。
 そういう様子が、写真として残っているからわかる。
 
 ぼく自身は「写真部」ではないような気がしている。
 半端に興味もあるし、人の写真に感心したりするけれど、
 部員たちに比べて「好き」という感じが薄いようなのだ。
 「カメら」をいくつも持ったり、変えたりしているのも、
 そうすることで新鮮なよろこびを
 取り戻そうとしているだけのようにも思える。
 そういう関係は、クルマのときと同じだなぁと思う。
 クルマを好きだなぁと思うことは、なかなかなかった。
 嫌いだというわけじゃないし、
 「いいね」くらいのことは感じてるのだけれど、
 クルマ自体のことも、運転のことも、
 好きな人たちの語る熱量には届かなかった。
 
 かつて、男の子たちがクルマを熱く語っていたように、
 いまの「ほぼ日」のみんなは、カメラを語ってるのかな。
 カメラは、人びとに、なにをさせてくれるのだろうか。
 写真を撮ったり、見たり見せたりすることは、
 おそらく昔とはちがっているのだろうけれど、
 どういうたのしみを増やしてくれているのだろうか。
 写真を撮るということは、どういうことなのか。
 絵を描くことと、似たようなことなのかな。
 楽器で音楽を奏でるのと、近いようなことなのかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
世界の総写真量も、無限に増えていくということなのかな。