藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

「反」義務教育


義務教育という言葉から感ずる「義務感」が最大に積極性を阻害しているのでは。
ということの続き。


勉強や仕事で無事に、そんな「快感の強化回路」を組み上げ切った人はともかく。
そうじゃなければ。


自分などはあまりそんな回路の形成ができず。
最近、四十を超えてちょっとそんな回路作りにチャレンジしてみたり。(嘆)

で世の中、そんなことはいっぱいある。
「そんなこと」というのは「自発的でないことをすること」のこと。

「義務教育」。
義務なんでしょ、ギム。(つん)


聞いた途端にやる気が失せる(ような気がしてきた)。
「義務教育だからねー」てやらされ感マンマンじゃない。

明日の自発じゃ間に合わない

でまあ今の憲法を云々しても始まらぬ。
一応学校には行くとしよう。


で、あと二つの義務、勤労と納税、もやるのか。

と、ここである。


勉強も仕事も(納税も)「どうして今ひとつ本気でやる気にならなかったか」は、この『三大義務』というネーミングのせいではないか。
と、今気づく。(呆)

大義務、じゃなくて「三つはやろう」というネーミングに変えるべきだ。(断)
(ちょっとしまらないが)

大学が学びの場としてまだしも「魅力的」なのは、自主性や選択の自由度が高いからだ、とも思う。

できるだけ幼いうちから、学びの快感を感じ、自ら学ぶ、学べるのだ、という導きを。

そんな「強化回路づくり」をしようじゃない。


(またつづく)