藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

12年×5クール。


今年もいろいろなことがあり。
人生は12年おきに「うねり」が来るというまああまり根拠の感じられない説もある。
十二年というと干支の単位でもあるし、「もし」そんなことがあるとしたら、と考える。

0-12才。何もなく、まったく苦労なく努力なくの12年。


12-24才。これは間違いなく挫折。ただしこれがあったから今がある、と強烈に思わせる12年。
(ただしもっと苦労している人からすれば、実に他愛ない。人とか心とかは弱いものだ、と思う。)


24-36才。仕事をはじめ、独立して最初のガムシャラ期。なにもかも初めての経験で、対処にオタオタすることばかりだったが、まあ勢いはあった。でも仕事とか、結婚とか、お金とか、世の中の色んなことが、事前の想像とは裏腹に「ほとんどその本質が議論されず」に走っている、ということに結構驚いた12年。ようやくオマエは本当は何がしたいのだ?という問いに正面から向き合う必要を感じた時期。


36-48才。システム業界に飛び込み、技術に取り組み、営業に取り組み、そして経営に取り組み。ようやく「本当の方向性」を考え始めて、特許や法律と出会う。
ビビッと霊感が走り、かつてないほどアプリケーションにのめり込み、現在に至る。「これしかない」と今でも思っているさ中、であと残りが二年しかない、という12年の帯。


48-60才。あと「残された2年」がこの48以降を方向づける、と思う。そういう相手として「法律マーケット」に挑戦できる環境にあることには最大の感謝。
ただしいよいよ「ケモノ道」へと分け入る時が来た。
飢え死にせずに、サヴァイヴせねばならない。
タイミングは今が非常によい感じ。
時の運であると思う。


そういう意味では、48〜の12年が、楽しい人生にできるかどうか、いや「人生楽しめたかどうか」というバロメータになるような感じがしてきた。


体力的にはもう盛りは過ぎているから、そんな体の衰えを経験しつつ「精神がどれほど健やかでいられるか」、そんなことが「アラ50th」には求められるような予感がする。
あと準備期間が2年で「人生の仕上げ期」に突入するのだ、と考えるとあまり「年取った」とかばかり口にしてもいられない。一番面白い時期かもしれない、と思う。


とまあ勝手に自分の「12年ピリオド」を概括してみた。
確かに「毎年毎年」総括しても、ちょっと数が多すぎて、あまり心に残らない。
自分の分析のやり方として、「12年単位法」というのは意外に分かりやすいようにも思った。


今17才の人もぜひお試しを。