藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

黒白をつけよ。


白黒(しろくろ)つけようよ、というのが実は「黒白(こくびゃく)」だと知らされては割合にショックである。
汚名挽回、とか(ワープロで変換したら出てきやすよ)もアウト。
「おいてきぼり」と「おいてけぼり」に至ってはどっちがどっち?という感じである。
財布は「はたく」ものではないし、熱には「うかされて」も「うなされる」のは間違い。


よく自分は怒り心頭に「達する」が、それは実は「怒り心頭に発する」と言われては、そもそもの「怒り」が無くなってしまうというもの。


しかめつらしい、は「しかつめらしい」。
挙句に「生き急ぐ」は「死に急ぐ」となれば、日常会話の一割くらいは結構、厚顔無恥な誤用があるのかもしれない。
それでも何となくコミュニケーションのミスがなく感じているのは、やはり母国語の強さでしょうか。


外国語の誤用も恥ずかしいが、日本語も意外に冷や汗ものである。
汚名挽回しないと。


(↑汚名返上。が正しい)


「つい使ってしまう」間違った慣用表現


× 汚名挽回 → ○ 汚名返上


× 寸暇を惜しまず → ○ 骨身を惜しまず


× おいてきぼり→ ○ おいてけぼり


× こんがらがる→ ○ こんがらかる


× 横車を入れる → ○ 横車を押す


× 財布をはたく → ○ 財布の底をはたく


× 舌づつみを打つ →○ 舌つづみを打つ


× 熱にうなされる → ○ 熱にうかされる


× 乗るか反るか → ○ 伸るか反るか


× 飛ぶ鳥跡を濁さず → ○ 立つ鳥跡を濁さず


× 一瞬先は闇 → ○ 一寸先は闇


× 食指を伸ばす → ○ 触手を伸ばす


× しかめつらしい→ ○ しかつめらしい


× 的を得る → ○ 的を射る


× 生き急ぐ →○ 死に急ぐ


× 愛想をふりまく → ○ 愛嬌(あいきょう)をふりまく


× 風のうわさ → ○ 風の便り


× 怒り心頭に達する → ○ 怒り心頭に発する


× お鉢を奪う → ○ お株を奪う


× 印籠を渡す → ○ 引導を渡す


× 薄皮をはぐ → ○ 薄紙をはぐ


× 災い転じて福となる → ○ 災い転じて福となす


× 白黒つける → ○ 黒白をつける


× 足元をすくう → ○ 足をすくう


× うんちくをたれる→ ○ うんちくを傾ける

うっかり恥をかいてない? おかしな「慣用表現」
 多くの人が当たり前に使っている日本語の中の間違いを見直す本連載。今回はうっかり間違えて覚えてしまっている「慣用表現」を取り上げる。
「つい口にしている言葉がある」「間違っているとは知らなかった」という人も多いのではないだろうか。


 日本語の乱れが指摘されて久しい。特に最近はおかしな慣用表現がまかり通ってしまっている。
これには理由があると、日本語について多くの著書を持つ作家の本郷陽二さんは言う。
「例えば『食べ放題』。本来、『食べ放題』などという言葉はなく『食い放題』が正しい。
ところが、「食う」は音の響きも見た目も悪いので、『食い放題』が美化され、『食べ放題』になったのです」。


 また、「こんがらがる」「しかめつらしい」は、言いにくいがために、いつの間にか言いやすく置き換えられた例。
それぞれ「こんがらかる」「しかつめらしい」が正しい表現だ。


 音の響きが似ていることから、言葉と言葉が切り張りされ、おかしな造語になってしまったケースも多い。
「『風のうわさ』は、『人のうわさ』と『風の便り』、『汚名挽回』は『名誉挽回』と『汚名返上』が混合された表現。言われた側も聞き流してしまえる程度のミスなので、正す機会もなかったのでしょう」(本郷さん)。


 困ったことに、いい年になると刷り込まれた日本語表現はなかなか直せない。
「白黒(しろくろ)つける」だと信じてウン十年生きてきて、今さら「黒白(こくびゃく)つける」と正すのは容易なことではない。「確かに、『食べ放題』や『白黒つける』に目くじらを立てるのは酷かもしれません。でも、意味が違うのに間違って覚えてしまっている慣用表現は別です」と本郷さん。
「怒り心頭に達する」「印籠を渡す」などはその代表格。
「怒りは心頭から発するもので、達するものではありません。また、テレビドラマ『水戸黄門』の影響だと思いますが、渡すのは印籠ではなく、引導です。これらは直さないと大恥をかきます」(本郷さん)。