藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

快感主導。

「恋愛したい」と思ってしまうのはなぜ?

こんなテーマが堂々と新聞の見出しに載るというのは、国が平和なのか、それとも人間の心とか(まだそれよりは解明されていると思われる)身体のことは、まだまだ謎の部分が多いということなのだろう。
恋愛についての学問はともかく。
気になったのは自分たちの「楽しいと感じる心」のメカニズムである。

人間が「楽しい」と感じるのは、脳内の一部が刺激されて快感物質が出るからですが、音楽でも、食事でも、性行為でも、ひいては薬物などでも同じ反応が起こっているのだそうです。

楽しい、をどう方向づけるか。

この感覚には危ない一面もあり、『依存』という問題を引き起こします。何らかの『快感』の依存症になってしまうと、「そうすると楽しい」からするのではなく、「しないと苦しい」からするようになります。恋愛の面でも、「年がら年中、恋愛していないと、苦しい」などという人は、少し依存症のようになってしまっている可能性があるかもしれません。

音楽でも、食事でも、sexでも脳内の快感物質は分泌される。
「よりどんなこと」で快感を感じるようになるか、は重要な心の教育である。
犯罪や、そこまでいかなくてもショッピングとかマンガとか(うっ)、なにか本意でない行為での快感物質の「分泌回路」がつながってしまうと、これは困る。
"快感ありき"に行動が支配される、正に依存症的な話になってしまう。

自分にとって「やっていて楽しいことは何か」を改めて考えてみたい。

一日の終わりに音楽を聴いて、癒される。
一見悪くないようだが、なにかそんな「快感回路」が出来ているのではないだろうか。
自分の行動分析をしてみよう。

「恋愛したい」と思ってしまうのは、なぜ?

「誰かを好きになりたい」というトピックが発言小町に寄せられました。トピ主はアラフォー。同世代の方からのレスにも、「私も最近は誰かをすごく好きだと思うことがなくなりました。(中略)でも、せめて恋愛はしたい。あと一度でいいから好きな人と恋愛できたら本望です」などと、同様の悩みが寄せられています。

 人はいくつになっても、「恋がしたい」と思うのはなぜなのでしょう? 恋愛は、生きていくために必ずしも必要なものではありません。トピ主の女性は、しっかりした仕事もあり、「必ずしも『結婚』はしなくてもいい」とも述べています。それでも、「恋愛はしたい」と漠然と感じているのですね。

恋愛とは、そもそも何なのだろう?
 この問題を考えるにあたって、『恋愛』とはそもそも何なのだろう、ということについて考えてみたいと思います。文学作品や流行のラブソングには、ロマンチックな回答も沢山ありますが、今回はもう少し冷静な視点から考えたく、まずは慶応義塾大学文学部教授、渡辺茂氏が講演で語った解説を紹介させていただきます(『恋愛を考える 文学部は考える1』慶應義塾大学文学部:編)。

1) 人間の恋愛は、子供を作るため

 生物として、男女が求めあう理由には、まずこれがあります。遺伝子に組み込まれた、「自分の子孫を残したい」という本能が、そのために異性を求める、つまり恋愛を求めるということです。

2) 人間の恋愛は、「洗練」されている

 とはいえ、人間の恋愛は、動物のように即物的な生殖行為をするだけではありません。動物たちに比べると、人間の恋愛は非常に「洗練されている」と言えます。ただ栄養を摂(と)るためだけならば、そのまま食物を齧(かじ)っていけばよいですが、人間は手をかけ、時間をかけ、より美味(おい)しい料理を作って食べようとするのに似ています。人間の恋愛も、究極的には子孫を残すための性行為が目的だとしても、そこに至るまでの「過程」や「変化」を楽しんだり、「探求」をしたりするのです。

3) 人間の恋愛には、「繁殖に結びつかない部分」もある

 上記の料理の例えで言うと、人間には「必要な栄養はほとんどないけど、美味しいから好んで食す食べ物」というのがありますね。同様に、人間の恋愛にも、「繁殖」という意味からは独立した、何か素晴らしいものもある、ということです。


ダーウィンの進化論?
 さて、上記を踏まえた上で、今回の本題、「人間が『恋愛したい』と思うのはなぜか?」に迫ります。「子供を作るまでの、洗練された過程」も「繁殖には必要ない部分」も、結局のところ、「それが楽しいから、人間は恋愛をする」のではないでしょうか。

 ダーウィンの進化論を研究するスペンサーという哲学者は、「人間は進化の過程で、『環境に適応していくことは楽しい』というメカニズムができて、『楽しいことを追求していれば適応していける』」という説を唱えています。具体的に言うと、「楽しい性行為をしていれば、自然と子孫ができる」ということです。食事で言えば、「ご飯を美味しく食べていれば、自然と生物として必要な栄養を摂取できるようになっている」ということですね。

 人間が「楽しい」と感じるのは、脳内の一部が刺激されて快感物質が出るからですが、音楽でも、食事でも、性行為でも、ひいては薬物などでも同じ反応が起こっているのだそうです。この感覚には危ない一面もあり、『依存』という問題を引き起こします。何らかの『快感』の依存症になってしまうと、「そうすると楽しい」からするのではなく、「しないと苦しい」からするようになります。恋愛の面でも、「年がら年中、恋愛していないと、苦しい」などという人は、少し依存症のようになってしまっている可能性があるかもしれません。

「楽しいから、恋愛したい」で構わない!?
 長い説明になりましたが、つまるところ、人間は、「楽しさや快感を得たいから、恋愛をしたい」生き物。投稿した女性たちは、「夫を支えるタイプではないかも」「仕事が忙しいと家事はできない」などと書かれていましたが、先に、結婚で起きうる厄介そうな問題などを考えてしまうと、脳に快感や楽しさが生まれることはなく、恋愛にもつながらなくなってしまいます。

 ですので、複雑に考えるよりも、まずは「私は、楽しくなりたいから恋愛をしたい」、そうシンプルに考えるようにしてみてはいかがでしょうか。楽しくて恋愛していたら、"結果的に"結婚したり、"結果的に"子供が生まれたりすることもある。人間の仕組みがそうなっているのですから、恋愛と結婚を分けて考えずに、そんな風につながってゆくものだ、と思っていていいと思います。

 焦る気持ちもあり、「結婚したいから⇒恋愛しなくては」「子供を産んでおきたいから⇒恋愛しなくては」と、逆転の考え方になる人もいます。そういう人の場合は、結婚という目的に至る「達成感」を求めて動けますので、それはそれでいいと思います。しかし、別に"何が何でも結婚したいわけではない"のであれば、婚活を煽(あお)るような情報に惑わされず、シンプルな恋愛の動機に従って毎日を過ごしたほうが得策で、そうしていれば、異性との出会いや、関係の持ち方も次第に変化してくるかもしれません。「楽しさを求めて、恋愛をする」ことは、学問的に見ても間違ったことではないのですから、ぜひ胸を張って、明るい気持ちで恋愛を求めていってほしいなと思います。