藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

インターフェースの時代。


自分たち人間は、根本が情緒的で「アナログな存在である」ということが分かっている。
だからデジタル技術がどれほど台頭してきても、どこかで「最終的にはアナログの世界」が先に立つということに疑いがあまりない。

けれど最近、もうすぐ「圧倒的にデジタル」の時代が訪れるのかもしれない、などと思う。
そのうち「そうなる、そうなる」と思ってもいたけれど、ここ十数年は電子書籍とかリーダーとかコンテンツとかの移行過程だったじゃないかと思うのである。

「ネットに乗るもの」と乗らないもの、の比較の決着はまだ着いていないような気がするが、多分そう遠くないうちにデジタル技術がアナログ世界を包み込んでしまうことになるのではないか。
デジタルのアナログ化が進むということなので、それらを使う自分たちはさほど生活のスタイルを変える必要はないかもしれない。それはそれで技術革新の恩恵なのに違いないし、またそんなデジタル技術を使いこなすのはまだ自分たち「アナログの人間である」という事実は変わらないだろう。

新聞のスクラップから

ここ半年ほど外部の業者にニュースのスクラップをお願いしていた。
「法律/相続/民法/会社法/離婚/年金」とか「セキュリティ/情報漏えい/サイバー攻撃/IoT」などと指定しておくと、それに絡んだ記事を切り取りデータで送ってくれるのだ。

しばらく使ってみて驚いた。実に情報が分かり易い。
webのクリップアプリとは何かが違う。
新聞七紙以上を網羅するというのもなかなかのものだが、情報量の多さで言ったらwebの方が上だろうと思う。
新聞の紙面の段組みがいいのか、それとも紙の一覧性の問題だろうか、あるいは総情報量はまだ紙の方が多いからだろうか。

新聞各社のwebサイトもかなり充実してきているし、日経などは全く同じ記事が読めるけれどインターフェースの感触がどうにも違う。
考えられるのは、画面(紙面)の大きさと、紙の軽さではないか。
たとえ21インチクラスのモニターに映していても、あの新聞の広さには程遠い。
それに新聞は軽い。
広めのタブレットを使ってみると実家するが、何十分も「手持ち」できないのである。

インターフェース革命はいつ来るか

ということは、インターフェースさえ「ある敷居」を超えてしまえば、一気にデジタルにシフトする可能性がある。なにせ情報の収集量と検索性ではデジタルの優位はもう明らかである。
自分たちはまだアナログ時代の「インターフェース」からは抜け出ていない。
というか「そこ」から抜け出した途端に、今とは比べ物にならないデジタルシフトが待っているのではないか、と最近思えて仕方がないのである。

梅田望夫さんの著書の「本当の進化はこれから始まる」というのは今時点においても正しいのではないだろうか。