藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アウトプットの力。

 先日結婚するのは簡単だが別れるのは大変、と書いたけれど一方こんな風に思い合える夫婦も羨ましいものだと思う。
どっちやねん。
記事中の佐藤さんが指摘されているけれど「書くことの効用」つまりアウトプットの力というところが注目で、つまり、書くこと→積み上げること→軌跡を見ること→(日々長くつながる軌跡を見て)安らぐこと・・・というような循環が起こっているのに違いない。
配偶者を愛するあまり、そのまま自らの生きる気力が萎(しぼ)んでしまっては故人も喜ばないだろう。

うつ病の原因トップは配偶者喪失らしいが、喪失感から立ち直るためには何かをアウトプットし続けてみる、というのが少しづつ這い上がるための処方箋なのかもしれない。
死から生の意味を考えたり、またひたすら悲しんだり、といった気持の起伏が毎日連なっていくことで精神にもたらす安寧の効果はかなり大きなもののような気がする。
それにしても徒然草もそうだったかも、と聞かされて古人の知恵というのはやはりすごいものだ、と感心しきりなのであった。

今は亡き愛する妻への挽歌3000回
2015/12/22 6:00ニュースソース日本経済新聞 電子版
 2015年11月19日、日本で大変な偉業が達成されました。今は亡き愛する人へ送ったレターが3000通に達したのです。それは便箋に書かれたものではなく、ブログにつづられました。各種のサロンを主催するコンセプトワークショップ(CWS)代表である佐藤修さんの亡き奥様への挽歌(ばんか)が3000回を迎えたのです。佐藤さんは、わたしが親しくさせていただいているコンセプト・デザイナーです。東京大学卒業後、東レに勤務された後は、さまざまな企業や自治体、あるいはNPOなどのコンサルティングをされてこられました。
 佐藤さんは07年に最愛の奥様である節子さんを亡くされてから、ほぼ毎日、3000日以上も彼岸の奥様へ向けてブログを書かれています。亡くなった方のことを思い出すことは、故人にとって一番の供養だと思います。毎日、仏壇に手をあわせて故人を思い出す人はたくさんいるでしょう。しかし、佐藤さんは毎日、仏壇の遺影に向けて「般若心経」を唱えた後で奥様宛のブログを書かれます。そのブログが3000回を迎えたのです。故人へのメッセージの量としては、おそらくギネスブック級ではないでしょうか?
 最愛の奥様を亡くされた佐藤さんの悲しみはあまりにも深いものでした。07年9月3日に書かれた「節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日」には以下のように書かれています。
 「信じがたく、残念なことですが、私にとってはかけがえのない妻が息を引き取りました。気持ちが落ち着いたら書き込みを再開します。医療も葬儀も悲しいことが多すぎました。私の妻は『花や鳥』になりたいと言っていたので、最後にその話をさせてもらいましたが、葬儀社に頼んだら、いま流行(はやり)らしい風にさせられてしまいました。さびしい時代だと思いました」
 このとき、どのような葬儀をされて、「さびしい時代」だと思われたのか。佐藤さんからそのときの詳しいお話は聞いていません。いつか、お聞きしたいと思っています。また、「花や鳥」になりたい方のための葬儀のあり方についてもお聞きしたいです。
 命を削るような思いで書き続けられた挽歌は、8年目を迎え、ついに3000回を数えました。「節子への挽歌3000:3000日目」には以下のように書かれています。
「節子 この挽歌もついに3000回になりました。つまり、節子のいない日を3000日、過ごしたということです。よくまあ生き続けてきたものです。書くことは、喪失の哀しさを埋め合わせてくれる大きな力を持っていますが、逆に悲しさを持続させる力も持っています。悲しさを埋め合わせるのと持続させるのは、対立するわけではなく、同じものかもしれませんが、ともかく『書くこと』の意味は大きいことを、私は実感しています」
 そして、吉田兼好の『徒然草』は、愛した女性の死によって生じた悲しさを乗り越えるために書き続けた書ではないかという作家の秦恒平さんの見解を紹介した後で、佐藤さんは次のように述べています。
 「まだ書いているのか、と言われそうですが、たぶんここまで来たら、彼岸に旅立つ、その日まで書き続けるような気がします。3000日。いまから思えばあっという間の3000日でした。そしてまた、あっという間に、彼岸に旅立つ日が来るのだろうなと思えるようになっています。時間の意味が、変わってしまったのかもしれません」
 この世には、多くの「愛する人を亡くした人」たちがおられます。いまだに悲しみの淵の底に漂っておられる方も少なくありません。生きる気力を失って自死することさえ考える方もいるでしょう。なにしろ、日本人の自死の最大原因は「うつ」であり、その「うつ」になる最大の契機は「配偶者との死別」とされているのです。
 どうか、そのような方々は佐藤修さんの「節子への挽歌」をお読み下さい。必ずや、闇に一条の光が射し込むはずです。そして、自らが人生を卒業する日を心穏やかに迎えられるのではないでしょうか。できれば、その方ご自身も亡き愛する人へ挽歌を書かれるとよいでしょう。
 亡き奥様への挽歌は、佐藤さんは自分にとってのモーニング・ワーク(mourning work)、つまり「喪の仕事」になっていると述べています。そして、「節子への挽歌3001:モーニングワーク」の最後に以下のように書かれています。
 「モーニング・ワークが日常になる。喪が明けるとは、喪が日常化するということかもしれません。そして、周りの人たちがすべていとおしく、やさしく感じられます。愛する人の死は悲しいことです。しかし、愛する人は、死別の哀しさだけではなく、生の意味にも気づかせてもくれます。私にとって、モーニング・ワークこそ、節子からの最高の贈り物かもしれません。そう思えるようになることが、モーニング・ワークの意味かもしれません」
 3000回を超えた佐藤さんの挽歌は、きっと多くの人々を救うはずです。わたしは、佐藤修さんと佐藤節子さんご夫妻の共同作業による、この前人未到の大いなる社会貢献に心からの敬意を表したいと思います。
 一条真也(いちじょう・しんや)本名・佐久間庸和(さくま・つねかず) 1963年北九州市生まれ。88年早稲田大学政経学部卒、東急エージェンシーを経て、89年、父が経営する冠婚葬祭チェーンのサンレーに入社。2001年から社長。大学卒業時に書いた「ハートフルに遊ぶ」がベストセラーに。「老福論〜人は老いるほど豊かになる」「決定版 終活入門〜あなたの残りの人生を輝かせるための方策」など著書多数。全国冠婚葬祭互助会連盟会長。九州国際大学客員教授。12年孔子文化賞受賞。