藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

冒険はこれから。

胡椒が銀と等価で取引されていた、とか。
実はアジア産だと聞いて「貿易という行為」の凄さを思い知る。

それにしても現代に生きる自分たちは、どこか閉塞感を感じ、「大いなる冒険」なんてできないと感じている。
本物の冒険なんて、エベレストとか海底にしかないのではないか…と思っていたら、どうやら大間違い。

それにくらべると、現代は、はるかに冒険の時代だといえる。七大陸最高峰登頂とか、単独無寄港無補給ヨットレースとか、そういう自己目的設定型の挑戦は大きな儲(もう)け口にはならないだろう。

 せいぜい名声が手に入るくらい。その名声もいわば行為の無償性に対してあたえられるので、投機の結果に対してではない。
 航海技術が発達し、未知の土地などもはや地球上には残されていない時代のほうが、かえって冒険には適している。何か人間精神の一端を示しているように思う。

「何か人間精神の一端を示しているように思う。」
冒険は環境でするのではなく。
むしろ科学が進んで冒険の範囲はとんでもなく広がっているらしい。

さあ自分はどんな冒険に出ようか。

食卓の上の大航海時代 門井慶喜

 寒いですね。大根がおいしい季節です。

 わが家の名物は、大根と牛すじの煮もの。下ゆでした牛すじを醤油(しょうゆ)と酒と水にひたし、圧力鍋で加圧して、輪切りの大根を入れて煮る。たったこれだけ。ほかには何も入れませんが、欠かせないのは胡椒(こしょう)です。

 挽(ひ)いていない粒のままを大さじ一杯、えいやっと最初にばらまいてしまう。煮汁の味がひきしまります。食べるときは取り去ってください。

 酒の肴(さかな)によし、ごはんにぶっかけて掻(か)き込むもよし。ふだんの食卓でこんなおいしさが味わえるのは、これはもちろん、ヴァスコ・ダ・ガマのおかげだった。

 ときどき勘ちがいされるのだが、ヨーロッパ人は、大航海時代ではじめて(ヽヽヽヽ)香辛料を手に入れたわけではない。それ以前より染料、生糸などとともに輸入していた。古代ローマ時代にはもう、

 ――胡椒は同量の銀と等価。

 ということばがあったくらいで、ただしその輸入の手続きがひどく面倒だったのである。

 まず胡椒は、アジアに産する。

 それをアラブ商人が買いつけ、西へはこぶ。地中海東岸でイタリア人へ売る。イタリア人は地中海をあちこち駆けまわり、胡椒はヨーロッパにひろまるわけだ。

 つまり原産地と消費地のあいだに仲買人があったわけで、これが事態を複雑にし、価格を高くしていたのだ。したがって、

 ――もしもアラブ人なしに、じかにアジアで胡椒が買えたら。

 というのは、早くからヨーロッパにおける夢想だった。

 ことにイタリア人は夢想したろうが、実現させたのはイタリア人ではなかった。ポルトガル人、下級貴族の三男であるヴァスコ・ダ・ガマ。彼の四隻の船隊は、地中海には目もくれず、無限の大西洋にのりだしたのだ。

 南へ南へと進路をとり、アフリカ南端の喜望峰をまわり、インド洋を経てアジアに達した。距離だけを見れば遠まわりもはなはだしいが、それをおぎなって余りある巨大な利益をポルトガルは得ることになる。この小国は、いうなれば産地直送の商法によって、経済大国イタリア(特にヴェネツィア共和国)との商戦に勝利したのだった。

 大航海時代はよく、

 ――冒険の時代。

 などと言われる。航海技術が未発達だったから危険が多く、そのぶん未知に挑戦できた魅力的な時代だと。私はこの見かたには同じ得ない。なるほど危険にはちがいなかったが、それでも彼らが海を行ったのは未知への挑戦のためではない。はっきりとお金のためだった。大航海時代とは冒険(アドベンチヤー)の時代ではなく、投機(ベンチヤー)の時代だったのである。

 それにくらべると、現代は、はるかに冒険の時代だといえる。七大陸最高峰登頂とか、単独無寄港無補給ヨットレースとか、そういう自己目的設定型の挑戦は大きな儲(もう)け口にはならないだろう。

 せいぜい名声が手に入るくらい。その名声もいわば行為の無償性に対してあたえられるので、投機の結果に対してではない。

 航海技術が発達し、未知の土地などもはや地球上には残されていない時代のほうが、かえって冒険には適している。何か人間精神の一端を示しているように思う。