藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

確信のチカラ。

仕事を他人に頼むとき、しばしば「腹落ちしてますか」と言うことがある。
何や"腹落ち"て。(多分腑に落ちる、と同義)

自分がこれからするいろんな作業が「何のためか」がはっきりと共有されている状態のことだ。
親分の命令を何が何でも守る鉄砲玉、というのはこれの困った例だ。

つまり「腹落ち」しているのとしていないのでは、結果が変わってくるのだ。
プロジェクトが失敗したとか、失敗したとかいうのはここのスタッフが「腹落ち」していないことが多い。

下町ロケットではないが「腹落ち」した人たちがチームワークを発揮すればとても強い。

いろいろ難しいマネジメントの理論も、結局この一点がキモなのではないだろうか。
Googleがあらゆる情報を整理し尽くす、というのも多くの社員が腹落ちしやすいだろう。
しかも「悪」にならずに、と。

つまり、自分たちがせっかく時間を使うのだから「最高のパフォーマンス」を発揮しようと思うのなら。
「納得できること」「やりたいこと」「腹落ちする方針」を手がけるのが一番だ。
いやむしろ「それ以外のこと」はやらないほうがいいだろう。

毎日は忙しいけれど「これだ」と思えるものに全力投球できますように。
そんな環境を自分で作っていきたいものです。

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン
・「では訊くが‥‥」と、
禅問答のようにたずねられるとしましょう。

あなたは、それほどお金を持っていない。
いや、持っているということにしてもいいが、
いくらでも自由につかえるほどのお金を持ってない。
「では訊くが‥‥」
ほんとうに自由に使えるお金があったら、
なにをしたいのだね、どういうことをどうしたいのかね?
こういうことは、他人から訊かれることもないので、
あんまり考えたことがないかもしれません。

そういうお金があったら、なにをしたいのか。
なかなか、気持ちのいい答えは見つかりません。
なんなら、「そんなのいらない」と言うかもしれない。

「いくらでも自由に使えるお金、けっこうだね」と、
きっぱり言える人たちも、たぶんいるとは思います。
いちばん大きなお金を求めているのは、
「もっとお金を稼ぐためにお金をほしがっている人」
なのではないかという気もするんですよね。
最近のことで、すこし話題になったのは、
地球を離れて月旅行というようなことだったけれど、
どうも「それはいいなぁ」とは感じませんでした。

ぼくにも、仮縫いのような考えはあるにはあるのですが、
「いくらでも自由に使えるお金」の使いみちについては、
もっと真剣な「思考の旅」が必要な気がします。

次に、あなたはものすごい才能を持っていない。
世界を仰天させるような才能を持っていたとしたら?
そういう才能を持ってるあなたが、そこにいたら。
そういうことについて、考えたことはありますか。
「では訊くが‥‥」
ボクシングの何階級も制覇したチャンピオンやら、
殿堂入りするような野球やサッカーの選手、
将棋や囲碁、チェスの名人、世界的な作家‥‥。
あなたが、そのような人であったとき、
なにをどうしたいのでしょうか?
これも、ぼくはちゃんと考えてみたことがありません。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
有り余るものについて、いちおう考えてみるのはどうだろ?