藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

結局、人生の使い方。

さらにもう一つ。
主な時間の使い方を三つ考えてみる。
趣味とか、仕事とかそういうやつだ。

今やSNSとゲーム。
旅行。
ゴルフ。
スノボ。
そして酒。
自動車、バイク。
スポーツ観戦。
筋トレ。
投資。
ならい事。
そして学問。
いろんなテレビ。
映画に動画もある。

どれかにハマっている人は多くないだろうか。
自分は酒に絡まれて久しいが、幸いはその他にはあまり関わっていない。
朝から晩までスマホで株価のチェックをするとか。
1日に何時間もかけて筋トレをするとか。
あとから振り返れば正しい選択だろうか。
(毎日飲み歩くのも甚だ疑問だが)

「学問は最高の趣味」というけれど、それほどのものだから、人生であといくつもチャレンジできないだろうし。
ああ。
自分は何に一番人生を燃やしたいのだろう。
それが学問なら何か。
ビジネスなら何か。
どうやらそんなことを考える時期に来ているような気がする。

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「では訊くが‥‥」と、
禅問答のようにたずねられるとしましょう。

あなたは、それほどお金を持っていない。
いや、持っているということにしてもいいが、
いくらでも自由につかえるほどのお金を持ってない。
「では訊くが‥‥」
ほんとうに自由に使えるお金があったら、
なにをしたいのだね、どういうことをどうしたいのかね?
こういうことは、他人から訊かれることもないので、
あんまり考えたことがないかもしれません。

そういうお金があったら、なにをしたいのか。
なかなか、気持ちのいい答えは見つかりません。
なんなら、「そんなのいらない」と言うかもしれない。

「いくらでも自由に使えるお金、けっこうだね」と、
きっぱり言える人たちも、たぶんいるとは思います。
いちばん大きなお金を求めているのは、
「もっとお金を稼ぐためにお金をほしがっている人」
なのではないかという気もするんですよね。
最近のことで、すこし話題になったのは、
地球を離れて月旅行というようなことだったけれど、
どうも「それはいいなぁ」とは感じませんでした。

ぼくにも、仮縫いのような考えはあるにはあるのですが、
「いくらでも自由に使えるお金」の使いみちについては、
もっと真剣な「思考の旅」が必要な気がします。

次に、あなたはものすごい才能を持っていない。
世界を仰天させるような才能を持っていたとしたら?
そういう才能を持ってるあなたが、そこにいたら。
そういうことについて、考えたことはありますか。
「では訊くが‥‥」
ボクシングの何階級も制覇したチャンピオンやら、
殿堂入りするような野球やサッカーの選手、
将棋や囲碁、チェスの名人、世界的な作家‥‥。
あなたが、そのような人であったとき、
なにをどうしたいのでしょうか?
これも、ぼくはちゃんと考えてみたことがありません。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
有り余るものについて、いちおう考えてみるのはどうだろ?