藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

"革新"と"継続"。

いわゆる社会で言う才能(能力)の定義、って何だろうか、などとふと考える。

さい‐のう【才能】物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の―に恵まれる」「―を伸ばす」「豊かな―がある」「―教育」

のう‐りょく【能力】1 物事を成し遂げることのできる力。「―を備える」「―を発揮する」「予知―」 2 法律上、一定の事柄について要求される人の資格。権利能力・行為能力・責任能力など。

才能とは「生まれ持った」というニュアンスがあるようだが大差ない。
昨日「既存のものに対する能力」と「新しいものへ向けた能力」という分類のことを書いたけれど、さらに言えば「それを組み合わせる技術」が一番重要なのかと思う。

組み合わせる、というか「連続させていく力」という感じか。
(innovate & sustainかな)
新しいことを思いつく力は誰にもある。
いわゆる「思いつき」である。

特許を出願する時もよく「思いつき発明」などという表現をするが、発想は奇抜でも「あまり深みがない」のである。
着想は大事なのだが、「常に夢想を続けて」いても、積み上がったアイデアにはならない。
着想は現実と比較され、またライバルとも競いながら洗練されてゆくものではないだろうか。

既存の方法やアイデアだけでは「いかに効率的に」とか「いかに早く」という進歩はあっても、革新的なものは生まれにくい。
けれど「新規の方法」だけでも現実離れして「ユーザー不在」とか「わざわざ使うために苦労する仕組み」等が生まれてしまうことも多い。
非常に使いにくいウェブサイトなどは典型例である。

例えば「持ち運べる(キーボードなしの)タブレットがあったらいいな」と言うアイデアを「ノートパソコンと携帯電話」をイメージしながら構想して行くような感じである。


うまく言えないが、「もし携帯タブレットがあったら」というアイデアに「本も読めるし、テレビも見れる、通話もできる」という発想では「既定路線で思いつく程度」の付加価値しか生まれない。
「少し飛躍したアイデア」をうまく結び付けてゆくようなことを意識してできれば、思考のトレーニングにもなるし、新しいビジネスが生まれてくるかもしれない。

イデアは、夢のある最も人間的な存在だが、それをちょっと冷静に色々な角度から考えてみるのは非常に面白い作業ではないだろうか。
まず自分でやってみてまた報告します。