藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

芸術ということ。


昨日偶然「ライブの楽しみ」について触れた。
いつものことだけれど、芸術家の訃報に触れるたびに感じる喪失感はそれだ。
業績の一部分は映像や録音として今も多数残っているけれど、もう生の「ライブのあの人」に会うことはかなわない。

「一本の線」のように自分の道を歩んできた人たちだから、その線が途切れることに無上の寂しさを感じるのだろう。
一昨年、中型のホールで聴いたラフマニノフは忘れない。

中村紘子さん死去 72歳、ピアニスト
2016/7/29 0:47日本経済新聞 電子版

 戦後日本のクラシック界をけん引したピアニストの中村紘子(なかむら・ひろこ、本名=福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日午後10時25分、大腸がんのため死去した。72歳だった。連絡先はジャパン・アーツ広報宣伝部。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は夫で作家の庄司薫さん。

 小澤征爾さんらを輩出した桐朋学園の「子供のための音楽教室」で学び、早くから天才少女ピアニストとして注目を集めた。1959年に日本音楽コンクール第1位。翌60年にはNHK交響楽団の初の世界ツアーに同行するという華々しいデビューを飾った。

 その後、米ジュリアード音楽院に留学し、65年にショパン国際ピアノコンクールで入賞。芥川賞作家の庄司さんと結婚し、著書「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど文筆家としても知られた。

デビュー50周年アルバムのレコーディングをする中村紘子さん(2009年5月、長野県軽井沢町
デビュー50周年アルバムのレコーディングをする中村紘子さん(2009年5月、長野県軽井沢町
 紫綬褒章日本芸術院賞・恩賜賞など受賞多数。ショパン・コンクールをはじめコンクールの審査員も数多く務めた。日本赤十字社などを通じたボランティア活動にも積極的に取り組んだ。

 2015年1月にがん治療のため活動中止を発表したが、その後復帰。休養をはさみながらも活動を続け、今年5月に兵庫県で行ったリサイタルが最後の公演となった。

 庄司さんは「誕生日(7月25日)をむかえる日も、このところみつけた、モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試すのだといって、興奮していました。ぼくも、それを聞きたいと熱望していました。残念です」とのコメントを出した。