ひょんなことからアメリカに出張することになった機内。
それにしても、入国回数とか、ホントに出張何に役立っているのか甚だ疑問な「入国カード」にじっと我慢で記入する。
あなたは病原体を持ち込んでいますか?とか
細胞を培養していますか?とか
農場または牧草地にいましたか?とか。
「皆様には、たとえ検査対象に選ばれた場合でも、礼儀正しく、威厳のある、プロフェッショナルな態度での対処が行われます。」とか。
「なお、おほめの言葉あるいはフィードバックをいただくためのご意見カードもご利用いただけます。」とも。
とても利用者のために出来上がったとは思えない規定の数々だが、まあお役所の仕事というのはどこでもこのようなものなのだろう。
アメリカとてご多分に洩れず。
あなたは身体的、もしくは精神的な症状を患っていますか?
はまだいいとしても、「あなたは、スパイ行為もしくは破壊工作、あるいはテロ活動、あるいは民族大量虐殺に、過去に関与したことがありますか?」。
そして「1933年から1945年までの間に、ナチス・ドイツまたはその加盟国な関連した迫害にいかなるたかちででも関与しましたか?」と思わず祖父あたりに電話しそうな質問は続く。
日本の施策だってそうだが、およそ「国」のオペレーションというのはこういう宿痾を背負っている。
事故が起きたときの「責任の所在ありき」の発想をするから「だったら書いておけ」根性の声が勝り、何だか体裁の化け物みたいなルールの誕生、となるわけだろう。
国民総背番号制でも、グリーンカードでも、徹底的に電子化し、その「本人性の確保の運用」にだけ徹底的な工夫を凝らし、なりすましや不正対策を推進する。
そのためには、生体認証とか、大いに先進技術を駆使してもらう。
技術というものは必ず一定割合で「解読」されるものだけれど、詰まるところそんな「同水準」を同時代にに過ごすもの同士のせめぎ合い、という一面からは決して逃れることもない。
こちらが32ビットならあちらも同様。
敵が8ビットの時代に為政者サイドだけが64ビットで統治する、ということは有り得ないは、第三者からはよく理解できるものである。
大前研一氏のブレインジャパン構想、ではないが全人類が(取り急ぎ先進国だけでも)かちんとデータベース化されて、
政治(選挙とか投票とか)、
経済(支払いとか、課金とか納税とか)、
社会(犯罪抑止とかメンタルケアとか)に利用できれば、それこそ人間が「デジタルのメリットを最大限に‘てこ’を利かせて享受できる」と言えるのに。
と思ったら機内食の時間。(続く)