藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

有事の核とか。


岡田外相が発言。

「米国の核搭載艦船の一時寄港を認めなければ日本の安全を守れない事態が発生すれば、その時の政権が命運を懸けて決断する」

とのことである。
今がその時とどう違うのか。
今命運を懸けて判断する必要はないのか。
甚だ疑問。
こんな回答を公表された将来の世代はどう思うのだろう。


苦しい問題も、今から思考を積み上げて将来につなげる、という試みを集積しておかないと、いきなり有事に「そら考えてみろ」といってもロクな判断は出ないものである。
「時の政権」はもう自分たちではない、というマイナス思考なのか単なる先送り意識でしかないのか、ビシッと方向を示さねば政権維持など難しいだろうと思う。
有事、という二文字で全部定義しようとするから、そこから不毛な極論を唱える人が出てきて話が前に進まない。
きちんと「この場合の国家危機には核帰港やむなし」とか
「これ以外は全面禁止維持」とかを明確に決めてゆけば極論側に立って議論を振りかざす人に対抗できる。


むしろ、今が民主党のポリシーを示す大チャンスなのに。


成功しない人は、失敗を続けているのではない。
チャンスを見過ごし、気づかないのだな、とつくづく思う。


<nikkei.comより>

将来の有事の核持ち込み 岡田外相「時の政権が決断」
 岡田克也外相は17日午前の衆院外務委員会で、有事の際に核兵器の持ち込みを認めるかどうかについて「米国の核搭載艦船の一時寄港を認めなければ日本の安全を守れない事態が発生すれば、その時の政権が命運を懸けて決断する」と述べた。
「鳩山政権としては非核三原則は堅持する」と強調した上で、将来的な持ち込み容認には含みを残した。
自民党岩屋毅氏への答弁。

 鳩山政権は「一時寄港も非核三原則が禁じる核の持ち込みに当たる」として認めない立場だが、「寄港は持ち込みに当たらない」とする米国の解釈とはズレがある。

 外相は「現状では米国の核搭載艦船が寄港する可能性はないので解釈の擦り合わせは不要」と強調するが、同日の答弁では「米国の核戦略が変われば互いの矛盾があらわになり、議論が必要になる。将来に備えて政党レベルで突っ込んだ議論をしてほしい」と指摘した。