藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

カウントダウン観。


センスがないのでこんなネーミングしか浮かばないけれど。
若いうち、特に三十代までの自分は「人生で何がしたいか」というようなことには思いが及ばなかった。
もうそんなことを考えるより、毎日の日常に精いっぱいだった。(少なくとも「思考」の上では)
いわゆる7つの習慣の「重要事項の優先」が出来ていなかったわけであるが。
それはともかく。


それが五十歳も間近になると、自然に「そんなこと」が思い浮かぶようになる。
だから「カウントダウン観」。
四十歳になった時から明確に意識するようになったが、今後半に入って明確に自覚するようになった。

一月に読める本の数。
仕事できる時間。
人と過ごす時間。
どれを取っても「全盛期」を過ぎている。
つまり「先の予測」がすでにできる時期に来ている。
つまり「物の入る量」が計算できるということで、
つまり「これからやれること」は無限ではなく、「テーマ」が決まれば、その先がある程度予測できるということである。
何でもかんでも詰め込んでも大丈夫、とはもう行かないのである。

これから先に何を学び、何を仕事にして生きていくかって? そんなこと分かるわけないじゃない。
すべてはこれからですよ!

と言えたなら、その人はまだ青春の中にいる。
ああ、それがセイシュン。
「俺には、まだいくらだってこれから物が入るよ」というのと
「もう考えてレイアウトしていかねば、蓋が閉まらないカモ」というような意識の差である。


よくしたもので、「そうした感覚」が芽生えてからは、自分の人生を大事に見たり、また若者を見ても「そんな慈愛的な目」で見れるようもなる。
年の功である。


そんなことが、人生の折り返し地点では確実にやってくるのだ、ということを書いてみたかったのだ。