藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

裁判が映す潮流。

時間外作業が80時間を超えて過労死した男性に会社の責任が認められた、という記事。
自分も社会人になりたてには、月に300時間後半くらいは働いていたが、当時はそれが「超過労働」というような空気はまったくなかった。
(例えば平日は毎日終電帰りで、土曜も普通に九時-五時半とかの出勤で、週末には先輩たちとの飲み会がある、といった感じだった。)

もうあまり当時の記憶も定かではないけれど、家族などに聞くと、確かに平日はまず顔を合わせることはなく、日曜日には「死んだように一日中寝ていた」とのことで、結構激務だったのだと思う。
死ななくてよかったと改めて思うが、それにしても技術系の大学出身ではない自分たち(文系出身者)がIT企業入社し、先輩や理系の人たちに追い付くには寝る間も惜しめ!といった空気はごく普通の社内のものだった。
(さらに戦後の高度成長期の団塊世代に聞くと、日曜日すらゴルフに行ったり麻雀接待だったというから、もう公私の区別などなかったのだろう)

そんな1990年ころからたった二十年。
「戦後の五十年」から比べればごく短い、直近の二十年である。
だけど、ずい分と時代の価値観が変わったものである。

競争とか、経済発展とか「そういうもの」が時代の一意ではなくなっているな、というようなことをとても身近に感じるのである。

こういうことが"成熟"ということなのだろうと思う。
自分たちより上の世代の先輩たちは「けしからん」という人も多い。
さらに上の先輩方は「日本の発展の終わり」というような文脈で語る人もいる。
けれど、これが「成長一辺倒で走れなくなった今の自分たち」の姿なのだと思うのである。

まだまだ伸びしろがあり、皆が一つの方向を向いていた時代は終わった。
これからは「どっちを向いて生きていくか」ということすら自分で選択してゆく時代になるのだろう。
こうした法律や裁判の傾向は、そんな時代の潮流のうねりを示しているのではないだろうか。

時間外80時間超、過労死で東急ハンズに賠償命令 神戸
東急ハンズ心斎橋店(大阪市中央区)に勤めていた男性(当時30)が突然死したのは、長時間業務で疲労がたまったためだとして、遺族が東急ハンズ(本社・東京)に9100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、神戸地裁であった。長井浩一裁判長は「時間外労働が月80時間を超えていたのに対策をとらず、過労死した」と認め、同社に約7800万円の支払いを命じた。
 判決によると、男性は1999年から同店でキッチンフロアを担当。タイムカードに退勤と記録された後も働くなど、賃金不払いの残業が続いた。2004年3月に亡くなる直前の2カ月間はバレンタインデーなどの繁忙期で、時間外労働は月約90時間に上り、業務と死亡との因果関係を認めた。
 東急ハンズ側は「時間外労働の業務を指示していなかった」などと争ったが、判決は「大幅な残業を認識できたのに、対策を取らなかった」と指摘した。
 東急ハンズは「判決文の詳細を確認して対応を決める」とコメントした。