藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

精神年齢、好奇心。

体のメタボに気は使っても、脳の老化にはあまり気を使っていないことに気づいた。
脳の老化を、自ら顕著に意識することは、実はまだあまりない。
少し記憶力が悪くなったとか、一日のスケジュールを確認することが頻繁になったとかくらいのものである。

けれど、体同様おそらく脳細胞もどんどん古くはなっている。
そして恐らく、体と同じく「きちんとケア」している人と、放置している人では見た目同様大きな差があるのではないだろうか。
50歳だけども30代後半に見える人もいれば、もう60過ぎに見える人もいる。
脳がいつまでも若くあるためには何が必要だろうか。

思いつくのは「好奇心・探究心」があること。
つまり何にせよ"欲求"があることではないだろうか。

自分の父親は今年80歳になるが、知的関心はおよそ止まるところを知らず、またその思索の内容についても、それが人生論であれ、死生観であれ、時代考証歴史観であれ、戦争論であれ、天皇論であれ、年ともに追いつけぬ深みが出てきている。
使い込んでゆくほどいい風合いになる皮鞄みたいなものである。

ということは、逆説的に言えば「どんどん欲を失う」というのはあまり脳にとっては良くないことかもしれない。
もう欲しいものもない、好きな人もいない、社会的にはリタイアして毎日はただルーティンの繰り返し…になれば、脳そのものの感覚も鈍麻してくるに違いないというものである。

日々、外的な刺激ばかりが多すぎて、それに反応しているだけで一年が過ぎてしまう、というのも空しいが、自分の頭の中を活性化させるようなテーマを常に持っていないと、たちまち脳も老け込んでしまうと思うのである。
お金を使わずとも、面白いと思えるものを幾つか用意しておきたいものである。
というか、そうした人たちは自然に「そうしたテーマ」をいくつも自身で持っているものなのだ。
周囲の先達からそうした姿勢をぜひ学びたいものである。