- 作者: トマ・ピケティ,山形浩生,守岡桜,森本正史
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2014/12/06
- メディア: 単行本
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本書の共同著者のジョン・マッキ―氏は、年間売り上げが約1.5兆円相当の米国最大手の自然食品スーパーのホールフーズ・マーケットの創業者だ。60〜70年代のヒッピー・ムーブメントに感化され、ビジネスと企業は利己的に利潤を追求する「悪」の存在であると思っていた。そして、1978年に25歳の若者は健康的な食べ物を売りながら生活費を稼ぐという楽しい生活の理想を抱えて起業した。
そうすると、視野が変わった。ビジネスとは相手を搾取や威圧する利己的な存在ではなく、協力と自発的交換による相互利益であることに目覚めたのだ。
起業する経営者は数知れないが、結局は「こういう感覚に出会えるか」「こういう感覚に共感するかどうか」ということが大きな分節ではないかと思う。
知り合いの経営者が酒場で「結局経営って搾取だよね」と言ったことを思い出す。
実は搾取ではないのだ。
表面的にはそう違いが見えないこともあるけれど、その心根は長い間には必ず見た目にも表れてくるものだ。
金を稼ぐことが悪、と思うか(それでもその悪に手を染めたり)、それとももっと違う「何か正義的なもの」を感じるかでビジネスの挙動は大分違ったものになってくるはずである。
(つづく)
良識ある資本主義>21世紀の資本(渋沢健)
コモンズ投信会長2015/2/15 7:00日本経済新聞 電子版「ビジネスとは相手を搾取や威圧する利己的な存在ではなく、協力と自発的交換による相互利益である」
やはり、私は逆張り派のようだ。世間がトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」を読んでいる最中、自分がページをめくり始めている本は、「Conscious Capitalism」だ。和訳では「世界でいちばん大切にしたい会社」という題名であるが、「良識ある資本主義」と訳した方が内容と合っている。実業家の経験から基づく資本主義の実践は、経済学者が提示する机上の資本論と比べてライブ感があって面白い。
本書の共同著者のジョン・マッキ―氏は、年間売り上げが約1.5兆円相当の米国最大手の自然食品スーパーのホールフーズ・マーケットの創業者だ。60〜70年代のヒッピー・ムーブメントに感化され、ビジネスと企業は利己的に利潤を追求する「悪」の存在であると思っていた。そして、1978年に25歳の若者は健康的な食べ物を売りながら生活費を稼ぐという楽しい生活の理想を抱えて起業した。
そうすると、視野が変わった。ビジネスとは相手を搾取や威圧する利己的な存在ではなく、協力と自発的交換による相互利益であることに目覚めたのだ。
同業者と合併し、ホールフーズ・マーケットとして改名して営業を初めてから8カ月の1981年5月。70年ぶりの大洪水で店は水没する。預金なし保険なし在庫なしの状態で破綻の崖っぷちに立たされる。これで職を失ったと絶望する従業員と共に店の残骸に茫然(ぼうぜん)と立ちすくんでいると、予想外のことが起こる。
お客さんや近所の住民たちが手にモップやバケツなどを持って寄り集まってきたのだ。「何をボーッとしているんだ。あんたの店は自分たちの生活にとって不可欠な存在なんだよ」と声をかけながら。
他に、営業再開まで無給で働いた従業員。店の棚並びのために信用貸しで商品を提供した多くの取引先。追加増資に応じた投資家。そして、銀行までが運転資金を貸してくれた。このような大勢のステークホルダーの協力のおかげで、ホールフーズ・マーケットは水没後の28日目に営業を再開できた。ステークホルダー達の協力、そして、ビジネスにおける「power of love」という利他の思いがなければ、ホールフーズ・マーケットは創業1年目で世の中から消えて、現在は存在していなかったと、マッキー氏は想いをかみしめながら振り返る。
マッキー氏のように、理想は一人から始まるものであるが、一人だけでかなうものではない。仲間の存在があるからこそ理想は現実となる。そして、その仲間たちを引き寄せるものは、論理の法則にかなった合理性だけではなく、突き進む情熱、他者への愛情、そして揺るぎない正直さだ。また理想を追求する者は必ず悩む。逆境で心が折れそうになるときもある。しかし、そんな時、あのときの、あの人の一言で立ち直れるときもあるのだ。
「資本主義は知的ハイジャック」されているとマッキ―氏は主張する。つまり、資本主義とはゼロ・サムのパイの奪い合いではなく、パイを拡大させる協働作業であることが軽視されているということだ。「低所得層の生活向上のために、高所得層の足を引っ張る必要はない」とマッキー氏は指摘する。
もちろん、ピケティ氏が資本主義や成長を否定しているわけではない。また、本人の意図とは別に、メディアなどが「格差」というキーワードに過剰に反応して「お金持ちがさらにお金持ちになる」というイメージを拡散しているだけかもしれない。 いずれにしても、資本主義から生じる富が「公平」に分配されない社会や経済の不安定な状態を是正するために、累進課税強化という政府万能主義で、真の価値創造へつながるという導線が見えにくい。
ピケティ氏は、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る状態では富は「資本家」に蓄積されると分析した。ここでいう「資本収益率」は利潤、配当金、利息、貸出料など資本から生じる収入であり、「経済成長率」とは給与や生産を含む広義的な所得の成長のようだ。
もし一般市民が恩恵を受けるのは経済成長であり、資本収益を手に入れられるのは一部の資本家層だけであれば、それは確かに大勢が不満をいう格差問題であり、経済社会の不安定さへとつながる。
しかし、このような社会構造は、200年前では現実だったかもしれないが、21世紀では一般市民も投資できる。つまり、日本社会において、サラリーマンのような労働者階級もプチ資本家=「de petit capitalist」になれる。(r)の人と(g)の人とは別々の存在ではなく、同人物でもあるのだ。同人物であれば、(r)が(g)と比べて高いということは特に不具合はない。
また、投資から生じる資本収益率(r)が、経済成長率(g)に伴い上昇する給与所得より高いことは好ましい状態だと思う。
仮に、(r)を低めて、(g)を高めることによって給与所得が毎年成長する状態が続くと保障されれば、人々はただ漫然と仕事をするだけで給与が増えることになる。これは、お金を得るために、嫌な仕事でも辛い仕事でも、やりがいがない仕事でも、その職に残ることが、経済合理的な行動になってしまう。1月末の盛岡のいわて経済力向上委員会主催のセミナーにて。パイの奪い合いではなく、パイの拡大に協働する草食投資隊(左から、セゾン投信の中野晴啓さん、レオス・キャピタル・ワークスの藤野英人さん、著者)の活動は5年目に入る
また、来日中のピケティ氏は日経ビジネスオンラインとの対談で、人口増は「インフレを創り出すことよりもはるかに重要で」と発言している。ということは、(g)が高い状態とは人口が急激に増えている前提が必要ということなのであろうか。人口増に頼る経済成長は旧来の思想に留まり、本当に21世紀の地球が必要とする画期的な資本論とは思えない。
そして、資本を投入する収益と比べると、給与や生産から生じる所得ではリスク(不確実性)が異なる。資本投入はゼロになる可能性を含むのでリスクが高いといえるが、特に終身雇用・ 年功序列を前提にする社会では、給与や生産から生じる所得のリスクが比較的に低いといえる。つまり、rリスク>gリスクということだ。
経済成長(g)と比べて資本成長(r)のリスクの方が相対的に高ければ、(r)に「プレミアム」が上乗せされている状態は当たり前だ。(r)を分子にrリスクという分母で割って、(g)を分子にgリスクで割るような「リスク調整」について、ピケティ氏はそれほど分析を深めていないという印象を受ける。
ピケティ氏も同じ考えだと思うが、「格差」そのものが悪いのではなく、「格差の固定化」が悪い状態なのだ。人類史上、様々な争いが絶えない根底には、格差の固定化という状態の絶望があるからだ。
一方、社会の格差を広めたり、縮めたりするのが「イノベーション」だ。平たく考えれば、イノベーションが不在な社会で格差の広がり縮まりがない状態は呼吸が停止している身体と同じになる。そして、呼吸しない身体は、いずれ死に至る。
資本収益率(r)を高めることを求める投資には、未来があのようになってほしい、このようになってほしいという理想的な志向が不可欠だ。このような志向がなければ、新しいものは生まれず、イノベーションもない。
未来志向によって動く人々が報われ、また報われた人々が(動かないのではなく)動けない弱者が自立できるように手を差し伸べる。それが、「良識ある資本主義」がもたらす幸せな世の中であり、私たちが実践に目指すべき21世紀の理想像だ。
富が公平に分配されないことによって社会や経済が不安定となるというピケティ氏の警告は真剣に耳を傾けるべきだ。ただ、これは21世紀の新しい資本論ではなく、我が国では20世紀の初期において既に指摘されている。
「その経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない」。渋沢栄一の代表作である 『論語と算盤』の「合理的な経営」からの引用だ。1月下旬のコモンズ投信の「女性の活躍セミナー」にて。内閣府が新設した「女性が輝く先進企業表彰」で「内閣総理大臣表彰」を受賞した投資先のセブン&アイHDのダイバーシティ推進プロジェクトリーダー藤本圭子さんをお招きした
ピケティ氏と栄一は資本主義において、実は同じよう問題意識を持っていた。しかし、両者の解決法は明らかに異なっている。ピケティ氏は、この格差を是正するためには累進課税の富裕税を世界的に導入することを理想としている。一方、栄一が唱えた理想とは論語(道徳)と算盤(経済)の合致で、民間力による価値創造を高めることだった。
21世紀初期の「Conscious Capitalism」の提唱と20世紀初期の「Confucian Capitalism(儒教的な資本主義)」が東西でシンクロしていることが大変興味深い。共通点は、政府による富の再分配だけでは価値創造が期待できないという実業家の着眼点だ。あくまでも、民間人の良識による価値創造によって社会全体が富む可能性に期待を寄せている。21世紀の良き資本論を実践するには、我々一人ひとりの(r)を高めることが不可欠だ。
渋沢健(しぶさわ・けん) コモンズ投信会長。1961年生まれ。83年米テキサス大工学部卒。87年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)MBA経営大学院卒。JPモルガン、ゴールドマン・サックス証券、大手米系ヘッジファンドを経て、2001年に独立し、07年コモンズ株式会社(現コモンズ投信)を創業、08年会長就任。主な著書に『渋沢栄一とヘッジファンドにリスクマネジメントを学ぶ』(日経BP社、2001年)『運用のプロが教える草食系投資』(日本経済新聞出版社、2010年)『渋沢栄一 100の訓言』(日本経済新聞出版社、2010年)『日本再起動』(東洋経済新報社、2011年)など。