藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分双六。

朝起きて、仕事に行ったり学校に行ったり。
そこに大したハードルはない。
時間通りに起きたり、また仕事や宿題の準備をしたりする必要はあるけれど、そんなに苦しいことでもない。
仕事が特になければ、好きな時間まで寝ていてもいいし、暇な時間はパチンコや漫画に興じていてもいい。(漫画は楽しいけれど。)
怠惰は楽だし抵抗が少ない。
けれど日常の達成感とか充実感も伴わないものだ。

一方、習い事のように日常から一定の稽古や生活習慣を要し、自らを律する必要のあるテーマもある。
別に選択に強制力はない。

さてどちらを選ぶか。
というかそういう「一定の目標を自分に課するかどうか」ということは自分の人生にとって重要な要素であると思う。
そりゃ何にもない方が楽ちん。
けれど「そんなことが積み重なった自分」が何か空虚なものに感じられることを自分は知っている。
だから「何かしなきゃ。何をしようか。」などと考えてしまうものである。

ただ親から言われたとか、環境の偶然からそういう日常のハードルを課されるのも大変だけれど、だからこそ「自分にとってのハードル」は自分で考えて決めて行きたいものである。
どんなハードルにしようと、どんな高さにしようと自分次第。
けれどそれこそが「自分の証」だったり「自分自身の確認の対象」だったりするものである。

好きでないことをする必要はないけれど、「自分に課せるテーマを見つけること」は充実した毎日を過ごす上では重要なことだと思う。
日々訪れる事柄の中から、いつの間にか自分への課題が仕上がっているようなことも多いけれど、一度自分自身を俯瞰してみて「自分にはどんなテーマがふさわしいか」と考えてみる視点もあるべきではないか、とこの年にして思う。

ただ学生になり、社会に入り、家族や友人がいて…という事象優先だけではなく、人生ゲーム(ふるっ)のように人生双六を辿っている自分をイメージしてみるのも良いのではないだろうか。
自分の人生双六は大分進んでしまっているが、改めてそんな視点を持たねば、と思う今日この頃なのでした。